第五章:聖騎士、堕ちる
匂い立つ薔薇が咲き誇る中庭に、白銀の鎧を纏ったあの男が立っていた。
聖騎士セイラン・アルバ=カリュード。王国の誉れにして、私の元・婚約者の義兄。かつて王子の補佐官として理知と誠実の象徴と称され、社交界では「微笑む正義」とまで呼ばれていた男。
だが私は知っている。彼の“正義”とは、己の理想のためなら愛も家族も切り捨てる、冷酷な独善だと。
「……久しいですね、アリシア嬢。いや、今はもう“毒姫”と呼ぶべきでしょうか」
「ご挨拶が遅れておりますわね、セイラン様。わざわざ私の“花園”までようこそ」
私は微笑んだ。だがその瞳には氷も炎もない。ただ冷たい洞察だけが揺れている。
「その呼び方、嫌いではありませんのよ。名は力、ですもの。毒姫――誰も手出しできぬ、恐怖と美の象徴ですわ」
「だが、それは孤独だ」
彼はまっすぐに言った。誰もが惑うその瞳で、私の心を試すように。
「復讐に生きれば、最後には己すらも毒すことになる。……君は、そんな道を望んでいるのか?」
「ええ、喜んで」
私は即答した。
「誰かの掌で弄ばれ、使い捨てられるよりは、自らの毒で世界を制する女の方が性に合っておりますの」
セイランの瞳が揺れた。だが、それは後悔か、あるいは欲望か。
「……ならば、俺は君を止めるために来た」
彼の手が、柄にかかる。その瞬間、ゼフィルスが霧のように現れ、剣を抜いた。背後では、ルシアンがすでに毒気を帯びた魔術式を構築していた。
「おやおや……我らの姫君を“止める”などと、よくもぬけぬけと」
「許さぬ」
冷気と呪詛の双剣。
だがセイランは、毅然とした瞳で言い放った。
「君の背後にどれだけ魔が集おうと、俺は君を見捨てることができない。アリシア、君は……かつて俺の弟に奪われた、“唯一、正しく美しい令嬢”だったからだ」
「――!!」
心がわずかに揺れる。だが私は、笑った。
「それは“今さら”という言葉で表現される感情ですわ、セイラン様」
「遅れて届いた想いに、価値はないと?」
「いえ、“いま”狂ってくださるなら、歓迎しますわ。あなたも私の“毒”に堕ちる覚悟があるなら――」
私は手を差し出した。
「来なさい、聖騎士。かつての栄光も正義も捨てて、私の“飼い犬”となりなさいませ」
彼の目が見開かれ、やがてゆっくりと細められる。まるで、己の運命を悟った獣のように。
そして――跪いた。
「毒に堕ちる覚悟はある。君が望むなら、俺は騎士として……破滅の道を共にしよう」
指先が重なった瞬間、金の魔法紋が花のように咲いた。
それは誓い。光の騎士が、闇に堕ちた証。
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こうして、私の従者は三人となった。
氷、毒、そして――堕ちた光。
王宮が築いた“秩序”に、ひびが入る。
私の復讐劇は、次の幕へ。