41 働かざる毒食うべからず
――月日が経つのは早いもので、その日暮らしの家無き地下放浪者だった俺とメロが、石の民の隠れ里の仲間入りをして――早10日が経過した。
最後に外の空気を吸ったのは15日前。
新月だったお天月様が、満月を迎えるだけの月日が流れた訳である。
ダンジョンでの生活は、退屈な殺し屋暮らしと比べてあまりに濃密過ぎて、小聖女メロコティーニャ・ルシアを殺害しようとした2週間前の事が、遠い昔のようにさえ思えてくる。
かつてはS級冒険者だろうと現人神だろうと、問答無用で牙を突き立てる恐れ知らずの《毒狼》も、今ではすっかり牙と毒気を引っこ抜かれ、小聖女様の敬虔な従者に収まってしまっている訳で……。
そんな隠れ里では衣食住が確保され、想像以上に文化的な生活が出来ており、「これが人並の生活か」と――すっかり丸くなってしまったと実感するこの頃である。
ちなみに衣食住について具体的に説明をすると――
〝住〟は元建築家、兼、元薬中のソフィアが石造りの家を建て――
〝食〟は比較的地上の動物と味が似ている魔物を狩猟したり、迷宮魔災以前は畑を作って作物を育てたり――
〝衣〟に冠しても《飾》スキル持ちが生成を請け負っているとのことだった。
その他――ダンジョン内ではどうしても用意する事のできない道具などは、懇意にしている地下商人から、魔物の心臓である魔石を通貨替わりにして取引を行っているらしい。
各々が技能を生かし、30人程のコミュニティからなる相互扶助によって、この里が維持されている訳であった。
しかし――働かざる者食うべからずという言葉がある通り――里の一員になった以上、里に貢献出来ない者を養う余裕はなく、ごく潰しは問答無用で追い出される残酷さも持ち合わせているのもまた然り。
メロは《癒》スキルを用いた治癒術師として――そして聖職者であることを買われ、牧師としての役割も請け負っている。
新人にも関わらず2つも役割を与えられ、「桃血で以て傷を癒す」「聖職者の知識を生かして精神的な重荷を軽くする」という代替不可能な特色もあって、既にメロは里の者から〝巫女様〟と慕われ、厚い信頼を築いていた。
「(一方――俺はと言えば……)」
平和的に暮らす石の民に殺し屋の需要があるはずもなく、かといってメロを放置して里の外へ出て外貨を稼ぐ訳にもいかず――このままではメロの脛を齧りながら養われる事になりかねないのが現状――
「(だったのだが……)」
――そんな深刻な悩みも、メロの助言によって解決の方向へと向かっていた。
「毒創」
目の前で石製の椅子に座っている男の頭部に手をあて――毒を生成する《毒》のスキルを発動させる。
すると――男の頭皮から、髪の毛の茂みから逃げ出すよう、ぴょんぴょんとゴマ粒のような飛び出してくる。
「よし、利いてるな」
「おお! すげえ! というか、こんなにいたのか!?」
前に座る男は、頭部を傾けながら髪の毛を指先でわしゃわしゃと撫でると――先ほどのゴマ粒がポロポロと地面に落ちていくのを見て驚いている。
ゴマ粒の正体は――虱の死骸だ。
「効き目は凄いが、これ頭皮へのダメージは大丈夫なのか?」
「大丈夫だ……多分」
「多分!?」
俺がごく潰しを回避するため、里で見つけた役割は――《毒》スキルを用いた薬剤の製造。
変毒為薬――毒薬変じて薬となる、という言葉がある通り、毒もまた立派な薬の原材料であり、かつて毒花から鎮痛剤を調合したメロの薬学知識を借りながら、薬師紛いの仕事を見つけた次第であった。
「(ま――薬の調合はメロの仕事で、俺はただの原料提供者に過ぎんのだが……)」
今は、虱による頭皮の痒みに悩まされる男の為に――毒を限界まで薄めて頭皮に塗布していた。
これに関しては毒に対する理解を深め、虱へピンポイントにダメージを与える毒を生成することが出来たので、メロの力を借りることなく達成できた初めての仕事と言っていいだろう。
御主人様――薬師――曰く、《蠱毒》に放り込まれる蠱には虱も分類され、痒みの元となる分泌液を毒を解釈したことで、虱への理解を深めていたことが大きい。
「とはいえ――俺のスキルはどうしたって毒であることに変わりはない。湖で頭皮をよく洗い流しておくんだな」
「ついでに髪を増やす薬って作れたりしないか? 最近頭頂部が心許なくてな……」
「俺が作れるのは毒だけと言っただろ。殺すことは出来ても生み出すことは出来ない――禿げるのが怖いなら潔く剃ったらどうだ」
「そうか、そうだよな……」
虱が全滅した髪を掻き揚げながら、残念そうにため息を吐く男。
「里長とまでは行かないが、もう少し生やせないものだろうか……」
「確かにレオナルドの毛量は凄いな……」
里長――レオナルドは中年とは思えない毛量で、その姿は獅子の鬣を思わせる程に生え茂っている。
蓄えた髭も立派なもので、歴戦の戦士然とした精悍な顔立ちもあり、薄暗いダンジョンで目撃したら二足歩行の獣系の魔物と間違えられかねない威圧感だ。
彼が羨むのも分からなくもない。
「だがあれだけ髪と髭を伸ばしていれば、手入れも大変だろうな……」
毛量に不安のあるコイツにも虱の餌食になっていたのだ。
レオナルドにも虱が巣食っているかもしれない。
ごく潰しの汚名返上に、ここらで里長に恩の一つでも売っておこうか――と思ったのだが。
「それはどうかな? 里長にはイレーネちゃんがいるからなあ。あの子が、里長の髪を洗って髭を整えているらしいよ」
「イレーネ?」
「お――噂をすれば」
その時――隠れ里となっている玄室の奥から、里人達の大きな声が上がる。
「里長の御帰還だ!」
見れば――背に大きな猪型の魔物を担いだレオナルドが、勇者の凱旋さながらの歓迎を受けながら、隠れ里へ帰還した。
地下商人との外交に用いる魔石と、食用に適した魔物の肉を集めるため、里長自らダンジョンに赴いているのである。
そんなレオナルドの巨体に近づき――腰に抱き着く少女が1人。
レオナルドは父性を帯びた穏やかな眼差しで、その少女の頭を、大きな手でそっと撫でた。
あれは――俺達が隠れ里に初めて足を踏み入れた日、重症を負っているレオナルドの傍で、献身的に包帯を取り替えていた、看護役の少女であることを思い出す。
「彼女がイレーネか?」
「そうだよ」
「どういう関係だ?」
初見の時は里で看護の役割を担当しているのかと思っていたが、レオナルドとイレーネの、お互いを信頼しきった表情を見るに、それ以上の深い関係で結ばれているのは確かであろう。
よもや親子だったりするのだろうか……?
「それはオレも知らんよ――それに、知っていたとしても、話せないよ。気になるのなら里長に直接聞くんだね」
「それもそうか」
この里には様々な事情から、地上で生活出来なくなった者が集まって出来たコミュニティである訳で――現に俺とメロが――逃げ出した小聖女と、麻薬密売組織の殺し屋である事実を隠しておきながら、それでも里に受け入れて貰えている訳で。
過去を詮索しないのが石の民での暗黙の了解なのだ。
ただの興味本位で、その了解を破ろうとしてしまったことを恥じる。
「ロボさーん!」
その時――里の中央から、こちら目掛けてぱたぱたと走ってくる桃色の塊が1つ。
「おや、巫女様がお呼びだぜ色男。僕は湖に頭を流しにいくから、相手してあげなよ――騎士様」
そういうと、男は俺の元から去っていく。
「俺はただの奴隷だ。騎士なんて大層なもんじゃねぇよ」
「はぁはぁ……ここにいたんですねロボさん。お家にいないから探しましたよ」
「悪かったな。仕事をしてたんだ」
《毒》のスキルで虱駆除をしていた事を説明する。
「へー、そうなんですね――そ、そういえば、私も最近頭が痒い気がしますっ! わ、私にもその虱取りの毒、使って欲しいなぁ……なんて」
「確かにお前、髪長い上に毛量多いもんな」
メロは首を傾け、小さな頭部を差し出してくる。
わしゃわしゃと――毛量の多い髪をかき分けながら俺の指先は頭皮を目指し、小聖女の頭皮を不法占拠し、貴重な桃血をくすねる盗人に裁きの鉄槌を下してやろう――と、思ったのだが。
「いないじゃないか」
埃臭い地下生活を半月も続けているにも関わらず、艶のある髪の毛は滑らかに指の隙間を流れていき、件の盗人の姿は一匹も見つけることが出来ない。
「んふ、んふふ……」
懸命に虱を探す俺を、チラチラと見つめてはクスクスと笑うメロの姿を見て――嫌な予感が脳裏に浮かぶ。
「あっ!? まさか嘘ついたな!?」
「てへっ♪」
メロは神の末裔の癖して小悪魔みたいな笑みを浮かべ、悪戯がバレた子供みたいに舌を出し、甘い桃の香りを振りまきながら身を翻して逃げ出したのであった。
「待て悪ガキ!」
「だって、ロボさんに頭撫でて欲しくて♪」
ひらひらと――法衣の裾をなびかせながらちょこまかと逃げる悪戯娘との鬼ごっこ。
その光景を、里人達は「またやってるよ」と、微笑ましい顔で見守るのであった。