27 ディアカバブロ
「お゛お゛う゛っ……う゛あ゛あぁっ゛!!」
「っ!」
生気を感じず、まるでグールじみた足取りで、メロ目掛け迫る謎の女であったが――果たして、俺達の数メートル手前で足をもつれさせて倒れ込むと、動かなくなった。
「大丈夫ですかっ!?」
「っ!? メロっ!?」
どうみても正気ではない女の身を案じ、メロは倒れた女へ駆け寄る。
彼女が何者なのか、どういう目的で俺達に接近したのか、判明していない状態で迂闊に近づくのは危険であり、俺は咄嗟にメロの腕を掴もうとする。
しかし――スルリ――とメロの細腕は俺の腕を掻い潜る。
日頃から大人から逃げるのに馴れているかのような、軽やかな身のこなし。
「ちっ!」
「う゛うぅ……カバ……ブロ……」
「どうしましょう。凄い熱です」
俺の杞憂とは裏腹に、髪の長い女はメロに危害を加えるような動きは見せない。
教会が仕向けた刺客の可能性も疑ったが、ただの行き倒れの線が濃厚になる。
迷宮魔災で遭難した冒険者だろうか?
「もしくは――地下生活者か」
地下生活者――様々な事情で、地上で生活出来なくなり、ダンジョンで自給自足の生活をしている者の相称。
わざわざ危険極まりないダンジョンを生活拠点に選択している訳なので、大抵の者は脛に傷のある奴等であり、冒険者でさえ関わることを避ける地底の住民。
「しっかりしてください。今治療しますので」
メロはナイフを取り出すと、それで己の手首を傷つけようとする。
「やめておけメロ。地下生活者に碌な奴はいない上、見返りを用意するだけの金も持ってないだろう」
「そんなの関係ありません! 目の前で苦しんでいる人がいて、どうして放っておけましょうか!」
「…………」
メロのやっていることは自己満足の偽善行為だ。
そう切り捨てるのは簡単だ。
だが――俺が今こうして生きているのもまた、メロの自己満足の偽善行為の結果な訳であり、そういう意味では、俺に彼女を止める資格はない。
彼女の好きにやらせよう。
俺は人の善意には鈍感だが、悪意に関しては誰よりも敏感な自信がある。
もしも――メロの善意を仇で返そうとしたり、悪意で利用しようとすることがあれば、その時は、俺が動けがいいだけの話である。
「くぅ……っ!!」
メロは手首をナイフで切ると、滴る血を地下生活者に飲ませる。
「う゛あ゛ぁ……お゛お゛ぁ……カバ……ブロを……お恵み……下さい……神官さまぁ……っ!」
致命傷に至る傷さえも瞬時に塞ぐ治癒力を誇るメロの桃血。
しかし――地下生活者には殆ど効果を示さなかった。
「ど、どうして……っ!?」
それでもメロは、懸命に己の生命の源を、女の口に流し続ける。
「(ん……あれは……?)」
女の近くに、何かが落ちていることに気付く。
拾い上げると――それは空の注射器であった。
コイツが倒れる前、刃物を持っていたと思ったが、どうやら注射器の針が反射して光ったものらしい。
ノコギリを武器にしている俺が言えた口ではないが、注射器を得物にしているとは到底考えにくい。
彼女のボロボロの様相と注射器に因果関係があると踏んだ俺は、残留している薬品の匂いを嗅ぐ。
独特でありながら、嗅ぎ慣れた刺激臭。
脳裏に浮かぶのは、御主人の研究室で満開に咲く紫の花畑の光景。
「魔薬――――いや、粋妖魔薬か。地下生活者にまで流通しているとは、手広くやってやがる」
「魔薬!? 教会が禁止薬物にしているしている強力な幻覚剤のことですか!?」
まあ――魔薬を魔薬密売人を仲介させて国にバラまいているのは、他でもない教会――正確にはお前の母親なのだが……。
「それに目を見ろ」
「わっ……痛そうです」
地下生活者の瞼を強引にこじ開けると、白目の部分が余すことなく赤く充血している。
魔薬中毒者の典型的な症状の1つであり、真っ赤に変色した眼球が、まるで悪魔の様相であることから、古代では魔薬を食べると悪魔憑きになると言われ恐れられてきた歴史がある。
「間違いなく魔薬中毒者だ――それも末期の」
神経衰弱に意識錯乱、呂律も回らず目の焦点も合っていない。
白目の充血具合からして、既に末期症状なのは確定だろう。
こうなってはもう助からない。
「しかしロボ様――今あなたが口にした粋妖魔薬とはなんでございましょう? 魔薬とは別の薬物なのですか?」
粋妖魔薬――というワードに反応した地下商人が口を挟む。
「魔薬は乾燥させ紙巻きにして喫煙するスタイルが主流だが、溶液化させ静脈注射で直接血中に取り入れるものを粋妖魔薬と呼ぶ」
「これまた、随分とお詳しいのですな」
含みのある口調で感嘆する地下商人の詮索の視線を、「まあな」と適当に受け流す。
俺がこれだけ詳しいのは他でもない――粋妖魔薬を発明したのが、俺の御主人である、マッドサイエンティスト――ホセが生み出したものだからだ。
ゴーグルがトレードマークの、憎たらしい禿頭姿が蘇る。
ロス・アラクラネスは最初こそ教会から卸された商品を、路地裏で売りさばく場末の小規模売人に過ぎなかった。
だがロス・アラクラネスのボス――ザインの悪魔的な経営手腕でナワバリを拡大させ、歓楽街の支配権を獲得して莫大な活動資金を調達した。
そして、生涯の殆どを《薬》スキルの洗練に注ぎ込んだ天才薬師――ホセの手によって、ロス・アラクラネスは自社で魔薬を生産・加工・販売する手段を獲得するまでに至った。
様々な試行錯誤の上、ホセは魔薬の液状化に成功。
静脈注射による摂取方法は、従来の喫煙方法よりも即効性があり、かつ強力な快楽を使用者に提供する。
しかし同時に――それだけ依存性が高く、すぐに廃人化してしまうという欠点を抱えていた。
「ではどうすれば彼女を救えるのですか!?」
「魔薬の〝魔〟が意味するのは〝魔法〟ではなく〝悪魔〟の〝魔〟――末期症状に至った中毒者を救う手立てはない。そうでなければ、教会が躍起になって取り締まったりなどしない」
外傷を癒す奇跡の血も、魔薬を浄化するまでには至らない――か。
これ以上の出血はメロの生命に関わる。
ただでさえ、俺の傷を治すために連日血を消費しているのだ。
俺はメロを止めるものの――しかし、メロの目はまだ諦めていなかった。
「血管に直接薬を流すことによって、魔薬は効力を向上させたのですよね」
「そうだな」
「だったら……っ!」
メロが目を付けたのは――魔薬中毒者の女が後生大切に握りこんでいた注射器。
「まさか……おいっ!」
「私の桃血を、直接彼女の血中に送りこみ、血に住み着いた悪魔を祓います!」