26 銀より桃を可愛がる
【前回のあらすじ】
ロボとメロは、ダンジョンに潜り冒険者相手に商売をする商人――地下商人と出会ったのであった。
「こちらの方は?」
未だ眠気眼を擦っているメロは、見知らぬ男――地下商人の存在に気付くと、そちらに目を向けた。
「申し遅れて申し訳ございません――わたくしはしがない地下商人でございます。どうぞご贔屓にくださると幸いでございます」
「エル……トポ……?」
「冒険者相手に商売するダンジョンの商人だ」
「まあ、そうなのですねっ! 私はメロコテ――」
「待て」
「んぐっ!?」
馬鹿正直に本名を名乗りかけるメロの首根っこを掴んで制止する。
地下商人は俺が《毒狼》と呼ばれる殺し屋であることも、メロが教会の小聖女であることも知らない様子だ。
しかし、こんな所にやんごとなき身分である小聖女がいることがバレれば、地上でどのような騒動に発展するかは自明の理である。
その相手が情報さえも金に換える行商人であればなおさらに、メロの正体を明かすのは危険である。
幸いなことに、メロはまだ幼いこともあり大衆への露出は限りなくゼロに近い。
メロの顔を知っている聖都市民は、聖女の直属の配下を除けば、教会の中でも上層部くらいであろう。
「(本名を言うなバカ)」
地下商人に聞こえないように耳打ちする。
「こいつの名前はメロだ」
「そ、そうです。メロと呼んでください」
メロもようやく、本来であれば自分がここにいてはいけない身分であることを悟り、口裏を合わせた。
「左様でございますか――どうぞよろしくお願いいたします、メロ様」
地下商人は商人特有の鋭さで、俺達が嘘をついていることを薄々察してはいるようだが、特に詮索はせずに話を続けた。
「して――何かご入用はございますかな?」
「あの、桃はありますか?」
メロは期待を込めた顔で地下商人に尋ねる。
魔物を生食しても腹を壊さない俺と違い、メロの胃袋は桃しか受け付けない偏食仕様。
食料の確保が最優先事項であることに変わりないが、流石にダンジョンに痛みやすく取り扱いに困る桃を用意しているはずが――
「はい、取り扱ってございます」
「(あるんかい)」
――地下商人は大きな背嚢から、行李に詰まった桃を取り出した。
軽く見積もって10個はある。
「よくそんなものをダンジョンに持ち込もうと思ったな」
「保存食ばかりで舌が刺激に飢えている冒険者様にとって、鮮肉や青果もまた、売れ筋商品でございますから」
だとしても、あまりにも都合が良すぎるような気もする――が。
ダンジョンで新鮮な桃を入手する手段など限られている。
ここは神の思し召しとやらに感謝することにしよう。
「ロボさん、その……お金とか持ってたりします?」
「ない」
持たざる者である奴隷が、蓄えるべき物の代表格である貨幣を持ち合わせている訳もなく。
対極の存在ではあるが、身の回りのあらゆることを召使いに任せているメロもまた、同様であった。
「あっ、でもこれとかお金になるのではないでしょうか?」
メロは身に着けている指輪を外すと、大人の小指にもはまらないであろう、穴の小さな指輪を差し出した。
「ほう――少し拝借」
地下商人は指輪を摘まみ上げると、フードの奥から目を光らせて目利きを行う。
「これは純銀ですな。彫刻も繊細で美しい」
地下商人に限らず、大抵の商人は《鑑》のスキルを持っている。
見ただけで物質に含まれる素材を見抜くことが出来るスキルだ。
故に商人を出し抜くのは非常に難解なのである。
「ではこのくらいでいかがでしょう?」
地下商人は査定額を告げ、クレシエンティア銀貨を取り出す。
「聖職者に吹っ掛けて徳を落としても知らないぞ」
「これでも勉強させて頂いてるつもりでございます」
やはり足元を見られているが、向こうも折れない。
世間知らずなのがバレバレなガキと、奴隷のコンビ。
舌戦ではあまりにも部が悪く、結局メロは言い値で指輪を売却した。
それでも地上なら一ヶ月は生活出来るだけの額なので、これからのダンジョン生活に必要なものを買い揃えるのには困らないだろうと――溜飲を下げることにする。
例の如く桃も、地上の八百屋と比べて数倍の値段がしたが、ダンジョン価格だと諦める。
メロも特に気にした様子もない。
「(こいつの場合は、金銭感覚が一切育まれていないからだろうが……)」
「あなたのおかげで助かりました! ありがとうございます! どうか親切な商人様に|月の女神の祝福があらんことを《ケ・ラ・ディオサ・デ・ラ・ルナ・テ・ベンディガ》」
メロはほくほくとした顔で桃を抱きかかえると、地下商人に深々と頭を下げた。
その一切の曇りのない笑顔と、流暢に唱える警句で、商人が真っ先に売り飛ばすと言われている良心が蘇ったのか、地下商人はなんだか複雑そうな、それでいて申し訳なさそうに口元を歪めるのであった。
「その……次は値引きさせて頂きますので、これからもご贔屓に」
と――良心の呵責を少しでも慰めるような一言と共に。
流石に地下商人も、疑うことを知らない純粋無垢な少女を吹っ掛けてしまったことに、罪悪感を覚えているようだ。
「なら、俺達はしばらくこの休憩室を中心に活動するつもりだ。今後も定期的に桃を用意してくれ」
「は、はい。かしこまりました」
――ザリッ。
「っ!?」
桃が傷まないよう丁寧に背嚢に収納すると、回廊の奥から――何者かが近づいてくる音を察知する。
背嚢を正面に抱きかかえるメロを背後に押しやり、得物の柄に手をかけた。
「ロボさん……?」
「何かが近づいてくる。不規則なすり足――警戒しろ」
地下商人もまた、纏っていた慇懃な雰囲気を、既に剣呑なものに切り替えている。
果たして――出現したのはボロボロの女だった。
「あ゛ぁ……く、薬……カバ……ブロ……」
回廊の奥から――足音の正体が姿を見せる。
髪はボサボサで、服も随分と汚れており、歩き方も視線もどこか覚束ない。
人間であることは確かだが、どこかグール染みた印象を抱く。
「あ゛あ゛っ! 教会の神官……さまぁ!!」
女は垂らした長い前髪の隙間から、メロの姿を認めると、こちら目掛けて走り出す。
更に――握りこんだ拳が、回廊に等間隔で取り付けられている魔光石の光で、キラリと反射したのを見逃さなかった。
「(刃物を持っている!)」
女を排除する敵と見なし、俺は背中に収納した鋸鉈を展開した。