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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第五章
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魂相




 今でも、炎を見ると体がすくむ。

 ぞっとして呼吸が浅くなり、逃げ出したいような焦燥にかられる。

 それこそが、あの火災で己が何かを見たということの証左だとクラウディオは思っていた。





 研究棟の四階の端の部屋。

 つまり自分の使っている研究室の真下の部屋の扉を、クラウディオはノックした。杖をつき、フードを目深にかぶったままで。

 返事はなかったが、根気よくノックを続ける。

 昨夜、下の階の明かりがついたのを窓から確認している。管理人のアロルドはまだ顔を見ていないと言っていたが。


「なんじゃ! ワシは忙しい! 後にせい!」

 しゃがれた怒鳴り声があがった。

「クラウディオだ。時間をもらいたい」

 沈黙が返り、やがて扉が開いた。


 顔を見せた白髪の老人は、クラウディオが研究棟に居つくようになった頃から変わらぬ容貌で、心身ともに衰える様子がない。

「これは、星の魔術師殿……。わざわざお越しとは、どのような」

「教えてもらいたいことがある。中に入っても?」

 赤いローブの老人の名は、バルトロ。遺跡研究の第一人者だ。

「散らかっておりますが……星の魔術師殿に立ち話をさせるわけにも参りませぬな」

 招き入れられた部屋は、物であふれていた。床の上は歩く道筋だけ開けてあるといった有様だ。バルトロは物置と化しているソファの上の服やらなにやらを横によけ、一人分だけの場所を確保した。

「どうぞ」

 クラウディオは苦笑して、ありがたくその場所に座った。

 バルトロは悪い人間ではないが、もう立っていても大丈夫なのだと明かせるほど近くはない。バルトロ自身は、積み上げられた本の上に腰をおろした。

「今回も長旅だったようだな。疲れているところ、すまない」

「いえいえ。見ての通り丈夫でありますから。それに貴方様のお陰で、この歳になっても安心して魔術を使えております。ワシにできることなら、なんなりと」

「まだ残量はあるようだな。なによりだ」

 老人は笑って答えた。

「はい。まだ三時です。この調子なら死ぬまでもちますわい」



 研究室の中には分類待ちの出土品が積み上げられ、土と黴の匂いがしていた。

「入国管理局に置かれている個人登録の装置について聞きたい」

 クラウディオはすぐに本題に入った。

「……あれに興味がおありで?」

 バルトロは意外そうに眼をしばたたかせた。

「光の国の遺跡から出土した魔術具についての項目でタルクウィニオが七頁分を使って解説していた。著書の三冊目だ。まだ語れない部分が多いというあいまいな記述が目立ったが、君なら詳しく聞いているのでは?」

「……確かに、彼はワシの師でしたが……そのようなことまでご存知とは」

 バルトロは居住まいを正してクラウディオを見た。

 遺跡研究は力のいる発掘作業と気の長い地味な鑑定作業の繰り返しで人気が低い。かつては光の国のものとされる大規模な遺跡から次々と謎めいた装置が発掘され、それを解析することで冷凍箱や浄水器、室温調節床、音声増幅装置、加熱器などの有用な魔術具が生み出され、次の発見を成し遂げようと多くの人々が遺跡に向かった時期があった。しかしめぼしい場所はあらかた掘りつくされ、もう何十年もこれといった発見はなされていない。質の高い魔石が出回るようになった近代では独自の魔術具の開発研究が盛んになり、古い時代の遺物に対する関心も薄れた。バルトロほどの研究者はもうファルネーゼからは出ないかもしれない。


「入国管理局で使っている石板は複製ということだったが、合っているか?」

「機能を一部分移植したもの、ということです。入国の際に体験されましたかな」

 クラウディオはファルネーゼに入国したことも出国したこともない。行政区の中で生まれ育ち、学院に来てからは引きこもっている。不法に結界外に出たことはあるが、門を通ったことは一度もないのだ。

「いや、金時計がすでにあったからな」

 クラウディオは嘘を答えた。

「そうですな、確かに。……それが南大陸の金時計なのですか? まったく同じように見受けられますが」

 バルトロは興味深そうにクラウディオの右腕を眺めた。

「金時計そのものはサシャナリアが設計したものだ。どこでも同じだよ。中身はそれぞれ改良が進んでいるがね」

 実際にはもちろん、クラウディオの金時計はファルネーゼ製だ。四歳の頃から着けているものを、自分で改造したのだ。

「その中でも星の魔術師殿が行った改良は実に革新的でしたな。あちらからも引き合いがあるのでは?」

「無論、設計図は送ったとも。あれはすべての魔術師にとって必要なものだ」

「……対価を求めず、ですか」

「今後すべての金時計に組み込んでほしいとは伝えたさ」

 バルトロは黙って頭を下げた。


「それで、原型オリジナルとの違いはどうなんだ。エラーが起きると記録できないというのは?」

「あれの原型そのものは複製できません。あまりにも我々には理解できない部分が多すぎる。師の記録にあったかと思いますが、二十基まとめて出土して、研究者たちで分け合い持ち帰りました。ファルネーゼには四基。すなわち四方の門にそれぞれ備えられている大型のものが原型になります」

 エラーを起こしたアーシェが改めて計測に使ったという装置が、それなのだろう。


「あれで測定できる数値が何を表すのか、はじめは誰にも分らなかったのです。同じ人間は何度計っても同じ数値になり、その桁の多さから、確率的に、別人と同じ数値になることはあり得ないと考えられました。しかしなにかしら意味はあるに違いありません。失われた光の国の技術についてなにか判るかもしれない。実験的な意味も含めて、身分証明の代わりとして利用されるようになりました」

「一般の入国者すべてをサンプルにしたということか」

「左様。入国者が増えるにつれて、一門に一台だけでは足りなくなり、また時間がかかりすぎることも問題でした。それを解決するために石板が作られた。あれは数値を一部だけ取り出して計測しています。それでも充分に重複を排除できるだけの桁がありました。それぞれの数値がなにを示すのか、個人の特徴などを記録して、分析が進められたのです」

 なるほど、タルクウィニオがはっきりと書かなかった理由もわかる。

「こうしてサンプルが増え、十年、二十年と利用を続けるうち、同じ数値の別人が現れだしました。これでは個人の特定としての役には立たないということになります。が、過去の記録と照らし合わせたところ、すでに死んでいる人間としか一致しないということがわかりました」

「もしや」

「そうです。数値が一致したのは、ほとんどすべてが、死んだ人間と、その人間が死んでから十か月前後で生まれた人間でした。例外は、それ以上の期間があいていた。逆に短くなる場合はありませんでした。つまりそれは」

「一度ではなく二度以上の転生が起こっていた場合と考えられるな」

「その通りです。さらに何十年と記録を続ければ、もちろん、その例外も増えていきました」

 クラウディオはうなずいた。

「これはそれまで伝承的に語られていた魂の在り方とまさに合致する発見でした。これまで実体として観測することはできないとされてきた魂そのものをこの装置は数値化している。おそるべき仮説でしたが、徐々に研究者の間ではそれしかないと言われるようになりました。そうしてあの装置がはじき出す数値のことを魂相ソウルマップと呼ぶようになったのです」

「では稀にあるエラーというのは全て……」

「過去の魂の持ち主が記録を残していたと考えられています」

「偶然の一致ということは?」

「……対象者にはそのように説明されます。はじめのうちは事実を知らせることもあったようですが、問題しか生まないとされたのです」

 クラウディオは唸った。


「共通の魂を持つとされた人物の性別、身体的特徴、出生地域、あらゆるデータが比較されました。これまで明かされなかった魂の秘密をついに知ることができると、色々な研究者が過去を調べあげたのです。しかし結局、それらしき法則は発見されなかった。過去の魂の持ち主と現在の持ち主にはなんの関連もない。そう結論せざるを得なかったのです」

 そうであるのに、どこかの誰かと関連付けられてしまう。

 偉人であるかもしれず、罪人であるかもしれない。どちらにせよそれを報せることは無意味だ。死んだ家族の生まれ変わりがわかって会いに行っても、それが結局全くの別人ということを思い知らされるだけだったろう。


「現在では、複製の石板は重複のデータを検知すると動作を停止するようにできています。記録できないのではなく、しないのです。同一データの持ち主との記録上の差を作るため、原型で測定してもらい、そしてその時間の間に、過去に記録された同一データの持ち主の最後の記録の後に生まれた人間であるかを照合します。すべては仮説にすぎず、例外があるかどうかの確認はしなければならないからです」

「――そしてその例外はいまだに見つかっていない、と」

「そのはずです。もしあればこちらに報告があるはずですが……もう何十年も前の取り決めです。なんのためにそれを行っているか、把握している者の方が少ないかもしれません」

 あるいは、その確認すらもうされていないかもしれない。

 なんのためにしているのかわからない手順というものは省略されがちだ。そしてそれは、大きな落とし穴になることもある。

「光の国があの装置をなんのために使っていたのかは未だにわかっておりません。我々が魂と呼びならわしているものが実際は何なのか。なぜ生ある人間にそれが必要なのか。どのようにしてめぐっていくのか、そしてなぜめぐっているということが知られていて、当たり前に受け入れられているのか。死んだ者の魂が新しい命に必ず宿るなら、世界に存在する人間は常に一定の数しかいないということになる――果たして、そんなことが有り得るのか」

 なぜ、なぜ、なぜ。

 魂に関することは実際のところなにもわかっていない。ありそうだということが実証されているだけだ。現代に知られている範囲では。


「……興味深い研究課題だが、僕が今日知りたかったことはそれではない。おかげではっきりしたよ。……ありがとう」


「お役に立てたならよろしいのですが、あの装置になにか問題でも?」

 クラウディオは首を横に振った。

「そういうことじゃない。それより、今の話はちゃんと複数の弟子に伝えているか」

「……いえ。恥ずかしながら、ワシに教えを請いたいという者もめっきりと減りまして……」

「ならば必ず書き残すように。必要とする者がいずれ現れる。その謎を追いかけたいという者も。よろしく頼む」

 今の自分の立場でこんなことを言うのはおかしいだろうか。

 そう思ったが、バルトロは頷いてくれた。



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