第32話
夜になっても、何もする気が起きない。
ノアが反乱軍の一員かもしれない。……だからあの時、公爵の顔を見て逃げたのだ。
公爵も殆ど王宮に顔を出さなかったとはいえ、近衛の……ましてや貴族のノアの顔ぐらいは知っていたと考えるのは自然だろう。
ランプを一つだけ。カーテンを閉めた部屋はとても暗いが、今の私にはピッタリだ。
物凄く孤独を感じる。物心ついた頃から側にはアダンとレイラが居て……口煩い女将さんが居た。
食堂の二階が私達の部屋だったからか、夜遅くまで騒がしくて……。決して裕福ではなかった。辛い事もたくさんあった。夏は暑く、冬は寒い部屋は快適とは程遠くて……。でもこんな風に孤独を感じる事は無かった。
私は長い時間腰掛けていた椅子から立ち上がり、バルコニーへ繋がる扉を開けた。
目の前には大きな木がある。ノアに抱きかかえられて降りた木だ。
三日間上り下りをしたのだから、今なら一人でも降りられそうな気がした。秘密の通路も知っている。
「逃げちゃおうかな……」
そう小さく呟いた私の耳にノックの音が聞こえた。
私は急いで扉とカーテンを閉め、入り口に近づく。
「はい」
「私だ。開けてくれないか?」
陛下の声が聞こえた。私は直ぐに扉を開ける。
「侍女は居ないのか?」
私が自ら扉を開いた事に驚いた陛下が尋ねる。
「……落ち着かないので、いつもは一人にして貰っているのです」
マギーと険悪なので……とは言えなかった。
陛下はランプ一つしか灯していない暗い部屋を覗き込んだ。
「暗いな……」
「あ、すみません。直ぐにランプを……」
私が背を向けようとすると、
「まず……入っても良いかな?」
と陛下は微笑んだ。
「どうぞ、お掛け下さい」
ランプを明るく灯した部屋に陛下を招き入れた。
「ありがとう。……大丈夫か?」
陛下は椅子に腰掛けるなり、私に尋ねる。
「ええ。大丈夫ですよ」
本当は全然、大丈夫ではない。ノアの裏切りに私の胸は潰れそうだった。
「これ。少しだが」
陛下は手にあったバスケットをテーブルに置いた。
「これは?」
「菓子だ。お前が珍しく夕食を食べなかったと聞いてな。作らせた。厨房の者達も心配だったようだ」
いつも完食する私が夕食を食べなかった事は、どうも一大事だった様だ。
私はバスケットの菓子を一つ取り出し手に乗せる。陛下は私に食べる様に促した。
「美味しい……」
一口食べると、甘さが体に染み渡った。陛下の気遣いも相まって、私は胸がいっぱいになる。無意識に頬に涙が伝っていた。
「どうした?何かあったのか?」
陛下が私の頬の涙を指で拭った。
「いえ……少し疲れただけです」
全てをぶちまけてしまいたい。しかし私はノアの裏切りを陛下に言う事は出来なかった。
「お前が元気がないのは珍しいな」
陛下はほんの少し口角を上げたが、まだ心配そうな表情で私を見ていた。
私は自分自身をも騙す様に微笑んで、
「もう!私だって、いつもいつも元気な訳じゃないですよ!」
そう言って膨れてみせた。
そんな私を見て、陛下は何故か辛そうな顔をした。
「言いたくない事は言わなくて良い。無理はするな」
私の心を見透かされた様で、私は俯いた。涙が溢れる。
私が落ち着くのを、陛下は黙って見守ってくれた。
そして陛下は徐ろに私に言った。
「離縁を……離縁をしよう」
私は勢いよく顔を上げた。頬はまだ濡れたままだ。
「り……えん?」
「そうだ。お前は巻き込まれただけだ。自由になれば良い」
「で、でも……」
私は突然の陛下の申し出に戸惑う。離縁?最近、歴史の本を読むようになって、王族の成り立ちや、この国の法を学ぶ機会が増えた。私の記憶が確かなら王族の離縁は認められていなかったのではなかっただろうか?
「悪かったな……私達の我儘に付き合わせた。貴族が嫌われる理由がよく分かる」
「でも、王族の離縁は認められていないのでは?」
私がそれを知っている事を意外に思ったのか、陛下は少し驚いた顔をした。
「そうだ……だから今直ぐという訳にはいかない。議会の承認が必要だ。だからもう少し辛抱してくれ」
そう言った陛下は私の頭をポンポンと撫でると、バスケットを差し出して、
「もう少し食べると良い」
と微笑んだ。
私はまた一つ、菓子を手に取る。
「砂糖は品薄だと聞きました……」
「よく知っているな。確かに。元々我が国では砂糖の生産は少ない」
「かつての最大の輸入先は……メドレス王国」
「ほう……よく勉強している。その通りだ。だが、現状はお前の知る通り。メドレスからの輸入は止まり、砂糖を産業の要としている他の国とうちの関係もよろしくない。自国の生産に頼るしかないが、今の我が国の状況は厳しい」
「生産者が反乱軍に加担している者も多くなっています」
「そうだな。我が国の未来は……いや、私が消え去れば問題ないのかもしれない」
私はそう言った陛下の手を握って首を横に振った。
「難しい事は私には分かりませんが……これからこの国が変われば良いのではないですか?支配者が代わる事だけが、この国の未来を明るくする術ですか?」
私の言葉に陛下はとても悲しそうな顔をして、一言。
「それが可能なのは私ではない……」
と震える声で小さく呟いた。




