30 幸福な小聖女様
【前回のあらすじ】
メロは魔薬中毒の地下生活者の女を、桃血を輸血し、更に毒花を原料とする鎮痛剤を調合することで、地下生活者の女は一命を取り留めたのであった。
鎮痛剤の投薬後も、メロの献身的な看病が功をなし――半日後。
地下生活者の女は目を覚まし、瘧が落ちたように正気を取り戻した。
魔薬の末期中毒者が、健常者に回復した例は過去になく、まさしく神の奇跡と呼ぶに相応しい偉業であった。
して、当人である地下生活者の女は――
「神官様、この御恩は一生忘れません!」
「一生をかけてお礼をしたい所存なのですが、私には早急にやらねばならないことがあるのです!」
――などと、礼もそこそこに休憩室を飛び出すと、俺達の前から姿を消してしまった。
なんとも恩知らずな女だ――と、俺は蔑んだものの、功労者であるメロは「まだ病み上がりなのに大丈夫でしょうか?」「あれだけ元気なら大丈夫でしょう」と、本人は気にしていない様子だった。
――で、現在。
早朝に薬中女と出会い、半日がかりで治療・看病を行った結果――既に時刻は夜8時。
地下商人も新たな客を求めてダンジョンの奥地を目指し、休憩室は俺とメロの2人だけとなり、ダンジョン生活3日目も終わりを迎えようとしていた。
輸血の際に、メロの小さな体躯からすれば結構な血を抜きとり、調合にかなりの集中力を使ったせいか、今晩メロは桃を2つも平らげた。
そして今は――俺の肩に身を寄せながら、食後の余韻に浸ってぼんやりとしていた。
「ねぇ、ロボさん」
「なんだ?」
「私――このダンジョンで、やりたいことが、見つかったかもしれません」
「それは良かった。お前がやりたいと言うなら、止めはしない。可能な限り手伝ってやるよ」
「へへ、ありがとうございますっ」
メロは猫撫で声でそう言うと、これまた猫のように、俺のコートの袖に頭部を擦りつけてくる。
地下生活者を助けた事の充足感に、程よい疲労感によって酩酊し、食後の余韻に脱力し――羞恥心よりも精神的な安らぎを優先したい気分なのかもしれない。
もしくは生来、甘えん坊気質なのかもしれない。
これまで甘えることが出来る対象が、周囲にいなかったというだけで。
そして何より、自分の血によって魔薬中毒者を治療したことで、小聖女として自分が為すべき指標を見つけ、使命感を帯びたような、生き生きとした顔をしていた。
「(でも――それはこの国を蝕む魔薬問題を根本的に解決する方法にはならない)」
ダンジョンにまで魔薬――そして改良版である粋妖魔薬が流通しているということは、他にも魔薬中毒者の地下生活者はいるだろう。
だが――そいつらを治療した所で、それ以上の速度で中毒者は増えていく。
カビの表面を取り除いても、芯を蝕む病原を切除しなければ――無限に繁殖し続けるように。
でもそれは――麻薬密売人と、教会の双方を壊滅させるという意味であり――
そんな大それたことを、小娘と奴隷の2人で出来るはずもなく。
「(だから――今のままでいいんだ)」
俺は別にメロにこの国の救世主になって欲しいなどとは、はなから思っていない。
ただ彼女が充実した日々を送り、残り少ない人生が、悔いのないものであって欲しいという――ただそれだけのささやかな願い。
けど――それでも、最終的にメロに訪れるであろう顛末のことを想像すると――胸が痛む。
魔薬中毒者を治療するのは確かに偉業だが、メロの負担が大きすぎる。
メロの小さな身体では、日に何度も輸血を施していては、そう遠くない未来にガタが来る。
きっとメロは、自分の血が生命活動を送るのに支障が出るまで失ってもなお、目の前で救いの手を差し伸べる者がいれば、決して見捨てることはないだろう。
メロの神秘を帯びた血は、恩知らずな魔薬中毒者によって貪られ、最後の一滴まで搾り取られ、それでも奴等は彼女の献身に胸を打つことなく――彼女の偉業は誰にも知られることなく、ダンジョンの奥地でひっそりと、その生涯を終わらせるのではないか?
そんな――最悪な未来を思い浮かべてしまうのは、俺の性根がひねくれているからだろうか。
「(そういえば、昔、似たような童話を母親から聞かされたことがあったな)」
あれは確か――遠い昔の記憶を思い出す。
とある街に早逝した貴人を奉るために像が建てられた。
その像の瞳には蒼玉がはめ込まれ、腰に佩いた剣には大きな紅玉があしらわれ、全身の肌は金箔で覆われていた。
像は意思を持っており、貧困で喘ぐ民の姿に心を痛め、ツバメを介して蒼玉の瞳を、紅玉の剣を、金箔の肌を――飢えた民達に余すことなく施してしまう。
全身を豪奢に着飾っていた美像は、無惨な姿に変わり果て、民衆からは忘れられ、みすぼらしい姿となって朽ち果ててしまった。
――そんな童話だった。
そんな悲劇の主人公と――メロの姿が重なる。
「(果たして――あの話のツバメは、最後どうなったんだったか)」
「ロボさん……? どうしたのですか……?」
メロが送るであろう結末を思い浮かべてしまった俺は、さぞ酷い顔をしていたのだろう。
少女が上目遣いで、心配そうに俺の頬を触れた。
ふわりと、桃の香りが広がる。
「いや、なんでもない」
いささか、悲観的になりすぎていたようだ。
童話の主人公が、自分の身体を切り取ってでも民を助けたように、メロもまた困窮した者を見つければ、躊躇なく血を施すだろう。
このまま何も為せずに死ぬくらいなら――自分の手の届く範囲だけでも、救済したいと願う心はまごう事なく美徳であり、偽善と切り捨てることなど出来ない訳で。
「お前は、自分の好きなように生きろ――可能な限り、手を貸してやるから」
俺もメロに倣って、白い頬に手を添えてやると、メロは俺の手の平に自身の頬を押し付け、幸福そうにはにかむのであった。
本来こんな所に存在してはいけない彼女の偉業は、恐らく殆どの者に知られることはないだろう。
だからこそ――せめて、隣にいる俺が、それを覚えておこう。
童話のツバメがどのような末路を迎えたのかは思い出せない。
でも、俺がツバメならきっと――そうするはずだから。