11 《蠱毒》の青年と《桃娘》の少女
――グラグラグラグラ!
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
突如としてダンジョン全体が、悲鳴をあげるように震えだした!
立っていられない強い揺れに、メロコティーニャもローザロッタも、護衛の騎士団も余すことなく石畳の上に倒れ込む。
ローザロッタはこの現象が魔物の襲撃だと判断し、目ざとく周囲を観察する。
しかしダンジョンに起こっている異変は地震だけではなく、まるで粘土を捏ねるように、壁や床や天上が崩れていくではないか。
「これは魔物の襲撃ではない……迷宮魔災かッ!? 寄りにもよってこのタイミングで!」
約10年に1度のペースで訪れる、ダンジョンの大改修工事。
「(このままでは散り散りになる。せめてメロコティーニャ様の御身だけでも保護しなくては!)」
迷宮魔災に巻き込まれても、身が触れ合っていれば離れ離れになることはない。
上下の振動と激しい回転によって、役に立たなくなる三半規管。
騎士としての気合と経験で、平衡感覚を失っている身体を無理やりに動かし、小聖女へ手を伸ばす。
「メロコティーニャ様! お手を! 我が身に変えても御守りします故に!」
あと少しで絹の法衣の裾に手が届く。
「(ここでメロコティーニャ様を見失えば、責任を取らされ私の首は間違いなくミリャルカ様によって切り落とされる――)」
些細なミスで機嫌を損ね、粛清を受けたかつての同僚たちの姿を思い浮かべた時、ローザロッタは、はっとする。
「(――よもやこの期に及んで、真っ先に思い浮かべるのがメロコティーニャ様の安全ではなく、己の保身とはな……私の信仰も地に落ちたものだ……!)」
彼女も昔は、純粋に女神を称える敬虔な信徒であった。
権謀術数蠢く大聖堂の空気と、聖女の粛清を恐れ、いつの間にか、信仰よりも我が身を可愛がるようになっていたことを、こんな時に思い知らされる。
これから死にゆくことを察しているにも関わらず、他者に救いの手を差し伸べる選択を取れるメロコティーニャの善性を目にしたのが原因であろうか。
「(何が『我が身に代えても御守りします』だ。僅か10歳の少女を殺し屋に差し出そうとしている癖に、何を以て守護するというのだ……! メロコティーニャ様を見よ! このような状況下においてもなお、ワタシが下賎と吐き捨てたあの冒険者の身を案じているというのに!)」
今更になって浮かびあがる後悔の念が、ローザロッタの動きを鈍らせた。
その一瞬の迷いが、数センチの距離を――永遠にも等しい距離へと断絶する。
――ぐにゃり。
「ぐぅ!?」
柔く変化した床に下半身を引きずりこまれ、底なし沼のようにどんどん飲み込まれていく。
既に小柄なメロコティーニャ様の身体は殆どのみ込まれており――やがて――意識が――
***
「うう……私はなぜこんな場所に? 確か、いきなりダンジョンが崩れて、床に飲み込まれてしまい……」
――数時間後。
迷宮魔災が収束し、再構築されたダンジョンの玄室にて、小聖女メロコティーニャ・ルシアは覚醒する。
「あの冒険者の方は!? ローザ!? 聖血騎士団の方々!?」
等間隔に並ぶ魔光石の輝きで視界は開かれている。
しかし正方形の形をした玄室に、自分以外の姿は見られない。
「どうしましょう……結局、あのお方の治療をすることが出来ませんでした……」
己の無力さに改めて歯噛みした――その時。
――キィィィィ。
と。
玄室と回廊を繋ぐ扉が開かれ、中から1人の青年が入室する。
「あなたも、迷宮魔災に巻き込まれてしまったのですね」
「驚いた……これは……なんの偶然だ……」
メロコティーニャはその青年を観察する。
歳は20前後、背丈は170センチ半ばくらいだろうか。
特に目を引くのは、脱色した総白髪の髪に、同じく色を失った白濁の瞳。
身に纏っているコートは、まるで刃物の引き裂かれたように所々千切れており、虫食いにあったように穴が空いている箇所もある。
右手には鉈のようなものが握られているが、その刃はまるで肉食獣の牙のようにギザギザとしているのが特徴的だった。
彼女は知らない。
目の前にいる青年こそ――迷宮魔災が起こらなければ、自分を殺すことになっている殺し屋であることに。
しかし青年は知っている。
目の前にいる幼女が――迷宮魔災が起こらなければ、自分が殺すことになっている小聖女であることを。
「……寂しそうな目」
メロコティーニャは思わず、異様な出で立ちの青年を見て、思ったことを口にしてしまう。
「小聖女メロコティーニャ・ルシアだな」
「私のことを、御存じなのですか?」
「俺はロボ・ベレニハーノ。あんたを――――殺しにきた」
それが――《蠱毒》を施された殺し屋の青年と、《桃娘》を施された小聖女の少女との――邂逅でだった。