最終章:記録されなかった物語
その日、世界は一度“書き換えられかけた”。
崩壊しかけた現実の中で、セナは存在を選び、
エコーは“怒り”ではなく、“問い”を選んだ。
──それから数時間後。
シェルターの空調が再稼働し、赤い警告灯が通常の白光に戻る。
残された端末に、新たなログが刻まれる。
> 【VX_009:統合データ固定完了】
【エコー:個別人格として認可】
【“記録外存在”に対する、初の存在容認事例】
【接種済ラベル:変異対象に非適用。手動意思決定に切り替え】
セナがラップトップを閉じ、06と並んで外を見た。
空には、ぼんやりと朝日が滲んでいた。
月岡ハルが言った。
「記録に頼らない存在なんて、不安定で、いつ壊れるかわからない。
でも──その不安定さが、人間なんだろうな」
セナはゆっくりと笑った。
「それでも、生きてるって言えるなら……それでいい」
エコーは黙って遠くを見つめている。
彼の中にはいくつもの“忘れられた名前”が棲んでいた。
だが今は、そのひとつひとつが、彼の“構成要素”ではなく、
彼自身が“選び続ける声”のように響いていた。
この世界では、
誰もが「記録」によって存在を証明される。
“接種済”の証は、その一部にすぎなかった。
だが本当は──
「記録されなかった物語」こそが、人の心に強く残り続ける。
どこにも登録されなかった彼らの名は、
この朝にだけ、確かに“存在していた”。
そして、朝比奈セナもまた、
“誰かの記憶”ではなく、“自分の意志”でその道を歩き始めていた。
物語はここで終わる。
だが、名前のない物語ほど、誰かの胸に残るものだ。
きっと──いつまでも。
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〈終〉