28 毒で毒を洗う
場所は変わって、回廊から休憩室へ。
寝台の上に地下生活者の女を寝かせ、その脇にメロと俺が立ち、入口付近には野次馬としてついてきた地下商人が陣取っている。
地下生活者は今もなお、苦渋に顔を歪めながら、「カバ……ブロ……」と呻きながら宙をひっかいている。
この苦しみを鎮めることが出来るのは魔薬以外にはありえないと言うように。
自身をこんな醜い身体に作り替えたのは、他でもないその魔薬であるにも関わらず。
「メロ、本気でやる気なのか?」
「はい」
何度目になるかに分からない問いかけに、メロもまた何度目になるかに分からない答えを返す。
メロは地下商人から、鉄鍋、水の魔水晶、火の魔水晶を購入すると、魔力を注いで火を起こす。
次いで魔力を注いで生成した水を張った鉄鍋を熱して沸騰させると、魔薬が染み込んだ注射器を分解して、煮沸消毒をする。
「…………っ」
メロはゴクリ――と喉を鳴らした末に、意を決して、針を腕に刺し採血する。
注射器の中はメロの鮮血で満たされ、今もなお魔薬の末期症状で苦しんでいる地下生活者の腕に輸血――
「待て」
「ロボさん……」
――する直前。
俺は辛抱ならず、メロの腕を掴んで制止した。
「自分がしようとしている事の意味を、本当に理解しているのか?」
現代医療においてさえ、人間間の輸血技術は確立されていない。
高い確率で被輸血者は、拒絶反応を起こして死亡する。
血縁者間での輸血だと、成功率が高い傾向にある――という事しか分かっていないのだ。
俺はメロの血によって何度も窮地を救われたが、それは経口摂取によるもの。
今メロが行おうとしている輸血行為では、話が違ってくる。
もしメロの血が彼女と適合しなければ、地下生活者の女は死亡する。
つまり――メロが彼女を殺したことになるのだ。
その重みを――人殺しになる覚悟を――コイツは理解しているのかと、俺は目で訴える。
「はい――例え私の行いによって、私が彼女を殺すことになろうとも、私は私の選択に後悔はありません。むしろ、助けられる可能性があるのに、何もせず彼女を見殺しにすれば、私は私が許せなくなります」
メロの目は強い意思が帯びている。
しかしそれは、ただ妄信的に、なんとかなるはずだと、神に成功を祈っているだけではなく――信頼足りえる根拠によって、輸血が成功するという、確信めいたものがあるような目だった。
――メロは続ける。
「私は《癒》のスキルを持って生まれましたが、スキルを伸ばす教育を受けていないため、治癒術師のように、魔力のみで回復魔法を発動させることは出来ません。しかし血を介して、他者の傷を癒すことが出来ます」
スキルは理解・解釈・心象によって育まれる。
不変不動である法則を学ぶことで得られる〝理解〟とは別に――〝解釈〟と〝心象〟はこの世に同じ人間が2人存在しないように、十人十色であるが故、同じスキルを持つ者であっても、発現する能力には差異が現れる。
メロは《桃娘》として消費される己の人生を顧みることで、自分の血液に〝癒し〟の権能が宿ると解釈し、治癒の能力を手に入れた。
「――であればこそ、不老長寿と若返りの霊薬足りえる私の血が、輸血者に死をもたらすことなど、ありえません」
少女が握る注射器に入っているのは血液ではなく――万病を癒す霊薬。
万能薬が人に害を与えるはずがない――というメロの確固たる信念が、スキルに反映されれば、あるいは……。
「分かった……やってみろ」
「ありがとうございます」
今回に限っては、俺が彼女を甘く見ていたと反省する。
今にも死にゆく者を見て、錯乱して、とにかく何か出来ることをしなければという強迫観念によって、輸血行為などというトドメを差しかねない手段を取ったのだと、俺は勘違いしていた。
メロを人殺しにしたくないという、俺のワガママで、彼女の信念を否定しようとしていたのだ。
それはまさに――小聖女として相応しくない振る舞いという理由で、彼女を縛り付けていた金髪の女騎士と同じではないか。
「(コイツは、俺が思っているよりも冷静で、聡い子だ――達観した振りをして、諦める理由を探していた俺が、メロの意思を曲げられるはずもなかった)」
俺はメロの手を離す。
メロは改めて――地下生活者の腕に――注射器の針を挿入し――桃血を流し込んだ。
「う゛――う゛ぐうううううっ! カバ……ブロ……っ!」
果たして――
「う゛があ゛ああああああぁぁぁぁっっ!?!?」
――地上に釣り上げられた魚のように、寝台の上で地下生活者が跳ねる。
絶叫と共に唾液を撒き散らしながら、輸血する前よりも激しく暴れ出した。
「そ、そんなっ!?」
「いや、桃血は効いている!」
このまま地下生活者を放置しておけば、暴れることで自身の手足を傷つけてしまうと判断し、腰にまたがり腿で四肢を拘束すると同時に――強く閉ざされた瞼を強引にこじ開ける。
「見ろ――白目の充血が治まってきている」
魔薬中毒者の症状である、眼球血管の膨張による赤色化が沈静化し、白身を取り戻してきている。
他でもないメロの血が、魔薬の浄化に成功している証だ。
「ではなぜ、彼女はこんなにも苦しんでいるのでしょう……っ!?」
「ふむ――恐らくですが、彼女を蝕む魔薬の毒素と、メロ様の血がお互いを攻撃しあうことで、彼女の身体に負荷がかかっているのではないでしょうか?」
傍観に徹していた地下商人が考察を口にする。
「メロ様の血の方が優勢なのは確かですが、毒素もただで死んでたまるかと抵抗している訳で、毒素が完全に浄化されるまでは、この状態は続いてしまうかと……」
「そ、そんな……」
メロの血は外傷を塞ぎ、万病を癒す。
だが傷を治すのと病を治すのでは、勝手が変わってくるようだ。
女の肉体は毒素と桃血による戦争の戦場になっているがため、戦地に傷跡が刻まれる度に彼女には苦痛が伴う――ということか。
異物である魔薬の毒素があげる断末魔を代弁するように、彼女は叫び続けている。
「この状態がいつまで続くかは分かりませんが、問題は彼女の体力がそれまで持つかどうかですね」
「ど、どうすれば」
メロは次に取るべく手段を考える。
しかしメロの血の力が負荷を与えてしまっている手前、もはや俺達に残っている選択肢はないに等しい。
「痛み止めであれば、ご用意できますが」
地下商人は背嚢から、白い粉末が詰まった瓶を取り出す。
瓶には月を模した教会のシンボルが彫刻されている。
負傷した冒険者の為に教会が販売している痛み止めだ。
「いえ、この痛み止めの鎮痛作用は希釈された魔薬によるものです。中毒者である彼女には耐性がついているため、効果はほぼないでしょう」
「ふぅむ……そうなってしまいますか」
教会は魔薬を違法薬物に指定している。
だが医療分野において、希釈した魔薬の鎮痛作用は手放しがたい効力がある。
故にこの国では教会のみが魔薬の栽培が許されている。
「(聖女が魔薬を売りさばいて莫大な富を積み上げているのも、教会に限っては栽培行為が違法でないからだろうな)」
「痛み止めは使えない……でも……鎮痛剤は……他の手段でも……」
メロは落胆したかのように見えたが、予想に反して、未だ紫の瞳に絶望を宿してはいなかった。
小さな手を頤に添え、ブツブツと独り言を漏らしながら思案に耽っている。
「地下商人様、あなたが扱っている商品を全て見せて貰えますか?」
「は、はぁ? まあ……構いませんが」
地下商人はメロの指示に従い、背嚢の中身を次々と休憩室の床上に並べていく。
そこからメロが手に取ったのは、薬草と思われる草だった。
ダンジョンにも地上と同様に魔物による食物連鎖が存在する。
肉食の魔物がいるように草食の魔物が生息し――つまりは植物も自生している訳で、地下商人は利用価値のある植物を発見した際に採取していたのだろう。
「あの……紫幻花は取り扱っていませんか?」
「申し訳ございませんが……」
地下商人が忍びなさそうに首を横に振る。
「しかし、紫幻花は強力な毒花。それを一体何に使うおつもりで?」
「紫幻花は確かに毒草ですが、希釈すれば鎮痛剤の原料となります。クレシエンティア国では魔薬由来の鎮痛剤が主流故に、あまり知られていませんが」
「なるほど。魔薬対して耐性があるなら、それ以外の原料で痛み止めを調合すればよいということですな」
「ですが、私の薬学知識では、この場にあるもので鎮痛剤を作るには……はっ!? ロボさん!!」
「な、なんだ」
メロは天啓が降りてきたかのように顔を跳ね上げ、興奮気味に俺を呼ぶ。
「ロボさん――紫幻花の毒を出すことは出来ますか!?」
「ああ。俺のスキルは一度飲んだ毒を自由に生成することが出来る――なるほど、そういうことか」
御主人が言っていた。
毒も使い用では薬の一種である――と。
「《毒創》」
空の瓶に指を添え――毒腺から紫幻花の毒を流し込む。
かくして――2度目の医療行為が始まった。