欺瞞
ジーノが司書から鍵を渡されて使っていた閉鎖書庫は、地下に広がっていた。その場所はおそらく、図書館と大公邸の両方に繋がっていたというのがクラウディオの推測だ。
ドゥイリオが死んで以降、大公邸は無人となったとされているが、実際には残されたエルネスティーネが暮らしていたに違いない。だから、大公邸を見てみたい。直接行って調べたい。そういう話だったが。
ヘルムートは腰まである高さの雑草の中を進みながら考えていた。
要するに、エルネスティーネが火事の日に死んだのではなく、その後も生きていた可能性を探りたかったのだろう。
それが証明されればアーシェはエルネスティーネではなかったということになる。が、さすがに無理筋だとヘルムートは思う。
アーシェの持っている知識、魂相の数値、そしてなにより動機がある。ジーノが自身の魔力をごっそり削ってまで禁呪を使う動機が。
彼がそれほど親しくない相手を身を挺して救おうとするような自己犠牲精神の高い人間ではないことをヘルムートは知っている。薄情とまでは言わないが、現実主義の男だ。
だがそれがエルネスティーネだったなら、つじつまが合う。マルツィアではなくエルネスティーネの方を救おうとしたのは、マルツィアはすでに息絶えていたのかもしれないし、あるいはマルツィアもどこかで記憶を残したまま生まれているのかもしれない。そのあたりは想像するしかできないが。
ヘルムートがたどりつける程度の考えに、従弟が思い至らないはずがない。
彼自身がエルネスティーネを看取り、そしてそれを忘却しているという事実を受け入れられないのか。
苛立ちはするが、その弱さをヘルムートが責めることはできない。
「まったく、笑えねぇ」
それほどまでに心を傾けていた女がいたなんて、聞いていない。
「これはヘルムート様。ご無沙汰しております」
ヘルムートが図書館跡に戻ると、赤いローブの男が五人、いや六人、プレヒトを遠巻きに囲むように立っていた。声をかけてきたのは、その中で一番偉そうな男だ。一人だけ道に立っていて、草むらには足を踏み入れていない。賢明な判断といえるだろう。
「あー。久しぶりだな」
ヘルムートは服に刺さった草の実を指でつまんで抜きながら適当に答えた。少し歩いただけなのに、びっしりとついている。まったく植物の生命力には感服させられる。これがまたチクチクと肌に刺さって痛いのだ。
「このような場所に、なんのご用で?」
「少し前にこのへんで落とし物をしてね。探しに来たんだ」
ヘルムートは男と目を合わせるかわりに傍らのプレヒトを見上げた。プレヒトは不機嫌だ。無理もない。
「橋の検問を通らずに来られましたな」
偉そうな男は、実際にかなり偉かった。ファルネーゼ元老院の議長で、名はエドガルドという。
鼻が低くのっぺりとした冴えない顔をしているが、魔術師としては一流で、気象魔術や空間制御術などの大掛かりな術式を得意としている実力者だ。正直、わざわざお出ましになるとは思っていなかった。
「ああ、忘れてた。どうせオレの魂相は第一種なんだしいいだろ?」
第一種は緊急時でも行政区に制限なく出入り可能な特級の区分だ。この特権を持っているのは数人しかいない。大公であるセザールとその対、ヘルムート、ラズハット、そしてエドガルドと執行部隊長サイモン。
ジーノの金時計も一種の資格を備えているが、彼は十年以上行政区に姿を見せていない。今日はジーノとして堂々と入るという手段も考えたようだが、いらぬ勘繰りを産むことは明らかだった。一方ディルクは行政区への入場資格がない――どころかファルネーゼの門を通ってすらいない違法滞留者。それで結局、こういう危険を承知でヘルムートとプレヒトを頼るのが一番と判断したようだ。
「示しがつかないと申し上げているのです。検問所は保安上、重要な施設です。それをあなたが無視することは」
「悪い。次に来る時はちゃんと通るよ」
ヘルムートは引き抜いた直線状の実を地面に払い落としながら言った。
「お一人ではないようですが?」
「ダチだよ。探し物を手伝ってもらおうと思って連れてきたんだ」
ヘルムートのでまかせに、エドガルドはうなずくような仕草をした。
「ご友人というと、アリンガム近衛隊のキース殿でしたかな」
思わず違うと答えそうになって口を閉じた。情報を与えてやることもない。
予想の範囲内ではあったが、ヘルムートが学院でどのように過ごしているかは逐一上に報告されているようだ。
「……別に、誰だっていいだろ」
舌打ちをこらえて言った。ここに議長自ら出向いてきたことを考えても、やはり大公派には相当警戒されている。
前回ここでセザールに会った時も、実際には二人きりではなかった。姿は見えなかったが、複数の気配を感じた。
「ずいぶん重要な探し物とお見受けしますが、我々がご協力いたしましょうか?」
エドガルドは食えない男だ。セザールの古くからの友人だが、セザールが退いた後は自らが大公になろうとしているのではないかとも言われていた。
今の法では、セザールはいつまでも「大公代理」のままだ。「代理」はその権限に制約がある。たとえば封鎖令を単独で発令できないとか、前大公がお気に入りの対に与えた様々な超法規的特権を剥奪できないといったような――しかも、セザールがその座を退いた後に大公になる資格がある人間は現在のところヘルムート一人しかおらず、ヘルムートがこれを辞退する場合、ヘルムートが誰かを代理として指名する形となっていた。
この行き詰まりの状況を打破するため、議会は法改正をしようとしたが、全体投票により否決された。十年前のことだ。大賢者の血を継ぐ者だけが正式な大公であるべき、という伝統を守ろうとする魔術師の方が圧倒的多数だった。
大公派は諦めなかった。旧態依然のやり方を変えるべく活動をはじめたのだ。
意識を改革すべし、というスローガンを掲げ、隣人を諭し、友人を招いた集まりを頻繁に開いた。じわじわと大公派の議席を増やし、教員を入れ替え、学生たちの間にも新しい思想を根付かせようとした。
まだるっこしいが、堅実なやり方だともいえる。この十年で、空気は変わった。大公派は保守的な血統派を上回った。
ヘルムート自身が魔術を学ぼうと学院に入学し、大公位を継ぐ意思を見せていればまた違っただろうが。ヘルムートには自分の命を削る気がなかった。
どこへ行っても権力の椅子を欲しがる者ばかりで、そしてこちらも同じ種類の人間だと思い込みたがる。まったくいい迷惑だった。
勝手にやればいいと思い放置してきた。今までのファルネーゼではなくなるかもしれないが、それが時代の移り変わりというものだろう。
大公派の言い分は正しいと、クラウディオも認めている。たとえヘルムートに子ができ、その子が魔術師を志し優秀であったとしても、その先が続く保証はない。いつかは大賢者の血が途絶える時が来るのだ。
血統派は大賢者府から血筋の者を派遣してもらえばいいというが、そんな要求が通るかどうか。通ったとして、ファルネーゼらしさが維持できるのかはわからない。
だから自分たちでやる方がいい。優秀な者がファルネーゼを支える。負担はあるが、任期を短くし、交代していけばいい。それが大公派の主張だ。
来年に予定されている全体投票ではおそらく、法案は通るだろう。以降は議会で選ばれた代表が大公ということになるのだ。
そうなれば言うまでもなくヘルムートの立場は弱くなり、現在のような掟破りも許されなくなる。居心地が悪くなればどこかへ移ろうか、などと軽く考えていたが――状況が変わった。
クラウディオが健康を取り戻して後継を望めるようになり、しかも双を得て魔術を自在に扱えるようになる日が来るとは、ヘルムートも思ってもみなかった。
もし彼がその気になったなら、力になってやりたい。そのために無茶を通せる権力を、まだ持っていた方がいいのではないか。そんな風に考えはじめている。
「いや、もう見つかったよ。気持ちだけもらっとく」
万一、法改正前にセザールが倒れでもすれば、ヘルムートが大公代理を選出することになる。今はまだエドガルドはヘルムートの機嫌を損ねられないはずだ。
どう言ってこの連中を追い払おうか。見なかったことにしてくれと借りを作ってやるか。
「……ヘルムート様。我々は冗談を聞きに来たわけではないのですがね」
「ルールを破ったオレを咎めに来たんだろ? それ以外どういう用事があるんだよ」
そっと草を分ける音がする。
クラウディオが近づいている。用が済んだのだろう。なにか隙があれば。プレヒトにひと暴れしてもらうか――
そんなことを考えた時、あまりにも都合よくそれは起こった。
聞きなれない低い音が数秒続いた後、足元がぐらついた。地面が揺れている。ヘルムートは立っているのが精いっぱいだったが、周りの男たちは転んだりうずくまったりしている。手のひらになにかが触れた。クラウディオだ。意図を察して、とりあえず目の前に向かって術を放った。
男たちが全員、うめき声を上げて顔を覆っている。
「あちらも手練れだ。長くはもたない。すぐに戻ろう」
「なにやったの?」
耳打ちに小声で返す。地揺れは次第におさまりはじめていた。
「別に、ただの強烈な催涙効果だ」
答えたクラウディオの深緑の髪には草の実が貼りついていた。しゃがんで草の中を進んできたせいだろう。そんな場合ではないが、ヘルムートは少し笑ってしまった。




