07 毒王ベラドンナ
【前回までのあらすじ】
ロボは主であるホセから、《教会》の象徴である聖女の娘、小聖女メロコティーニャ・ルシアの殺害を命じられる。
殺害場所として指定されたダンジョンを潜っている最中、不幸なことに迷宮魔災に巻き込まれてしまう。
再構築されたダンジョンで目を覚ましたロボの目の前にいるのは、現在判明している、最も強い毒性を持つ討伐手配魔物――《毒王》ベラドンナであった。
『グルルルルルルルルルルッッッッ!!』
毒の王を冠する討伐手配魔物――《毒王》ベラドンナが吠えると同時にに跳躍する。
口の隙間から撒き散らす唾液が周囲に飛び散り、接触した壁や床がジュウ――と音を立てながら溶けていく。
触れただけでこの有様だ。
体内に入り込めば、人体にどのような影響を及ぼすのかは想像に難くない。
「早いッ!?」
バックステップで回避する。
強靭な前足と鋭い爪が、1秒前まで俺のいた床を抉り飛ばす。
『ガウッッ!!』
休む間も与えぬ毒王の二撃目が飛ぶ。
背後は玄室の壁。
俺はあえてベラドンナ目掛けて走り――スライディングで奴の懐に潜り込むことで回避する。
今度は壁に、3本の爪疵が刻まれる。
人間が喰らえば、あっという間に四枚下ろしの出来上がりである。
爪にも毒性が宿っているようで、壁の傷もまた、プスプスと煙を立てていた。
「そう簡単に食われる訳にはいかなくてな」
『ギャオオオオオンッ!!』
「ッ!?!?」
俺が思ったよりもすばしっこいことに腹を立てたのか、ベラドンナは遠距離攻撃へと切り替える。
奴が放ったのは――咆哮。
「(身体が……動かない……ッ!?)」
魂に刻まれた、被食者として強者に怯えながら生きてきた遠い先祖の記憶が――圧倒的強者の威圧感によって呼び起されるかのように。
更に――咆哮と同時に飛沫の如く飛んでくる唾液の散弾。
「(なるほど……咆哮で動きを止め、同時に飛ばした毒で対象を確実に仕留める技か……!)」
咆哮に付加されたスタンは数秒に過ぎないが、迫りくる猛毒を躱す時間はない。
なら――撃ち落とす!
「《毒礫》」
――ビュッ!
握りこんだ拳を、開きながら振るう。
すると爪の隙間の毒腺から生成した毒が飛び出す。
毒の礫が、毒の唾液を全て撃ち落とす事に成功する。
「(問題は、俺の毒が奴に効くかどうか――そして、奴の毒が俺に効くかどうかだ)」
俺に毒は効かない。
にも関わらず、ベラドンナの毒撃を躱し続けるのは、正確には毒が〝効かない〟のではなく〝強い耐性〟がある――という意味に過ぎないからだ。
初潮を迎える前の幼女にしか性的興奮を抱くことが出来ない――種を残すという生物の本能を欠陥と引き換えに、あらゆる状態異常の耐性を手に入れた《不死身の勇者》が、俺の毒で倒れたように、《毒》のスキルを極限まで極めた俺でさえ、ベラドンナの毒に耐えられるかは定かではない。
だが逆に、最強の毒を持つという噂が独り歩きしただけの、ただデカいだけの狼に過ぎず、実際の所ベラドンナの毒性が大したことのない可能性だって存在している。
果たして――奴と俺の相性は良いのか、それとも悪いのか。
「逃げ続けてもジリ貧だ――実際に試してみるか」
ダンジョンの玄室と回廊は扉で繋がっているが、玄室の中に魔物が一匹でもいる場合、回廊へ続く扉は施錠される法則がある。
つまりこの玄室に閉じ込められている訳であり、逃走することは出来ないのである。
「《毒創》」
《毒》スキルを発動し、血液の中に複数の毒を創造して――混ぜ合わせる。
主毒はミノタウロスでさえ一歩歩く間に死に至らしめる大災腐蛇の牙毒。
副毒は体内に潜伏することで時間差で発動し、例え解毒しても息の根を止める二の矢要らずと呼ばれる魔女王蜂の針毒。
その他数種類の毒を配合した、とっておきの自家製ブレンド。
「死撃毒棘」
爪の隙間の毒腺から生成した最凶の毒を、鋸鉈に塗りたくる。
『ギャウッ!?』
矮小な存在であるはずの人間に、必殺技である唾液交じりの咆哮を凌がれた挙句、反撃に出たことがよほど驚きだったようで、ベラドンナの動きが止まっている。
常に狩る側にいる強者は、時として被食者の決死の反撃に反応できず――――斬!
――ガリガリガリッ!
鋸歯状の刃が太い足首に食い込み、表皮を削り取る!
「少なくとも皮は削った……なら毒は入ったはずだ……!」
果たして――俺の毒は《毒王》に通用するのか否か。
『ワオオオオオオオオンッッ!』
ベラドンナは足首の攻撃など意にも返さず、再度俺に飛び掛かってくる。
「効いてないのか!?」
しかも魂を揺さぶる咆哮を放ちながら飛び掛かってきた。
回避行動は取れず、ようやっと身体が動くようになった頃には、既にベラドンナの凶爪が俺の両肩に食い込み、地面に組み伏せられた後であった。
「うおおおおおおおッッ!?!?」
俺の頭を丸かじりしそうな程大きな口を開けるベラドンナ。
凶牙が俺の肉に食い込む直前、咄嗟に鋸鉈を縦にし、つっかえ棒のようにして閉口を防いだ。
「ぜぇ……ぜぇ……っ!」
『ギギギギギギギッ!!』
細かい棘状の刃が、ベラドンナの口内の肉に突き刺さったのが幸いしたのか、奴はこれ以上口を開けることも、閉ざすことも出来ないようである。
だがベラドンナの口内に腕を突っ込んだ際、俺の二の腕に鋭い牙がぐっさりと突き刺さっている。
「気持ち悪い……目が……見えない……」
ベラドンナの毒が既に全身に回ってしまったようだ。
目が霞み、筋肉が痙攣し、嘔吐感に見舞われ、肺と心臓の機能がみるみる低下していくのを感じる。
「かはッ!?」
ベラドンナの毒に侵され吐血する。
しかし仰向けに押し倒されているために、吐いた血の一部が喉を逆流し、ただでさえ困難な呼吸が妨げられてしまう。
「奴の毒はがっつり効くのに、俺の毒は効かないのかよ……!?」
10歳の頃から、一歩間違えば死ぬような、無茶苦茶な鍛え方をしてきたというのに、生まれながらにして最凶の名を欲しいままにする毒の王の前では、一方的に蹂躙されるだけとは……。
好んで手に入れた訳ではないとはいえ、それでも己の《毒》のスキルにアイデンティティを持っていた身としては、屈辱を感じずにはいられない。
「結局俺も……毒で死ぬのか……兄弟達と一緒に……」
最後に思い出すのは、俺と同じ《毒》のスキルを持ち、地下牢に囚われていた同じ境遇の子供達の事。
血は繋がっていなかった。
顔も見たこともない。
けれども、同じ場所で、同じ毒を飲んで過ごし、文字通り俺の血肉となって死んでいった兄弟達。
このクソみたいな世界で俺が生にしがみつく唯一の理由。
俺は月国に行くには人を殺し過ぎたから、彼らと同じ場所へ行けそうにはないが――
「(同じ方法で死ねるなら……まあ、ギリギリ……及第点か)」
死を受け入れようと、毒による虚脱感に身を任せようとした、その時――
『(死なないで)』
頭の中で声が響く。
果たしてそれは、中毒現象による幻聴か、俺の魂に残留した顔も知らない兄弟達の訴えか――