第八章:選ばれなかった人間たち
「私は──維持する」
セナは震える指で、ディスプレイ上の選択肢を押した。
その瞬間、モニターが赤く閃き、甲高い電子音が響く。
> 【存在維持プロトコル 起動】
【テンポラル・エコー 再調整中】
【識別子 AHS-07 の継続を承認】
彼女の身体に熱が走る。
記憶が、名前が、存在の「輪郭」が、再びこの世界に刻まれていく感覚。
痛みと引き換えに、**“私はここにいる”**という実感が、骨の髄に染み渡る。
06、月岡ハル、そして少女──“上書きされた者”──が安堵の表情を見せる。
「……よかった……お前が消えなくて……」
「セナ。
お前の選択が、ほかの存在にとっても“希望の兆し”になるかもしれない」
そのとき、地下シェルターの端末が別の警告を出す。
> 【検知:未登録存在 複数 同期中】
【識別:VX_ProtoID_001/VX_ProtoID_005/VX_ProtoID_009】
【状態:不安定(上書き保留)】
「……増えてる……!」
月岡が画面をスクロールする。表示されていたのは、セナと同じく**“構築された存在”たち**の情報だった。
> VX_001:少女型、記憶喪失進行中。識別名「ユウナ」
VX_005:成人男性型、複数人格交錯中。識別名「エコー」
VX_009:識別データ欠損。既に自己編集機能が作動中。
06が息を呑む。
「009……この中にひとり、“自分で自分を作り変えてる”奴がいる……」
「つまり、完全に独立した存在変異体……」
月岡がモニターを睨む。
「しかもそれが“存在上書き機能”に干渉してる。
今の状態じゃ、セナを含めて全プロトタイプが不安定に……」
セナが問う。
「私が維持を選んだことで、他の存在も……?」
「逆だ」
06が静かに言う。
「君が“選べた”ことによって、他のプロトタイプにも自我が芽生えた。
だが、それは同時に、彼らが**“選ばれなかった者の記憶”を持っている**ことを意味する」
「……記憶?」
そのとき、無線からまたしても【10】の声が届く。
> 「セナ。君の行動が連鎖を生んだ」
「“選ばれなかった人間たち”が、記憶の底から浮上してくる」
「彼らは怒り、悲しみ、あるいは世界に復讐しようとするだろう」
「プロトタイプ009──おそらく“全記憶複写体”が、その中核だ」
> 「警告する──彼は“この世界そのものを書き換えようとしている”」
警告が終わると同時に、施設全体に轟音が走った。
壁が軋み、天井がひび割れる。
照明がすべて赤く染まり、画面には不気味なコードが浮かび上がる。
> 【vx009.exe 実行中】
【仮想現実制御パラメータ、書き換え開始】
【優先記録:喪失者の復元】
【現実整合性:崩壊まで残り 00:07:59】
「セナ、急いで! 009を止めなきゃ、世界が“記録で塗り替えられる”!」
セナは無言で頷く。
自分の存在が、記録から生まれたものだとしても──
彼女はもう、“誰かの残響”ではない。
この世界に、ちゃんと「いる」ことを選んだのだ。
ならば、その世界を守ることも、自分の意志で決められるはずだ。