25 ダンジョンモグラ
ダンジョン生活3日目の朝。
「すぅ……すぅ……」
「(熟睡できているようだな)」
目を覚ますと、懐にはメロが規則正しい寝息を立てながら、気持ちよさそうに眠っていた。
2日連続で湯浴みを行っていないにも関わらず、メロからは桃の花のような良い香りが漂っており、休憩室全体が芳とした香で包まれる程であった。
桃のみを食べて育てられた巫女は、血や肉にとどまらず、唾液や汗や尿に至るまで香しさを纏い、霊薬と成りうる神秘を帯びる。
老廃物という概念から既に、彼女には存在しないのかもしれない。
「むにゅう……ロボさん……はやく、かわを、むいて……くらひゃい……」
「(ご機嫌な夢でも見てんのか)」
懐中時計を確認すると時刻は午前8時。
しかし空間を満たす全身を弛緩させる匂いと、懐に潜り込んでいるガキ特有の高い体温、そして少女の安らかな寝顔を妨げることへの罪悪感が――俺を二度寝に誘う。
「(でも……念のため確認しておくか)」
しかし俺は、覚醒したときから感じている懸念点をどうしても払拭したく、起床することを選んだ。
メロを起こさないようにそっと、枕にしている腕を引き抜き、寝台から降りる。
「……やはり、誰かいるな」
感じている懸念点――それは休憩室の外にいる何者かの気配。
魔物か、人間か――人間だとすれば、それは俺達に害を与える人間か否か。
いつでも得物を抜けるように、背中のホルスターに腕を差し込みながら、壁に埋め込まれた釦に魔力を注いだ。
扉が開錠し、ダンジョンの回廊を出ると、数メートル離れた場所――回廊の壁を背にし、1人の男が胡坐をかいて座っていた。
「おや。おはようございます――冒険者様」
俺の存在に気付いた懸念は――ペコリ、と会釈する。
襤褸の外套を羽織り、目深に被った頭巾で顔の上半分を隠した男。
近づくと――男の隣にはポーションやら、聖灰やら、包帯やらが、敷物の上に陳列されていることに気付く。
反対側には内容量がありそうな背嚢も抱えていた。
「地下商人か」
「仰る通りでございます、冒険者様」
地下商人――ダンジョンと地上を行き来する行商人である。
商売相手はダンジョンに潜る冒険者であり、ダンジョン攻略に必要な消耗品などの販売をしている。
また、買取業も行っており、持ち運びにかさばる大型魔物から摘出した魔石や、希少価値があるがやはり荷物になる魔物の素材などを、金貨や貴金属などの小さなものと交換してくれる。
ただ彼等も危険を侵してまで、ダンジョンで慈善事業を行っている訳ではないため、相場よりも数割安く買い叩かれてしまうのだが、身軽になることはそれだけ生存率の向上に繋がるため、地下商人を頼る冒険者は少なくない。
「使用中の休憩室をたまたま発見したものですので、何かお役に立てればと思い、こうして出待ちさせて頂きました」
「迷宮魔災があったばかりだというのにか?」
「何を仰いますか――だからこそ稼ぎ時なのですよ。特に地上までのルートを記した最新の地図なんかは飛ぶように売れるものです。羊皮紙の仕入れ値を考えれば、命を張る価値もあるというものでございます」
「商魂逞しい限りだ」
「冒険者様も1枚いかがですかな?」
ダンジョンでの逃亡生活を送っている俺とメロが、地上に出ることはない。
地下商人の提案を断ると、フードの下で口元を残念そうに歪めるものの、すぐに気を取り直して、商人特有の、慇懃ながらも足元を掬わんとする笑みを浮かべた。
「(モグラというよりはタヌキだな)」
「では他に何かご入用はございますかな?」
地上までの脱出ルートを記した地図は不要とはいえ、これから地下生活を送る身。
必要となってくる物は多い。
そういう意味では、地下商人と出会えたのは僥倖と言えた。
しかし――
「(金がない……)」
――奴隷である俺は金を持っていなかった。
さてどうするかと悩んでいると――
――ズルズルズル
――石板が地面を擦るような音と共に、休憩室の扉が開いた。
「ロボさんっ!!」
「うおっ!? メロっ!?」
メロは休憩室から飛び出すと、きょろきょろと左右に広がる回廊に首を巡らせ、俺の姿を認めるや否や、全速力で懐に飛び込んでくる。
「うう……勝手に、いなくならないでください……っ!」
メロの大粒の瞳は涙が滲んでおり、俺が勝手にいなくなったことへの不満と、俺と再会できた安堵を含んだ表情を浮かべている。
「悪かった――もうしない」
「絶対ですよっ!」
気持ちよく眠るメロを起こさないように気を使ったのに、逆に最悪な寝起きにしてしまったことを反省する。
未だ腰にしがみつき、涙目で睨みつけてくるメロの目尻を、指先で拭ってやると「反対側も拭いてください!」と要求してくるので、「はいはい」と言いながら、せめてもの償いとして大人しく従うのであった。
「おや――そちらの可愛らしい御嬢様が、あなたの御主人様ですかな?」
俺とメロのやり取りを微笑ましく見守っていた地下商人が会話に入る。
実際に首輪を通して生殺与奪の権を握っているのは、麻薬密売組織なのだが、勘違いさせた方が都合がいいので、訂正はしなかった。