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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第五章
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大公邸


 今日、すぐに動きたい。

 クラウディオがヘルムートにそう持ち掛けてきた。彼はこんな風に唐突な話を持ってくることがよくあった。

 こちらにも都合というものがあるが、優先順位ははっきりしている。

「いいぜ。確かに、アーシェちゃんは巻き込めないよな」

 ヘルムートは承諾してプレヒトに鞍をつけた。飛竜の背は広く、そのまままたがるのは難しい。転落を防止する意味もあり、しっかりした椅子状の台を固定して腿にベルトもつけるのだ。竜騎兵の標準装備である。


 クラウディオは今日、アーシェと実習に参加していたはずだ。ディルクの格好で現れたが、屋上で青ローブを脱ぎ、眼鏡をはずした。話しているうちにオレンジ色の髪から鮮やかさが抜け落ちて深い緑になる。

「時間になったら色が変化するように仕込んでおいたんだ」

 そう言いながら整髪剤を使い、髪をうしろに撫でつけて額を出した従弟は、もうディルクではなかった。用意周到なことだ。

 ヘルムートにできるのはクラウディオが編んだ魔術を外側に放つことだけ。クラウディオ自身に魔術による影響を与えるには完全な対であるアーシェの魔力波が必要なのだ。

「……オレは変装しなくていいの?」

「プレヒトがいるのに無意味だろう。どうせ君は捕まらないさ」

「オレだってあまり睨まれたくはないんだけどねぇ」

 ヘルムートは肩をすくめた。



 四十四日の周期の間に二回やってくる、クラウディオがヘルムートと魔術を発動させられる時。それが今日だった。

 クラウディオはプレヒトに隠蔽の魔術をかけた。これで透明になるわけではないが、人目につきにくくなるという。隠蔽の魔術は犯罪に使われることが多いため、禁呪の一種だ。学院では教えていない。

 二人を乗せてプレヒトが羽ばたいた。こうしてクラウディオと飛ぶのは、アーシェに初めて会った、あの日以来だ。


 目的地は、行政区。機能的にも位置的にも、ファルネーゼの中心である。議事堂や裁判所、執行隊本部、資料棟、迎賓館などが建ち並ぶ。

 プレヒトはまっすぐに飛び、天測塔のすぐそばにある図書館の跡地へ着地した。

「できるだけ早く済ませる。湖を越えたことはすぐに察知されるはずだ」

「はいよ」

 プレヒトから降りたクラウディオは足早に大公邸へと向かった。ヘルムートもプレヒトに待つよう指示してから後を追う。相変わらず草だらけで、歩きにくいことこの上ない。草の実が貼り付かないよう、根元から踏み倒しながら進んだ。

 行政区の図書館の奥に大公邸があった――というよりは、その逆なのだろう。大公邸があったから、近くに図書館が建てられた。


 大公邸を囲むのは蔦の絡まった鉄柵だ。先端が尖っていて侵入者を威嚇するように見えるが、結界が張り巡らされていてよじ登ることすら不可能になっている。

 種も入りこめないのか、前庭には雑草一つ生えていない。

 門の前に立ったクラウディオが無言で手を伸ばしてきたので、ヘルムートも黙ったまま繋いでやった。

「その門に手を付いて集中してくれ」

「こうか?」

 体を魔力が流れる感覚にざわりとする。ヘルムートはこれが苦手だった。同時にやってくるクラウディオの思考の流れは、むしろ楽しんでいたが。


「……やはり地下にまで張り巡らされている。これは確かに大賢者の張った結界だな。外側・・と同じ神経質さを感じる。小規模とはいえ、魔力の供給なしに十年以上維持できているとは……」

 クラウディオが手を離した。

「破れそうか?」

 ヘルムートの疑問に、クラウディオは顔をしかめながら答えた。

「難しいな。さすがに隙がない。準備も時間も必要になる……裏手に回ってみよう」

「だけど外側はおまえ、出入りできるじゃん」

 ファルネーゼを囲む結界をすり抜ける魔術。数か月前、実際にプレヒトごと通過したばかりだ。

「いや……あれとこれとは別種の結界だからな。ファルネーゼの四方の門は害意のない者の通過を許す。前回はそれと同じ穴を空中に数秒作っただけのことだ」

「ふーん」

 なんでもないように言っているが、クラウディオにしかできない反則に違いない。


「子孫が揃って来てるんだから、ようこそと開けてくれてもいいと思うんだがなぁ」

 ヘルムートがそうぼやいた時、視線の先で大公邸の扉が開いた。

「げっ」

 魔物にでも出くわしたかのようなうそ寒さがあった。門の前で立っている二人の前に、女の使用人の姿をしたなにかがゆっくりと近づいてくる。


「ご用件をお伺いします」

 抑揚のうすい声で使用人が喋った。


「光の国の遺物、自動人形……はじめて見るな」

 クラウディオが呟いた。セザールが言っていた、あれだ。ヘルムートは掃除道具くらいに受け止めていたが、間違いだった。近づいてくるときは人間そのもののように見えたが、目の前にすると肌がつるりとしていてわずかな違和感がある。しかし動作は自然なものだ。おまけに会話までこなすとは。

「中に入れてくれないか?」

 クラウディオは平然としていた。この不気味な骨董品と会話しようという従弟の度胸に、ヘルムートは口の端を引きつらせて笑った。


 人形は瞬きをしながら唇を動かした。

「新たな住人登録には、大公の指輪をお持ちになった正統な次代の大公様が必要です。またのお越しをお待ち申し上げております」

 スカートをつまんで礼をすると、邸の方へ向き直る。

「おいおい、もう帰るのかよ!」

「中には誰かいるのか」

 戻りかけた自動人形は、くるりと振り返って言った。

「どなたもいらっしゃいません」

「エルネスティーネはどこに行った?」

 クラウディオはさらに問いを重ねた。


「存じ上げません」

 感情のない瞳で人形が答える。

「知らない……? ここにいたはずだ。いつまでいたんだ? どうやって出て行った?」

 人形はわずかに首をかしげるような仕草をした。

「奥方様の外出は許可されておりません」

 ちぐはぐな返答に、クラウディオはなおも何か言おうとしたが。

「静かに」

 ヘルムートはその口を手のひらで軽くふさいだ。

 耳慣れた声が届いた。プレヒトが呼んでいるのだ。

「誰か来てる」

「……早いな」

「オレは行く。ちっとは時間が稼げるだろ。裏の様子を見るなら手短にな」

 話している間に、人形は扉の向こうに消えていた。ヘルムートはプレヒトの元へ急いだ。


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