第37話
「どうしたのノ……」
「シッ!」
ノアは私の声を抑え込む様に、また私を抱きしめた。
その時どこからか、『ギッ、ギッ』という音が聞こえた。
耳を澄まさなければ、聞こえない程の音だが、微かに聞こえる方向に私達は顔を向けた。そこには、壁一面の本棚がある。
ノアは私に小さな声で、
「寝室に入って鍵を閉めろ。なるべく音を立てずに早く!」
と私を離して、背を押した。
私はトトッと二、三歩前に体勢を崩しながらが進む。
振り返ると、ちょうどノアが剣を抜く所だった。
私の視界に本棚がギ……と音を立て動いているのが見え、その隙間から小さな光が漏れた。
今の時間は夜半過ぎ。この部屋は既に明かりが消され、小さなランプの光だけだった。
本棚から漏れる光もごく僅かだが、そこに人影の様な影が浮かび出る。
本棚が扉のように少しずつ慎重に開かれていった。
私は誰かが侵入してくるのだと、咄嗟に理解した。
グズグズしている私にノアが『早く!!』と口の動きと手振りだけで示す。
ノアの事が気になるが、陛下も心配だ。私は後ろ髪を引かれつうも、そのまま駆け出し陛下の寝室に飛び込んだ。
急いで扉に鍵を掛け、寝台の陛下の元へ駆け寄る。
「陛下!陛下!」
私はあまり大声は出さず、陛下の肩を揺する。
陛下の瞼が震え、ゆっくりと目が開く。陛下は頭は動かさず、視線だけを私に向けた。
「陛下、何者かが侵入しました」
私は単刀直入に伝えた。
私の言葉に陛下は何か言いたそうに唇を動かす。口が渇いているのか、上手く言葉が出ない。
私は水差しからグラスに水を注ぎ、陛下の肩の下に手を差し入れてから体を少し持ち上げる。
口元にグラスを近づけると、陛下は少し水を飲んで喉を潤した。
「……ニコル、お前は逃げなさい。ここには隠し通路に通じる、抜け道がある」
震える声で陛下は言った。
「ならば陛下も一緒に!」
私の言葉に陛下は目を閉じ、首を小さく横に振った。
「私は上手く歩けない。二人して死ぬことはない」
「私が支えますから!」
「ダメだ。ニコル、これは命令だと思え。隣の部屋の本棚の……」
そう言いかけた陛下の言葉に私は青ざめた。
「陛下……侵入者はその隠し通路を知っていたようです……」
私がそう言うと、陛下は
「まさか……」
と絶句した。
暫くすると、隣の部屋から物音が聞こえた。剣を打ち合う音、ドサッと何かが倒れる様な音……。そして、怒鳴り合う声。
私はノアが心配で、思わず手を強く握る。
「侵入者に近衛が対応してるのか……?」
陛下の声は掠れている。私も緊張で喉が渇く。
「ノアが……。廊下には近衛は居ませんでした」
「何故廊下に護衛が居ない?」
それは私も疑問に思っていた事だったが、私も答えは持っていない。
「分かりません」
そう言って私は首を横に振った。
『ドンッ』
何かが寝室の扉に激しくぶつかる様な大きな音がする。私の体はビクッと大きく跳ねた。
「ここにはもう逃げ場がない。あそこのクローゼットに隠れるんだ」
陛下は震える指で寝室の奥を指差した。
私はその手を握る。
「処刑されると……そう覚悟した命です。私はここに……陛下と一緒に居ます」
陛下は私の言葉に物凄く悲しそうな顔をした。
空いているもう片方の手を私の手に重ねる。そして静かにこう言った。
「私は……お前の父親ではない。赤の他人だ」
その言葉に私は雷に打たれた様なショックを受けた。陛下はなおも続ける。
「お前が……私を父親と重ねていたのは分かっていた。私も……カサンドラを亡くしてから、誰からも温かな愛情を向けられる事がなかったからか、お前の向けてくれる親愛に甘えてしまっていた。早く……お前を解放してあげるべきだったと後悔しているよ……だが、お前の手がとても温かくて離し難かったのも事実だ。ほんの少しの間だったが、家族になれて嬉しかったよ」
「私は……陛下を……」
無意識に私は陛下の中に父親を見ていたのかもしれない。陛下に言われるまで気付けなかった。私は……まだ見ぬ父を……陛下に求めていたのか……。
「泣くな。お前は諦めてはいけない。さぁ、隠れろ。相手の狙いは私だけだ。私に何が起きてもクローゼットから出てくるんじゃないぞ」
頬を涙が伝う。ここで陛下とお別れなのかと思うと、涙が止まらなかった。
そう言った陛下は私の手を離すと、力を振り絞る様にして起き上がった。
「陛下……?!何を?」
「ノアをみすみす殺される訳にはいかない。私が出て行けばこれは終わる」
陛下はそう言いながら体を動かすと、寝台から降りようと足を床に付けた。しかし、その足には力が入らず陛下は床に崩れ落ちる様に倒れた。
「陛下!!」
「触るな!お前は隠れていろ!」
助け起こそうとする私の手を振りほどいた陛下は、そのまま床を這うようにして進む。私はその姿を泣きながら見ている事しか出来なかった。
しかし……その時、
『ドンドンドン』
と寝室の扉を叩く音が聞こえた。私も、陛下も一瞬動きが止まる。
今の音は、明確に誰かによって叩かれた音だ。さっきまでの様に、何かがぶつかる様な音ではない。
「侵入者なら……この扉を物理的に壊して入るだろう…」
陛下の呟きと同時に、
「ハァハァハァ……もう……大丈夫だ……」
と言う途切れ途切れのノアの声が聞こえた。




