対等でいたいので、婚約破棄して下さいませ
「一生に一度のお願いです。どうか婚約破棄させて下さいませ」
ベッドの上で背筋を伸ばした私は開口一番に言い放った。
「ルイーズ……」
婚約者であるスタン王太子が、苦しそうに顔を歪ませる。
優しいあなたは、この状態の私と婚約破棄だなんて良心が痛むのだろう。
じくじくと私の傷口と心も痛む。
数日前、スタンの誕生日パーティーでのことだった。パーティー客であった男爵が突然隠し持っていた短剣を抜いた。隣にいた私はとっさに彼をかばい、右の頬から胸まで斬られたのだ。
男爵は即近衛兵に切り伏せられた。報告によると男爵は改革派であったらしい。元は平民の騎士爵であったが、婚姻により男爵位についた男であった。
改革派とは、貴族派に不満を持った一部の下級貴族の派閥だ。この国は王妃殿下、側近ともに貴族派で成っている。名門貴族だけが金と権力を持ち、国民の血税で贅沢放題していた。改革派は金と権力を好き放題する貴族派の対立勢力である。
「男爵は改革派ではない。貴族派です」
「知っています。真に改革派であればあなたを狙わず、国王か王妃を弑していたでしょう」
ふっと自嘲の笑みを浮かべようとして、頬の傷がひきつった。
男爵は改革派を装った貴族派だ。金か、忠義か、動機は知らないが、黒幕は現王妃だろう。
自称改革派の男爵が王太子を暗殺すれば一石二鳥。
真の改革派たちを危険分子として、処断する大義名分を得られる。
邪魔な第一王子が消えたことで、現王妃の子である第二王子が王太子になれる。
暗殺に失敗しても改革派の力を削げる。男爵は王族殺し未遂として異例の速さで処刑された。本当は貴族派であったという証拠はもうない。
「痛みますか」
「ええ。ですから触らないで下さい」
私の拒絶に、伸ばされた手が引っ込められる。
それでいい。心配なんてしないでほしい。優しく触れられたりしたら決心が鈍るから。
王太子は現王妃ではなく、改革派の侯爵令嬢だった前王妃の子だ。
私は貴族派である公爵の娘。私とスタンの婚姻は、改革派である王太子を貴族派に取り込んで、より貴族派の力を強めるためのものだった。
けれど私はそんなことどうでもよかった。
彼に恋してしまったから。
ただただ、彼と一緒にいられて嬉しかった。
「あなたは優しい人です。心に蓋をして私に優しく接して下さいました。きっとこれからも大事にして下さるでしょう」
愛があると錯覚するほどに。
「当り前です。これまで以上に大事にします。だから‥‥‥」
「嫌です」
前王妃は病死とされているが、現王妃の暗殺だ。王室の専属医師に手を回していて、スタンも幾度となく毒を盛られていた。
だから私とスタンの婚約は、現王妃の毒牙からスタンを守るための措置でもあった。国王陛下と父との間で、なんらかの取引があったらしい。
有力な貴族派で、宰相でもある父の庇護下に入れば、現王妃も簡単には手出し出来ない。改革派であったスタンの母の実家や、他の改革派もスタンを旗頭に出来なくなる。
初顔合わせの茶会は、スタンの母である前王妃の喪が明けたばかりだった。
出会ったばかりの婚約者に笑いかけるどころじゃなかったに違いない。
私がスタンに出会ったのは八歳の時だった。スタンは九歳。
「は、はじめまちて」
「はじめまして」
緊張して噛んでしまったのに、薔薇色の頬を緩ませて、笑ってくれた。ガチガチの私の手を優しくひいて、エスコートしてくれた小さな王子様に、私は恋をした。
だって同年代の令息たちは、もっと落ち着きがない。何よりも、柔らかく波打つ金髪に、空より深い青の瞳。こんなに綺麗で優しい男の子ははじめてだった。
こんなに素敵な男の子が私の婚約者。嬉しくて嬉しくて、私は馬鹿みたいに舞い上がった。
スタンの心は逆だったというのに。
あの日、私に向けてくれたあの笑顔も優しさも、全て嘘。自分の身を守るための、幼いスタンの精一杯の演技だったのだ。
大したものだと思う。スタンは為政者にふさわしい処世術を、あんなに小さな頃から身に付けていた。
時が経ち大人たちの思惑やスタンの背景を知っても。分かっていて、優しい嘘と建前に甘えた。
スタンもまた、成長しても完璧な婚約者を演じ続けてくれた。
せめて私は貴族派の娘として、優しい彼の防波堤になる。彼を守る。守るから。
代わりに側に居させて。私を愛していなくてもいい。
そう思っていたけれど。
未遂に終わったとはいえ、暗殺は決行された。私は防波堤になれないと証明されてしまった。
彼にとっての私の利用価値はなくなってしまった。
それだけでなく、今後私はスタンを傀儡にするための操り糸にされるだろう。
「私はあなたと対等でいたいのです。同情も憐れみもいりません」
私の受けた傷は、少し痕が残るそうだ。
王太子のために命をかけ、傷を負った娘。美しい容姿を失った娘。
父がスタンを意のままにするのに、これほど利用できるカードはないだろう。
世間に対してもこの上ない美談だ。
彼も私を今まで以上に大切にしてくれる。傷跡を見るたびに、私の献身を見せつけられるのだから。
だからこそ、このまま婚約者ではいられなかった。
「対等ですか‥‥‥」
スタンが目を閉じた。しばらくして、静かに呟く。
「ええ。対等です」
好きだけでは。
否。好きだからこそ、結婚できない。
愛するこの人を、罪悪感で縛りたくない。
「どうかお願いです。婚約破棄させて下さいませ」
王太子からではなく、私からであれば世論も納得する。父は烈火のごとく怒るだろうが構わない。婚約続行を強行できないよう、命の危機に怯える令嬢を演じきってみせる。
「‥‥‥わかりました」
再び目を開けた時、スタンの柔和な顔つきがすっと変わった。真っ直ぐな力強い目で私を見る。
戦う男の顔だった。
ああ、あなたはこんな顔も出来たのね。
私の前では、いつも穏やかに笑っている人だった。王太子という立場からすると、優しすぎるほどに優しい人。
でも知っている。
スタンは戦える人だ。戦えないようにしてしまっていたのは、私。
スタンはただの改革派ではない。実は改革派の代表だ。私と婚約を結び、貴族派に従順なフリをしながら、虎視眈々と貴族派を崩す機会を狙っていた。
少しずつ改革派を増やし、現王妃の前王妃暗殺の証拠と、貴族派の不正の証拠を集めていた。決起は目前だった。
「婚約破棄します」
「ありがとうございます」
痛みをこらえて頭を下げた。涙は絶対に溢さない。
好きです。愛しています。だから呪縛から解き放ってあげます。
これからはあなたの思うように戦ってください。
****
スタンとの別れの後、すぐに国王陛下に婚約破棄をお願いし、受理された。
「あのクソ王太子が!」
案の定父は激怒した。
けれど父の怒りは婚約破棄した私に向かわず、スタンに向かった。てっきり私から婚約破棄を申し入れたことを怒ると思ったのに。想定外だ。
「そもそも婚約そのものが気に入らんかったのだ! へらへらと守られるだけのガキの分際で私の娘と婚約など。陛下の命令でなければ受けなかったものを! ええい、忌々しい」
陛下ではなく、現王妃の命令だろうに。娘の前ですら、表向きの理由を貫き通すらしい。
感心したと同時に、首をひねった。
貴族派にとりこむのなら、表面上は仲良くして懐柔するべきなのに。なぜか父は昔から、あからさまにスタンを嫌っていた。
私とスタンの仲が深まるほど、貴族派にとって都合がいいはずだが。しかし父は茶会の度に、苦虫を噛み潰したような顔でスタンを出迎え、嫌味を言ったり何かと理由をつけて早く切り上げさせたり。邪魔ばかりしていたように思う。
「お前はもう、ゆっくり休め。あんなクソガキなんぞ忘れて、体を治すことだけ考えろ」
父の大きな手が私の頭を撫でた。
鬼宰相として恐れられている父だが家では優しい。私が眠れない夜や病床に伏した時、早くに亡くなった母に代わり、眠るまでこうやって頭を撫でてくれた。言葉はないけれど。不器用で愛情深い人だ。
ごめんなさい、お父様。
スタンを忘れることだけは出来ません。
心の中だけで答えて、私は目をつむった。
****
婚約破棄から二ヶ月が過ぎた。
「お身体は辛くありませんか? ルイーズ様」
優しく声をかけてくれたのは、ケレイブ神官見習い。スタンの友人だ。
平民出身のため神官見習いにとどまっているが、大神官をも上回る神聖力だとスタンから聞いていた。私自身、昔彼に傷を治してもらったこともある。神殿の神官よりも、早く綺麗に治してくれたことに感動した。
「はい。すっかり回復しております。ケレイブ様のおかげで傷も残りませんでした」
実は当初、私の治療は王室専属医師と大神官がした。しかし、治療しても私の傷痕は消せない、無理だと言った彼らを父が追い返し、代わりに来たケレイブが綺麗に消してくれた。
「ふん、クソガキの推薦なのは気に入らんが、腕は確かだったな」
「恐れ入ります」
相変わらず眉間にシワを寄せた父が、ケレイブを褒める。
実力はともかく、ケレイブの肩書はただの神官見習い。しかもスタンと同じ改革派だ。私の治療をよく父が許したものだ。
スタンが説得してくれたのだろうか。
傷のあった右頬に触れる。もうない傷が痛んだ。
「お父様。改革派の決起は成功したのですか」
ここ二ヶ月、体を治すことだけに専念するようにと、情報が遮断されていた。ケレイブに聞いても答えてくれなかった。
けれど二ヶ月間、父はほとんど家を空けていた。スタンが決行した、貴族派粛清の対応に追われていたのだろう。
「……」
父は無言で私の頭を撫でた。
「お取込み中申し訳ございません。お客様がお見えになっております」
「追い返せ」
扉の向こうの執事に即答した父は、私の頭から手を放して腕を組むと、ちらっと扉の前に立つ男に視線を走らせた。
「御意に」
彼は王室騎士団の副団長だ。私が負傷してから直ぐうちに王室から派遣され、私の警護をしてくれていた。
スタンと国王陛下、父の三者の意らしい。私がスタンの弱点だからだと言うが、腑に落ちない。私はもうスタンの婚約者ではないというのに。
カンッ、ガンッ、ゴツッ。
「……っ」「……、……」
扉の向こうが騒がしくなった。
副団長とお客様とやらが一戦交えているようだ。
「力ずくで追い返すとは、やりすぎでは?」
父は私の問いに答えず、腕組みをした。
「ルイーズ。貴族派とは何だ」
「?」
突然どうしたのだろう。
脈略のない質問に戸惑いながらも答える。
「由緒ある名門貴族が支配層になることです」
政治については、スタンの力になりたくて独学していた。
幸い我が公爵家は代々重要ポストの官僚を輩出している。政治関連の書籍は充実していた。
「そうだ。当家は建国前から代々続く公爵家だ。当然貴族派となる。では、改革派とは」
「家格や身分に関係なく有力者が支配層になることです」
「そうだ。本来はな。だが代表の殿下をはじめ、改革派とされるのは新参の下級貴族と商人などの富裕層だ。貴族派と改革派の違いは、古き名門か新興勢力かだけで、実態は変わらんのだ」
扉の外では、相変わらず剣戟の音がしていた。
「実態が変わらんのに王太子殿下が改革派を先導するのは、王妃殿下への牽制と復讐に他ならない。お前はそれでいいのか」
「私は」
言い淀み、目を伏せる。
いいと思っていた。スタンにとって、母を殺し、自身も何度も殺そうとした相手だ。復讐心を燃やしても仕方のないことだと思っていた。
「改革は痛みを伴う。名門貴族が一掃されれば、経験のある官僚が減って政務も滞る。ただ私怨のために民に負担を強いる為政者などあってはならん。違うか?」
はっとした。
父は私に、王太子の婚約者の心得を説いているのだ。婚約者なら、相手が道を外す前に止めなければならない。王太子の婚約者となれば尚更だ。
愛するスタンの側に居られるなら、それだけでいいと思っていた。彼のすること成すこと全て、助けになりたいと思っていた。
だがスタンは王太子。いずれ王になる身だ。王太子の婚約者であれば、時に諫言も必要。なのに私は何もしなかった。
あの暗殺未遂がなくとも、私とスタンは対等ではなかったのだ。
扉の外で、一際甲高い音が響いた。
「お前は殿下の言動の全てを盲目に受け入れ過ぎた。それでは対等と言えんな‥‥‥」
バン! とけたたましく扉が開いた。
「義父上!」
「誰が義父上だ!」
私は目を丸くした。副団長が負けて『お客様』が勝ったからではない。いや、もちろんそれも驚きではあるのだが。
「王太子殿下!」
なにより驚いたのは、『お客様』がスタンだったからだ。それも私の知っている普段のスタンでない。
いつもの華やかな正装ではなく、軍服に身を包んでいる。金髪は乱れ、汗に濡れた額や首に貼りついていた。
「王太子殿下。あなたはもう娘の婚約者ではありません。お引き取り願います」
思わずスタンの元に駆け寄ろうとした私を、父が遮った。
そうだった。今の私はスタンの婚約者ではない。
彼は王太子。彼が貴族派を一掃して改革派が政権を握れば、確実に次期国王となる。
一方私は公爵令嬢というそれなりの身分ではあるが、貴族派の父の立場はこれから弱まる。
守る盾にもなれず。諫言すら出来ず。支える力もない。
婚約者であった時でさえ対等でいられなかったのに。彼との差は一層開いてしまった。
私はきゅっと胸の前で両手を握りしめた。
「王太子殿下」
婚約が決まってからずっと、私は彼をスタン様と呼んでいた。けれどもう私は彼の婚約者ではない。
「なぜいらしたのですか」
私の硬い声にスタンの眉が垂れる。悲しいと思ってくれているのが嬉しかった。
聞いておいて何だが、スタンが来た理由は分かり切っている。
改革派からすれば、貴族派の有力者である我が公爵家は目の上のたんこぶ。我が公爵家も粛清の対象になったのだろう。
だから父は『改革派の決起は成功したのか』という問いに答えてくれなかったのだ。
粛清理由は分からない。
適当にでっち上げたか。
貴族派といっても父は王妃とはあまり仲がよろしくなかったけれど。私の知らない何かしらがあったのかもしれないし、権力を使って不正をしていたのかもしれない。
「……っルイーズッ」
元婚約者を没落させることへの罪悪感か。
悲愴な顔をしたスタンが、私の前までやってきて床に片膝を着けた。
「危険な目に合わせてすみませんでした。王妃は幽閉です。王妃と繋がっていた貴族派は更迭しました。君にはもう指一本触れさせません」
私はほっとした。
王妃が幽閉されたということは、やはり決起は成功したらしい。
ならばスタンがここに来たのは粛清のためのはず。なのにまず私への謝罪を優先するとは。優しいスタンらしい。
「王太子殿下。臣下に跪いてはなりません」
私は笑ってスタンに立つように促した。悲しんでくれているだけで十分だ。元婚約者のことなど気にしないで前を向いてほしい。
だがスタンは跪いたまま頭を垂れた。
「初めて会ったあの日、君が僕を掬い上げてくれました。何の同情も憐れみもなく、ただ緊張してるだけの小さな女の子が、何の打算も含みもなく会えて嬉しいと言ってくれた。一緒にいたいと言ってくれた」
本当にスタンは優しい。あの日の幼く馬鹿な私をこんな風に言ってくれるとは。
「何も知らない子どもだったのです」
「何も知らないことが僕にとって救いでした。君の側では普通に息ができたから」
政治の情勢も何も知らない子どもだった。父は偉い人で、自分は由緒ある家の令嬢。本物の王子様と会うのだから、淑女らしくしなきゃ、くらいしか考えてなかった。
「母を殺した王妃が憎かった。王妃と同じ貴族派である宰相の娘と婚約なんて冗談じゃなかった。守るためだとか嘯く父王も憎かった。同情するふりをする者たちも、憐れむ者たちも、皆敵だった。母じゃなくこいつらが死ねば良かったのに。皆死んでしまえ。なくなってしまえ。僕も」
死ねば良かったのに、と小さく呟いた。
「殿下!」
聞き捨てならない言葉に思わず語気を強くすると、スタンは嬉しそうに微笑んだ。
「君が僕のために怒ってくれるから、僕は生きようと思ったのです。君と一緒に居たいなら、生きなければならない。釣り合う男にならなきゃいけない。その一心で僕はここまで来ました」
「ふふ。まるで私のために王妃殿下と貴族派の粛清をなさったようにおっしゃるのですね」
ああ、この言葉だけで十分だ。あなたなしでも私は生きていける。
思わず私が笑うと、スタンが即答した。
「その通りです」
「え?」
「確かに母を殺した王妃のことは恨んでいます。父王にもわだかまりがあります。でも、そんなもの君に比べたら些事です」
「嘘です」
些事なわけがない。
貴族派の娘の私と婚約したのも、ケレイブや副団長といった改革派をまとめたのも、スタンの全ての行動が王妃への復讐と、王太子という地位の確立だったはず。
「殿下が改革派の代表になったのも、王妃に復讐するためでございましょう」
現王妃が前王妃を毒殺しても、罪に問われなかったのは。貴族派という絶対的な権力があったから。
王妃と貴族派を断罪し、復讐を果たすために対抗勢力である改革派を主導していたはず。
「確かに彼ら改革派は僕を担ぎ上げていましたね。都合がいいので放っておきましたが、彼らも腐った貴族派と同じです」
スタンが鼻で笑った。彼は時々今のような冷たい表情を見せる。
「僕が進めたのは、今の派閥を白紙に戻すこと。粛清対象は貴族派だけでなく、改革派もです。貴族派と改革派に違いはありません。改革派が台頭したところで権力構造が新旧入れ替わるだけのこと」
先ほど父が言っていたことだった。
ちらりと父を見やると、素知らぬ顔で片目だけをつむった。
ああ、と私は目をつむり、息を吐いた。
私が諫言などしなくても、スタンはちゃんと分かっていた。やはりスタンには、私など必要なかったのだ。
「君が言ってくれました」
「え?」
「貴族派だの改革派だの下らない。身分に囚われず、能力のある人が政治を動かしたらいいのに、と」
私が? 驚いて目を開く。
「父ではなく?」
「はい」
私は目を見張った。
そんなことを言った覚えはない。
「ケレイブ。副団長。グロック商会の次期商会長。隠れ情報屋。大魔法使いの卵。僕が王妃と貴族派を粛清できたのは、君が勧めて懇意になった者たちが、毒殺と不正の証拠固めと新しい体勢の基盤になったからです」
「それはただ、あの方たちの能力が素晴らしかっただけで」
彼らに出会ったのはたまたまだ。高い能力を持つのに、平民や下級貴族の出であるというだけで埋もれていた。貴族の手垢がついていない分、スタンの助けになると思ったから、それとなくスタンに勧めたがそれだけ。深い思慮があったわけではなかった。
「誇ってください。能力のある人材を発掘するのは、何者にも代えがたい力です」
「間違いなく公女様のお力ですよ。公女様のお言葉がなければ、不愛想な殿下が俺たち平民と友人になるなんて有り得ませんでした」
「まさか」
副団長とケレイブに私は笑って首を振った。
「殿下は人の能力をきちんと評価されますし、誰にでも優しい方ですから」
私がそう言った途端、横合いから声が飛んできた。
「それはない」
ずっと腕組みをして傍観していた父だ。
「殿下の異名を知っているだろう。氷の王太子だ」
スタンが氷の王太子と呼ばれているのは知っていたが、なぜそう呼ばれているのか不思議に思っていた。見た目も性格も太陽のような人なのに。
「知ってはいますが、殿下は優しくて社交的ではありませんか。ご令嬢に囲まれても冷たくあしらったりなさいませんし、温かい人柄から、ケレイブ様のような友人にも恵まれていらっしゃいます」
「ぷっ」
ケレイブが口元を押さえた。
「失礼。公女様が見ている時だけです。それも、公女様に言われて渋々なのですよ」
ケレイブが肩を竦めた。副団長が苦笑して頷いている。
「根本は優しい方ですが、基本的に態度は冷たく不愛想ですね」
「優しく温かいだなんて公女様の前だけです」
驚いてスタンを見ると、彼は少し不貞腐れたように視線を逸らした。
「君が社交の場で敵を作るのは良くないと。女性には優しくしろと言ったからです。ケレイブは、君があんまり褒めるから面白くなくて会いに行ったら、なんだかんだで腐れ縁になっただけで」
婚約したばかりの頃。まだ子どもだったスタンは社交界が得意ではなかった。でも私はスタンとパーティーに行くのが楽しみだったから、スタンにも楽しんでもらおうと友人を作ることや人付き合いを勧めた。特にケレイブは人当りもよく、スタンといい友人になれそうだと思いベタ褒めした。
「ではやはり。殿下の私への優しさだって演技だったのでは」
ご令嬢たちや友人への態度が嘘だったのだ。私に対する態度だって嘘に違いない。
「あんなに好きですと伝えていたのに、全て演技だと思われていたのですか」
スタンが顔を覆うと、父が鼻を鳴らした。
「日頃の行いだな。本性はクソガキの癖に、ルイーズの前では砂糖の仮面を被っているからだ」
「好きな女性には、いいように思われたいじゃないですか」
「分からんでもないから黙っていたが。ルイーズは亡き母に似て、鈍感で思い込みが激しい。全く伝わらんぞ」
「そのようですね」
父との気安いやり取りの後、スタンが顔を上げた。
時々、スタンは私よりも父との方が仲がいいのではないかと思う。
「君に婚約を申し込みにきました」
「はい?」
こんやく? ‥‥‥婚約!?
追放ではなくて?
「君は僕にはもったいないほど素晴らしい女性です。ただ担ぎ上げられた王太子では釣り合わないほどに。だから僕は改革派ではなく、派閥にとらわれない新しい国政を敷きます」
「え、あの、王太子殿下?」
私は混乱した。
王太子では釣り合わないなど。
逆では。
いやそもそも私は粛清される身なのに、なぜ素晴らしいなどと言われているのか。
私の微妙な表情を見たスタンが立ち上がった。
「これでもまだ対等ではありませんか。でしたら今すぐ父王を引きずり下ろして‥‥‥」
「お待ちください。私にそんな価値はありません」
そんなことで国王陛下を引きずり下ろさないで頂きたい。
「足りないくらいです。世界中の国々に戦争をしかけて君に捧げても足りない」
真顔でスタンが無茶苦茶なことを言ってから、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「そんなことをすれば君に嫌われるのでしませんが」
信じられない。さらりと凄いことを言われた。
「怪我などさせて。怖い思いをさせて。君と対等じゃないのは分かっています。もう一度婚約したいだなんて虫のいい話です」
初めてエスコートしてくれた時と同じように。スタンが手を差し出した
婚約者でもなんでもなく、これから没落する令嬢相手に演技をする必要はないはず。
では、これは本気? まさかそんなはずは。
「君が好きです。どうかもう一度婚約して下さい」
スタンの手が、微かに震えていた。そういえばあの日のスタンの手も、少し震えていた。
同じだった。
私がスタンと釣り合わないと思っていたように、スタンもそう思っていた。
私がガチガチに緊張していたのと同じように、スタンも緊張していた。
気づかなかっただけ。確かめ合わなかっただけ。
私とスタンは、ずっと対等だったのだ。
私はスタンの手を取った。私の手も、声も震えていた。
「はい」