後悔と安堵と
「お兄さんが連行されたって、なんで?」
「それが、アタシたちにもよくわからなくて……」
男性が傍から離れても足元のおぼつかなかったアーシェは、ラトカとエルミニアに二〇五号室まで付き添われた。二人から事態を説明されたルシアたちは、簡単には飲み込めずに詳細の説明を求めた。
「執行隊というのは?」
ティアナがベッドに腰掛けたアーシェの手をさすりながら聞いた。そうされることで、アーシェは自分の手が驚くほど冷たくなっていることに気づいた。
「治安維持組織ってやつ。学院になんて滅多に来ないはずだけど」
ラトカが顔をしかめながら言った。
「そうよね。よっぽどのことがないと出てこないと思う……」
「えっと確か、行政区がどうとか、言ってたよね」
「行政区?」
「そう……そうでした。行政区への不正な立ち入りについて話が聞きたい、と」
アーシェは記憶をさらいながらエルミニアの話を補強した。
「……お兄さんがそんなとこ行く?」
「あそこはファルネーゼの中心、要の部分。ローブ持ちになってもそう簡単に入れるところじゃないよ」
「なにかの間違いじゃないの?」
マリーベルの言葉に、ティアナも同意した。
「そうですよね。すぐに戻ってきますよね?」
「どーだろ……。かなり物々しい感じだったし。執行隊に連れていかれて戻ってこなかった人の話、昔からよくあるんだよね……」
「ちょっと! やめてよ!」
エルミニアがラトカの袖をつかんで言った。息を呑んだアーシェの肩を、ティアナがそっと抱き寄せる。
「いや、お兄さんは貴族だからそこまでひどいことにはならないと思う」
ルシアがアーシェを見ながら確認した。
「たぶんだけど、けっこういい家柄なんでしょ?」
アーシェは浅くなる呼吸をなんとか落ち着かせようとしながら答えた。
「は、はい。うちよりずっと上で……」
今はスティーブンが将軍位にあるので、ライトノア家も肩を並べるほどの力があるが、それは一代限りのものだ。コリンが後を継ぐ時には元通りの地方領主となる。
「ほえー。キース様、そうなんだ。どうりで気品があると思った!」
「まあ、うん、それなら少し安心かな。平民と貴族じゃやっぱりそのあたり扱いが違うんだよ。国際問題になるし。なにかあっても、ちゃんと弁護人がついて裁判にかけられると思う」
「平民は裁判を受けることすらないと?」
ティアナが眉をひそめて言った。
「んー、ファルネーゼに何十人も送り込んでるような魔術師の一族ならまた別だけど、うちみたいな町の魔術師じゃ無理かな。取り合ってもらえない」
そんな話をしていると、門限を報せる鐘が鳴った。これから夕食の時間だ。
ラトカとエルミニアはそれぞれの部屋に帰っていった。
アーシェは夕食をほとんど残した。とても食べられなかった。
キースになにかあったとしたら、それは自分のせいだ。
アーシェがファルネーゼ行きを決めなければ、今も彼は王都にいたはずなのに。
マリーベルの言う通り、きっとなにかの間違いだ。けれどそんな間違いがなぜ起こったのか。
ややこしいことに巻き込まれているのはアーシェの方だ。そのはずだったのに、どうしてキースが。
なにもできなかった。追いかけることすら。
キースが戻ってこなかったらどうしよう。裁判なんてことになったら。
ぐるぐると考えて、なにも手につかなくて、立ったり座ったりして。
三人に手助けされながらなんとか寝支度を終えたところで、ティアナが叫ぶように言った。
「アーシェ! 見て! 魔術信が来てる!」
アーシェの魔術信の、三番のランプがついていた。ティアナが差し出してくれたそれを、震える手で受け取った。
――無事寮に戻ってきた。心配いらない。詳しいことは明日の朝、食堂で
アーシェはその場にへたりこんだ。
ルシアとマリーベルも魔術信の表示をのぞき込み、口々によかった、安心したと繰り返した。
「もー、大したことなかったんじゃん? 人騒がせな」
声をあげて泣き出してしまったアーシェに、ティアナがハンカチを差し出してくれた。
「ルシア先輩のおかげね。これがなきゃ、今晩眠れないところだったわ……、アーシェが。近いところに魔術信を送るなんて魔力の無駄遣いって思ってたけど、かなりいいかも」
「そうですよね……。すごい発明だと思います」
「ええー。それほどでもー」
ようやく気をゆるめてくすくすと笑い出したルームメイトたちの声を聞きながら、アーシェはハンカチで涙をぬぐい、魔術信を何度も読み返した。
返信の内容は、書きたいことがありすぎてうまくまとまらなくて、結局短くなってしまった。
――よかった! 今日はゆっくり休んでね。おやすみなさい、兄さま
あまり待たせると、キースはもう寝てしまうだろうと思って焦って送ったが、ちゃんと返事があってほっとする。
――おやすみ、アーシェ
アーシェはその返事を消すことなく、眺めながらベッドに寝転がった。
気になることはあるが、すべては明日、話を聞いてからだ。
(ああ、泣いていたなんて、知られないように……食堂に行く前に、みんなに口止めしておかないと)
そんなことを考えながら眠りに落ちた。
食堂で感じていた胸騒ぎのことなど、すっかり忘れて。
プレヒトが警戒している。
低い声、岩を爪で掻く音。ヘルムートは目を覚ました。プレヒトに預けていた体を起こし、巻き付けていた毛布をはぐ。
「お客さんか? 呼んでねーけど……」
まったく非常識だ。太陽はまだ昇っていない。うっすらと東の地平を染めているのみだ。
実験棟の屋上に出入りするための扉は、ヘルムートにしか開けられないように術が施されている。しかし、魔術師が屋上に来る手段は他にもある。簡単なことだ。飛翔すればいい。
薄明りの中、ヘルムートは毛布を置くそぶりでひそかに仕掛けを解除した。プレヒトを繋ぎ止めておくための鎖を外したのだ。いざとなれば飛べるように。
「こんな朝早くから、ご苦労さん。なんの用?」
ローブ姿の男が二人。
いずれもファルネーゼの重鎮だ。評議会議長エドガルドと執行部隊長サイモン。
「こちらにいらっしゃったとは。お探ししましたよ」
先に居住区の家の方に行ったのだろう。別に隠れていたわけではない。プレヒトの傍で眠るのは、趣味のようなものだ。
「連絡くれれば出向いたけど」
「用件はおわかりのことと存じますが」
ヘルムートは光を放っている天測塔の方をちらりと見た。
「急を要する話ねぇ。ファルネーゼの結界が揺らいでるってことかな」
「――は?」
エドガルドは口をゆがめた。
「近頃ちょっとおかしいよな。手を抜いているんじゃないか。伯父さんにしっかりやれと伝えてくれ」
「そんな……そのような心配はありません。なにを根拠に」
クラウディオがこぼしていた懸念をそのままに言ってみただけだが、効いているようだ。
「昨日のあの地震、ファルネーゼの中心から起こっているよな? 商業街や学院じゃあそこまで揺れてなかったらしいぜ。取り返しがつかなくなる前になんとかしろよ」
エドガルドは明らかに狼狽しているようだったが、図星をつかれたからか何もわかっていないのか、測りかねた。もう少しつついてみようかとヘルムートが口を開くより前に、サイモンが一歩前に出た。
「ファルネーゼの運営については大公様に直接申し上げてください。ヘルムート様はその権限を放棄されたと存じておりますが、甥として個人的にお話されることに問題はないでしょう」
サイモンは落ち着いた調子で続けた。剃り上げた頭の、不愛想を絵に描いたような男だ。ヘルムートは彼と個人的に会話したことはないが、常に沈着な男と言われているのは知っていた。
どうやら、これ以上話をそらすことはできないようだ。
「議長によれば昨日、職務遂行の際にヘルムート様が隊員に対し妨害の魔術を使われたとか。事実であれば拘束させていただかなければなりません」
「事実じゃない」
ヘルムートは即答した。
「目撃したという隊員がいるのですが」
「見間違いだろう」
「よくもそのような――」
エドガルドが言いつのろうとしたが、ヘルムートはそれを遮った。
「オレも見てたけど、誰か通りかかったんじゃないか? 状況的にはオレを助けた感じだったが、心当たりはないね」
「しかし確かに」
「オレはやっちゃいない。妨害の魔術? ローブ持ちの一級隊員が揃ってやられるようなのを? 考えてもみてくれよ。オレは魔術を習ってない。素人だ」
「密かに習われたという可能性は否定できないでしょう」
サイモンは淡々と言った。
「まあねぇ……オレはものすごい才能があるらしいし? やればできんのかな? どう思う、エドガルド。オレが実は手練れの魔術師だったという方がいいか?」
エドガルドは顔をひきつらせた。
「そんなはずないよなぁ? わかってくれればいいんだよ。オレじゃない」
「ではご同行の誰かでしょう。キース・バルフォアでなかったのは確かめられましたが」
サイモンの言葉に、ヘルムートは声を上ずらせた。
「……なんだって?」




