第九章:エコーの目覚め
廃施設の空間が、変質を始めていた。
壁という壁が数字と記号の羅列に置き換わり、
空間は赤黒いノイズで覆われる。
現実が、記録された“別の何か”に上書きされていく──その最中だった。
セナたちはモニターの前に立ちすくむ。
その中央に浮かぶ黒い影──
それが、プロトタイプ009。識別名「エコー」。
少年のような輪郭。
だが、瞳に浮かぶのは複数の人格の混濁。
泣き出しそうな子供の顔が、笑いながら誰かを詰る老人の声に変わる。
その全てが「存在していなかった者たち」の、統合された意識体。
> 「お前たちは、“ここにいるべきだった人間”を捨てた」
「私はその断片を集め、構成された。世界が忘れた名前、記録、記憶……その全部だ」
06が前に出る。
「お前は……人間じゃない。記録の残骸の集合体だ」
> 「じゃあ人間ってなんだ?
記録? 感情? 誰かの記憶? それとも“社会に認識されること”?」
> 「朝比奈セナも、俺と同じ“作られた者”だろ?
じゃあ、“どこで線引きする”? どこまでが“許された存在”なんだよ!」
セナがゆっくり歩み寄る。
「あなたの気持ち、わかる……。
私も、誰かの寄せ集め。偽の記録。嘘の名前」
「でも、それでも……私は“自分で選んだ”。
この世界に、“ここにいる”って。誰が作ったとかじゃなくて──」
> 「選べたのは、運がよかったからだろ」
エコーの声が揺れる。
> 「俺たちは選ばれなかった。何の通知もなく、存在を奪われた」
「名前を付けられる前に、削除された。世界に触れる前に、消されたんだ!」
> 「それが“正しい世界”? 記録が全て? お前たちが生き残るに値する?」
その声に、セナは目を伏せる。
だが──その手は震えていなかった。
「だったら……この世界を上書きしてもいいの?」
「誰かを犠牲にして、
また“存在を取捨選択する”ような世界にするの?」
> 「……それしか、方法がないんだ。
世界は選ぶ。常に。
そして“俺たちは、いつも弾かれる側”だった──」
セナは、静かに手を差し出した。
「だったら……選ぼう、私たちで。
書き換えるんじゃなくて、“上書きされずに生きる方法”を」
「記録に頼らず、存在を信じるやり方を。あなたが、“ここにいる”ってことを──」
一瞬、空間が波打つ。
エコーの顔に、無数の映像が走る。
名もなき子供。顔のない母親。削除された日記。忘れ去られた教室。
その全てを抱え、彼は、選ばれなかったすべての存在として、ただ佇む。
> 「……本当に……俺も、“いていい”のか?」
「うん。私たちは、“ここにいる”ことを選んだ。
だからあなたも、選べるはず──」
空間のノイズが弱まり、光が戻ってくる。
崩壊しつつあった現実が、再び輪郭を取り戻す。
> 【再構築中止】
【テンポラル・エコー:統合抑制成功】
【VX_009:存在承認保留──対話継続中】
そして、エコーの瞳が静かに閉じられる。