気の重いお話の続き
「悪い。完っ全にオレのせい。もうあんま外で会わないようにした方がいいな」
「いや、僕のせいだな。軽率だった」
「そうだよ! おまえが悪い」
ヘルムートはあっさりと前言を撤回した。
「あのな……。君がちゃんと否定しないからこうなったんだろう」
「いやそもそもおまえが無茶をやろうとするから」
「お二人ともです。反省なさってください」
ヘルムートとクラウディオの応酬を遮り、ぴしりと言い放ったのはイメルダだ。
「たまたま往診の時間と重なってキースさんにアリバイがあったのが幸いしましたけれど、部屋に一人で寝ていただけなら今頃まだ拘束されていたかもしれないのですよ」
土曜の午後、前回の話の続きをというのでクラウディオの研究室に集まったが、今日はイメルダも参加している。アーシェがいつ倒れてもいいように、というのと、前大公が存命だった頃の話を聞くためだ。
しかし真っ先に話題に上がったのは、火曜の執行隊の話だった。
「その救護師……、タルヴォとかいう男。よくたった一人の証言で解放してもらえたな」
クラウディオが言った。どこから持ってきたのか、今回は椅子がひとつ増えていて、ソファの向かいの定位置に座ったヘルムートの隣に彼がいる。ちょうどアーシェの向かい側だ。時々目が合うので、少し緊張してしまう。
「キースさんは金時計を着けていますから偽証は難しいですし、タルヴォ先生は大公派です。キースさんをかばう理由はないと判断されたのでしょう。ええ、腕もいいし頼りがいのある好人物ですよ。大公派ですけれど……。大公派には多いんです、真面目でやる気のある人が。入れ込みやすいんでしょうねぇ」
イメルダが頬に手をあてながらため息をついた。
「それで……、兄さまの疑いが晴れたのはいいですけど、それからどうしたのです?」
キースからの説明では、何故捕まったのかも、どうしてその後あっさり解放されたのかもよくわからないといった具合だったので、原因がわかったのはなによりだが。
「まあ当然オレのとこにエドガルドとサイモンが来たけど。一緒になって探してくれたダチをひっ捕まえて話を聞こうとしてるような連中に誰だったか明かすわけねーだろっつって帰ってもらった」
「そ、それで通るのですか……」
「オレが黙秘するっつってんだからいいんだよ。まーしばらくはおとなしくしてないとだけど……投票が近いんで連中だいぶピリピリしてるみたいだ。アーシェちゃんも気をつけてな」
「ここで集まるのは大丈夫なのか」
アーシェの隣でキースが言った。
「オレがここに通ってんのはずっと前からだしなぁ……。一応今日はカーテン閉めたけど」
「出入りには気をつけた方がいいだろうな。僕はほとんど身動きできないと思われているから、警戒も薄いようだが」
「アーシェさんは一応、クラウディオさんに持病を診てもらっているということにはなっていますけど……。目を付けられないようにいたしませんと。その例の簡易な魔術信とやらも便利に使って、一層気を引き締めてまいりましょう」
今日のアーシェはキースとイメルダにはさまれてソファの真ん中に座っている。ローテーブルの上は先週同様、たくさんのお菓子が並んでおり、アーシェは後悔しないうちにとさっそくチョコレートをつまんでいた。
「そもそも、なぜそこまでして行政区に?」
キースの疑問に同調しようと、アーシェは急いでチョコレートを飲み込んだ。
「そうです。クラウディオ様がそんな強引なことをするなんて、意外なのですけど」
「いやーこいつはこういう我儘なヤツなんだよ。アーシェちゃんの前では気取ってるかもしんないけどな」
「は? くだらないことを言うな」
アーシェの目の前に座っている二人は、相変わらず仲がいい。
ひとつ咳払いして、クラウディオは話しはじめた。
「大公邸を調べたかったんだ。大公邸というのはその名の通り、ファルネーゼの大公とその家族が住むための建物でね。大賢者による強力な結界で守られていて、代々の大公に受け継がれてきた。ただ、今の大公はそれを所有する資格を持っていない。現在は誰も立ち入りできない状態になっている」
「……セザールが大賢者の血を持たないからか?」
「いや、正式な所有権は持てなくても、邸を利用することはできるはずだったが、前大公がそれを禁じたんだ。彼の死の二年前に、二人は絶縁していてね。それまであった大公邸の住人登録を、セザールは抹消されている」
「大公邸はあくまで私邸であり、そこで執務が行われていたわけではありませんからね。立ち入れずとも、大公の仕事は問題なく進められるのですけど」
イメルダが補足した。
「絶縁というのは?」
首を傾げたアーシェに、クラウディオが答えた。
「以後私人として関わることはないと宣言したという話だ。あの男が何をしてそこまで前大公に睨まれたかは知らないが、ともかく大公邸に二度と足を踏み入れられぬようにされたらしい」
「大公邸にはファルネーゼを築いた大賢者や歴代大公の研究の粋が眠っていると言われているため、そこに立ち入れることは大変な名誉とされていたのです。マルツィア様の夫でありながら締め出されたのは見せしめと当時は囁かれておりました」
イメルダが話を継いだ。
「ちょうどマルツィア様が魔力枯れを発症した直後のことでしたから、ずいぶん噂されていましたよ。対であるセザール様の過失でマルツィア様が魔力を使いすぎ、それが原因でドゥイリオ様の怒りをかったのではと……ただ、この話に裏付けはありません。大公派はもちろん否定していますし」
「そうだったのかよ。それは知らなかったな」
ヘルムートが紅茶のカップを置いて言った。
「当時は魔力量が可視化されていませんでした。ですから魔力枯れがなぜ起こったのかは推測するしか……。マルツィア様の魔力容量が想定より低く、ドゥイリオ様の政務の補佐を行う中で徐々に削られていたのかもしれませんしね。父君が大賢者の子孫とはいえ、母君、グラシエラ様は魔術師の血を持ちません。そのせいで魔力が充分ではなかったのではという説もありました。マルツィア様は容貌もグラシエラ様に似ていらっしゃったので……」
「まあオレみたいなのもいるし、そういうこともあり得るよな」
「ヘルムート様はその見事な紅色の髪がドゥイリオ様によく似ていらっしゃるのにねぇ。そういうところが前大公派に期待をさせるのだと思いますけれど」
「……魔力の遺伝と見た目の遺伝、あんま関係なさそうだな……」
ヘルムートは肩をすくめてみせた。
「ええと、どこまでお話したかしらね。そう、当時はマルツィア様によい対が見つかったことで、ドゥイリオ様もそろそろ大公位をマルツィア様に譲って引退しようと考えていらっしゃったようなのです。ドゥイリオ様がファルネーゼを離れる間など、すでにマルツィア様がセザール様と一緒に日常の政務をこなしていましたしね。ただ、マルツィア様が懐妊されたため、それが先延ばしになり……ジーノ様がお生まれになって一年後、マルツィア様は魔力枯れを発症したのです」
「時系列がうまく整理できないが、その時肝心のエルネスティーネは?」
キースが小さな声でアーシェに言った。
「ええと。入国したのが二十六年前だから、もういるはずよ」
「そう、後妻、でしたっけ? 私はドゥイリオ様が再婚されたという話は耳にしていませんが、その時期、愛人を作られたという噂は確かにありました」
隣のイメルダが聞きつけて話の向きを変えた。
「当時すでに後継者の少ないことは問題になっていましたからね。ドゥイリオ様の叔父が子を残さなかったり、その前の代で派閥争いがあり一族の半分が大陸外に出たりなど色々ありまして……グラシエラ様がお亡くなりになってからは、次のお相手をと再三勧められていたはずです。若く美しい秘書をつけたりもあったそうですよ。それを無視し続けたドゥイリオ様が愛人を作られたというのは、意外でもあり、遅すぎるという思いもあり……その後特に話は聞きませんでしたが。噂ではなく、本当にいたということなのですね」
イメルダが複雑そうな眼差しをアーシェに向けた。
アーシェは居心地悪く、紅茶のカップに手を伸ばした。
「そうだ。エルネスティーネはいた。そしてもちろん、彼女が人目につかず住んでいたとすれば大公邸以外には考えられない。赤子の頃は僕も母に連れられて出入りしていたはずだ……さすがに記憶にないが。だがエルネスティーネは僕が初めて図書館で出会った時、僕を見知っているという風に話していたんだ。そこで会っていたということだろう」
「セザールが絶縁されていても、孫は入れるのでは?」
「母と僕も同時に登録を削除されてる。なぜなら……住人登録のある者が招待をすることで登録のない者も一時的な入場が可能になるかららしい。幼い子どもを先に立たせて、父親を招かせれば、簡単に中に入れるということになるからな。母は魔力枯れで正常に行動できる状態ではなかったし……。僕も図書館通いを始めた頃、興味本位に門の前まで行ってみたことがあるが、結界に阻まれた」
「念入りですね……」
「まあともかく、そういうわけで改めて大公邸を調べに行ったんだ。僕の出入りしていた図書館の地下とつながりがあるかどうかも確かめたかった。結果、図書館の近くまで結界の根本が伸びていることが確認できたし、自動人形にも会えた。あれの返答は要領を得なかったが、エルネスティーネの名を出したら奥方様と言った。少なくとも彼女がそこにいたことは間違いない」




