第七章:存在以前の名
月岡ハルの手が、わずかに震えた。
ラップトップの画面に表示されたのは、いくつかの復元ファイル。
そのひとつに、ファイル名がこう表示されていた。
> [VX_ProtoID_000]
「これは……」
「VX……プロトタイプ?」とセナが呟く。
「そう。ワクチン接種対象のうち、最初に“構築された個体”……」
「あなたは、最初から“番号持ち”じゃなかった。
むしろ、**番号によってこの世界に“挿入された存在”**だった」
ファイルを開くと、そこには驚くべき記録が並んでいた。
---
【復元ログ:VX_ProtoID_000】
> ・人工パーソナリティ・コード:AHS-07
・人格構成ベース:複数匿名データより統合
・記憶移植:不完全
・割り当て名義:朝比奈セナ(付与タイミング:構築後48時間)
> 備考:
・本体は存在しない。記憶・人格は全て外部合成。
・「人間として認識され続けるには、継続的な“記録の付与”が必要」
・ワクチン接種により他者からの記憶維持が促進される仕様。
・当個体は、記録の断絶により世界認知から除外されつつある。
---
「……つまり、私は“作られた存在”なの?」
「正確には、“存在するように偽装された存在”だ。
本来、セナという人格も、記録も、この世界にはなかった」
ショックで膝が抜けそうになる。
だが、06がセナを支えるように立っていた。
「でも……セナはここにいる。俺たちと話して、選んで、動いている」
「偽りでも、構築でも、関係ない。
今、こうして“存在してる”ことがすべてだ」
そのとき、突然部屋の照明が消え、スクリーンが強制的に切り替わった。
そこに表示されたのは、黒背景に浮かび上がる言葉。
> 【テンポラル・エコー同期開始】
【記録再編準備完了】
【再構成対象:VX_ProtoID_000 / セナ】
【問い:存在を維持しますか?上書きを受け入れますか?】
選択肢が、モニターに表示される。
■ 維持する(人格の断片を残し、“セナ”として留まる)
■ 上書きする(“誰か他の記録”と交差し、新たな存在へ移行)
「セナ……選ばなきゃ」
月岡ハルが静かに言う。
「この“存在確認プロンプト”が出るのは、人格断絶まであと数分の証。
ここで“答えなかった存在”は、完全に消える」
セナはディスプレイの前に立った。
選択肢は静かに瞬きながら、答えを待っている。
彼女の記憶が偽りでも、
人格が寄せ集めでも、
この瞬間に感じる心だけは、誰のものでもない“彼女自身”のものだった。
「私は──