20 目に見えない毒
「目に……見えない……毒だと……!?」
自分が中毒に陥った絡繰りが気になるようで、ローザロッタは身を捩りながら俺を睨みつけ、続きを促す。
「決闘が始まった時から――いや、あんたが剣呑な雰囲気で俺達の前に姿を現したときから、俺は既に毒を撒いていた」
不可解な理不尽に苦しむ女騎士を前に答え合わせをする。
俺が用いた毒は――気化毒。
常温で気化し、かつ空気よりも軽く、それでいて空気中に散開せず天井に留まる毒ガスだ。
「俺は《毒》のスキルで毒を含んだ息を吐き続けていた。それは玄室の高い位置に留まり続け、あんたはそれを知らず知らずの内に肺に取り込んでしまったという訳だ」
お茶を濁すような問いかけを続け時を稼いでいたのも――
メロコティーニャに身を屈めているように忠告したのも――全ては玄室に毒を充満させるため。
まあ、毒がメロコティーニャの頭の位置まで溜まる前に、決着はついたのだが。
無論、俺に毒は効かないため、俺は毒で充満した玄室でも問題なく動ける。
「気化毒だと……目に見えない毒を作りだす程に、《毒》のスキルを磨いてきたというのか……よもや《毒狼》、これほどとは……」
「それは無から剣を作り出すあんたも同じだろ」
実のところ気化毒の生成術は前々から習得していたのではなく、毒王ベラドンナの未知の毒を受けたことで、毒への理解度を深めたことで、なんとか出来るようになった芸当だった。
それに毒ガスの生成は決闘の開始前から始めていた。
つまりは完全な決闘の形式であれば、俺は負けていた訳であり、やはり俺が勝てたのは騙し討ち上等の殺し屋の戦い方をしていたからだ。
挙句メロコティーニャの血がなければ俺も出血死していた訳であり――ローザロッタはこれまで戦ったどの冒険者よりも強かったと、認めざるを得ない。
「ロボさん、ローザの無礼を承知でお願いがあります。その、トドメは……」
メロコティーニャが上目遣いで俺を見つめ、ローザロッタの助命を懇願する。
1度ならず2度も命を救ってもらった手前、無下にすることもできない。
「はぁ……分かった。この毒は早い段階で体外に排出される。このまま身を低く屈めていれば、数十分で動けるようになるだろうよ。まあ、それまで苦しんだままでいて貰うが」
「情けを……かけるのか……?」
「礼ならこのガキに言うんだな」
「メロコティーニャ……様……どうして? ワタシは……貴方様に……刃を……向けたのですよ……?」
メロコティーニャは身を屈め、ローザロッタと視線を合わせる。
「ローザ、あなたの教育によって、私はルナルシア月教の教えを覚え、小聖女としての自覚を得ることが出来ました。私を膝の上に乗せ、聖典の読み聞かせをしてくださった時間、庭園で花冠を作ってくれた時間は、鳥籠に囚われた鳥の如く、大聖堂の外に出ることの許されなかった私にとって、数少ない心安らぐ楽しい時間でした」
メロコティーニャはローザロッタの手の上に、そっと己の小さな手を重ねながら続ける。
「聖女の務めで忙しいお母さま――いえ――私を道具として扱い、娘として見てくれなかったお母さまの代わりに、貴方のことを、姉や母だとさえ……思っていたのです」
「メ、メロコティーニャ……様ぁ……っ!」
ローザロッタの目尻に涙が溜まっていく。
「ですが、私は見てみたいのです――大聖堂の外の世界を。私に時間をください。お願いします!」
「ぐ、ぐぅ……うぅ……ううううぅ……っ! メロコティーニャさまぁ……! ワタシは……あなたのような慈愛に満ちた聖者に、なんという愚かなことを……っ! 真に教会の未来を憂うなら……私が刃を向けるべきだったのは貴方ではなく――」
ローザロッタの目からはボロボロと涙が零れ落ち、そのまま床に水溜まりを作っていく。
「ですから……不良娘の放蕩をお許しください」
「ぐぅ……《毒狼》……いや……ロボ・ベレニハーノ」
「なんだ」
ローザロッタは涙で頬を濡らしたまま、俺に視線を向ける。
「メロコティーニャ様の御身、貴様に預ける。くれぐれも、メロコティーニャ様を御守りしろ」
「元よりそのつもりだ」
メロコティーニャは俺と同じ境遇でありながら、同時に俺が身に着けることの出来なかった強かさを持っている。
だから――俺も抗いたいと思った。
奴隷として命じられるがままに殺し屋の仕事を遂行する――クソみたいな運命から。
ただ亡者のように生きているだけでは、血肉となった兄弟の分まで生きているとは言えない。
それをメロコティーニャの献身が教えてくれた。
「メロコティーニャ様、どうかご無事で」
「はいっ!」
俺とメロコティーニャは横に並んで、玄室を後にする。
その直前に、最後にローザロッタに呼び止められる。
「ロボ……貴様……あと何日……残ってる」
具体性のない主語の抜けた問いかけ。
しかし――ローザロッタの問いの真意を即座に把握する。
「…………28」
「そうか……それまで、預けるぞ」
「ロボさん?」
「なんでもない。行くぞ」
「え、あっ、待ってください!」
こうして今度こそ、俺とメロコティーニャの、己の運命に抗う、ダンジョンでの生活が始まるのであった。




