04 桃の乙女
地下へと続く階段を下る。
家具は勿論として、絨毯や壁紙まで一級品を揃えていた、成金臭い地上階と違い、ホセが研究室として使っている屋敷の地下は、石壁が剥き出しで、ダンジョンのような不気味さがあった。
「どうだ、いつ見ても壮大だろウ?」
「いつ見ても気味が悪いな」
階段を降りた先に広がるのは、紫色の花を咲かせた花畑。
草原の大地と太陽の光の下にあれば、心洗われるような光景に見えるのだが――薄暗い地下室と石壁の足元に咲くそれは、毒々しいと感じてしまうのだから不思議なものだ。
――まあ。
この紫の花が、この国を蝕む違法薬物、魔薬の原材料であることを考慮すれば、毒々しいという表現はむしろ適切とさえ思えるのだが……。
地下室の壁には光源となる魔光石が等間隔に並び、天井には月の光が植物を育てるように、月光と同じ成分の光を放つ月鉱石の輝きが魔薬に栄養を与えていた。
おかげで窓のない地下室にも関わらず、視認性は問題ない。
花畑の中央は通路として均されており、先を歩くホセに続いて進む。
「しかし、《教会》にバレればただでは済まないだろうな」
取締りの対象である魔薬の栽培がバレれば確実にお縄につくぞ――という警告ではない。
なにせ元々我らロス・アラクラネスに魔薬を横流ししているのは、教会の奴らなのだから。
教会が秘密裏に魔薬を栽培・製造し、パッケージングされた商品をロス・アラクラネスが市場にバラまいているのである。
教会は密売人を仲介することで隠れ蓑とし、密売人も魔薬を売りさばくことで利益を得ることが出来る上、多少のヤンチャであればお目こぼしを頂ける。
そのような相互協力関係によって、ロス・アラクラネスは裏社会において強力な地位を得ることが出来ているのである。
1つ誤解を与えないように補足しておくと、我々に魔薬を流しているのは、教会の中枢ではなく、多数ある派閥の1つだ。
つまり国王でもある教皇はこの事実を知らない訳で、決して国ぐるみの犯罪組織という訳ではない――多分。
「(もし教皇がその事実を周知の上だんまりを決めているのであれば、この国は遅かれ早かれ滅びるだろうな)」
そういう訳であり、もしロス・アラクラネスと協力関係にある教会派閥が、自分たちの所のヤクを使わずに、より品質の高い魔薬で荒稼ぎしているとバレれば、お目こぼしによって生かされているロス・アラクラネスは破滅するだろう。
「問題ないヨ――もはや《教会》でさえ、我々ロス・アラクラネスを止めることなど出来はしないサ。それに教会産よりもロス・アラクラネス産の方が品質も良い。独占事業に胡坐をかいて改善努力を怠った奴らが悪いのサ」
前を歩く小柄な老爺は楽観的に笑う。
そうして魔薬の花畑を抜けると、ようやく研究所然とした空間が目に入った。
壁際の本棚には小難しそうな学術書が並び、隣の棚には薬もしくは毒の原料になる、動物の死骸やキノコ、乾燥した草などが陳列している。
更にその隣には、堅牢な鉄格子で作られた檻があり、中を覗けばダンジョンから連れ帰ったのであろう狼型の魔物――ハウンドウルフが、ホセに向かって恨めしそうに呻いていた。
ダンジョンの魔物を生きたまま地上へ連れてくるのは違法行為であるが、研究者からすれば、優先すべきは法律よりも知的探求心なのであろう。
『グルルルルルルルッ!』
ホセは魔獣の威嚇行為には目も暮れず、棚に並べてある、瓶詰にされた毒蛇の死骸から生えたキノコの成長具合を確認して、満足そうに頷くと、テーブルの前にある椅子に座った。
「で――次は誰を殺ればいいんだ。今日は疲れた。早く休みたいのだが」
「そう急かさないでくれたまえヨ」
ホセは白衣から紙巻にした魔薬を取り出すと、マッチで火をつけ、煙を美味しそうに吸い込んだ。
「自慢の頭がパーになっても知らないぞ」
「自社製品の品質チェックの業務の内さネ」
シグフリードに斬られた傷がズキズキと痛むのに耐えながら数分。
短くなった吸い殻を灰皿に押し付けたホセは、ようやく本題へと入る。
「次のターゲットは――《小聖女》、メロコティーニャ・ルシアだヨ」
「…………は?」
耳を疑った。
小聖女の殺害だと?
「正気じゃない」
「我ら元より正気ではやってらない商売だヨ」
宗教国家クレシエンティアには2人の統治者がいる。
1人は政事・軍事を司る実質的支配者の《教皇》。
1人は祭事・神事を司る精神的支配者の《聖女》。
教皇は上層部である枢機卿の中から投票で決められるが、聖女は完全なる世襲によって継承される。
そのルーツは国教であるルナルシア月教の開宗まで遡る――すなわち一度もその血筋が途絶えたことがないのだ。
そして俺の次のターゲットである小聖女とは、聖女の娘にして次期聖女のこと。
宗教によって統治しているクレシエンティア――この国を国たらしめている象徴を殺すというのは、国家に対する反逆行為に他ならない。
「俺に大聖堂まで忍び込んで小聖女の寝首を掻けというのか? 娼館に忍び込むのとは訳が違うぞ」
「美しさを担保に人を惑わしているという点では、女神も娼婦も変わらんヨ」
「戯言はいい」
「クカカ――冗談だヨ」
ホセはカラカラと、しゃがれた声で笑う。
大聖堂に忍び込める訳がない。
どうせ死ぬなら、首輪の力で死ぬのを承知で、御主人様をぶっ殺してから死んでやろうかと、本気で考えていると――ホセが続ける。
「殺害場所は大聖堂ではなくダンジョンだ。知見を広げるという名分で、小聖女は護衛をつけてダンジョンに潜る手筈になっているんだヨ。しかしその護衛は全て依頼人の息がかかっているのサ。ロボはダンジョンの待ち合わせ場所で、護衛から小聖女を引き取り殺害――そしてそのまま護衛に死体を引き渡してくれればいいさネ」
「ちょっと待て。だったらその護衛が小聖女を殺せばいいだろうが。なぜ殺し屋を仲介する必要がある?」
「護衛は全員聖職者ダ――誰だって現人神を殺したくはないのだヨ。月国への扉が閉ざされてしまうからネ」
小聖女を殺すのを黙認し、あまつさえ目の前で殺し屋に殺されるのを黙って見ている――しかし自らの手で小聖女を殺すことは宗教上できない。
「そんなデタラメがまかり通るものなのか……?」
「通るらしいヨ――なにせ小聖女の殺害を依頼してきたのは、何を隠そう母親である聖女様だからネ」
「……もうついていけん」
血筋を絶やさないという使命の為に生きる聖女が、自ら跡取りを殺すように差し向けるなど……。
しかしなぜ小聖女の殺害の仕事がロス・アラクラネスに来たのかは合点がいった。
魔薬を密造して密売人に流しているのは、その聖女様なのだから。
どうやら今代の聖女は相当な俗物らしい。
聖女という教会の象徴という身分でありながら、違法薬物の密売に手をかけるような悪党だ。
より長く聖女という地位にい続けるには、娘の存在は邪魔なのだろう。
「俺も月国に行きたいのだが」
「キミはここからどう善行を詰もうが月国へは逝けないヨ。来世に期待したマエ」
S級冒険者の次は聖女の娘……全くもってやってられん。
「ああそうだ。1つ重要なことを伝え忘れていた――小聖女は毒で殺してはいけないヨ」
「はぁ?」
「小聖女はまだ10歳で武道の心得もなく、スキルは非戦闘型である《癒》だ。毒を使わずとも難なく殺せるだろうヨ」
「なぜだ?」
「――食べるんだヨ」
「…………は?」
聞き間違いだろうか。
ホセは今――「小聖女を食べる」といったように聞こえた。
しかし残酷なことに、それは聞き間違いではなかった。
「小聖女メロコティーニャ・ルシア――彼女はね、授乳期間が終わった後は、桃のみを与えられて育ったんだヨ。別の大陸では《桃娘》と言うらしいネ」
唖然としている俺を他所に、マッドサイエンティストは続ける。
「桃のみを与えて育てられた子供は、その血肉までも桃の風味を帯びる。そして聖女の娘という貴き血に宿る神秘性と反応し――若返りの霊薬になると言われている――らしいヨ」
ホセは「まさに子牛のシロップ漬けのようなものだネ」と、マッドサイエンティストとしての感性に響いたのか、聖女が行っている狂行に、賛同するように上機嫌であった。
「つまり――聖女は小聖女の死体を食う事で、若返るから跡継ぎは必要なくなったということか?」
自分で言っていて気持ち悪くなってくる。
「にしても《桃娘》か――キミに施した《蠱毒》と似ているものがあるね。案外ルーツは同じだったりするのかネ?」
ホセは舐めまわすような視線で俺を見つめる。
幼少よりあらゆる毒を飲まされた結果、血肉に毒性が宿った俺。
幼少より甘露である桃のみを与えられた結果、血肉に霊薬が宿った小聖女。
確かに――方向性は真逆であるが、根幹の部分は似ているのかもしれない。
「だからって、同情してはいけないヨ?」
「分かっている」
言われなくとも、他者を憐れむことが出来る精神的な余裕など、元より持ち合わせていないのだから。