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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第五章
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浮遊魔術


 実習授業の始まる前に、アーシェは第一講堂の裏手からこっそりとキースにメッセージを送った。


 ――兄さま、昨日から朝練に出ていないって聞いたけど大丈夫? 体調が悪いの?


 アーシェは話に聞いたことしかないが、幼い頃のキースは一晩中咳をして眠れないようなことがよくあったとか。咳は成長するにつれおさまったというが、元々あまり丈夫なたちではないのだ。騎士になりたいという話も家ではずいぶん反対されたと聞く。


「返事、届きませんね」

 アーシェの隣でティアナが言った。

「そうね……」

 疲れがたまって休んでいるのだろうか。最近のキースの様子を思い出しながら、アーシェは少し心配になった。


 いつもよりため息が多くはなかったか。

 編入のせいで勉強が増えて、睡眠も削っているという話だったのに。

 自分のことで手いっぱいで、気が回らなくて。もっと顔を見せてほしいなんて言って、また甘えていた。


「アーシェ」

 ティアナがアーシェの腕にそっと触れた。

「授業の合間だもの、すぐには気づかないと思うわ。また後で確認しましょう。ね」

 励ますように優しい口調だった。自分が暗い顔をしていたことに気づいて、アーシェは笑みを作った。

「そうよね。……行きましょう」

 ちょうどよく授業のはじまりを報せる鐘が鳴った。鐘楼台のすぐ近くにいるので、いつもより大きく聞こえる。

 アーシェはちょこっと魔術信を鞄にしまい、ティアナと一緒に広場に向かった。



 広場に整列した実践科AとBの生徒たちの前に、ヌンツィオとコズマが並んでいる。対魔術も共同魔術もひとところに集められたので、いつもより一層アーシェの隣に立ったディルクが周囲から注目されているのを感じた。

「今日の前半は単独ソロで実習をやる。だから全員に集合してもらった。だが理由がもうひとつある。大事な話を聞いてもらいたいからだ」

 ヌンツィオが声を張り上げて言った。

「今日やるのは浮遊だ。ほんの少し浮かんで進む。魔力の使い方の基礎のひとつだからな、全員できるようになってもらう。だがその発展形である飛翔魔術については、決して深入りするな。たとえローブを得た後でもだ」

 知ってる、当たり前、なんで? 等々。魔術師の子とそうでない者で呟きが分かれた。

 ざわめきを静めてからヌンツィオが話を続ける。

「飛翔魔術は攻撃魔術を避ける際に必須の技術だ。それ以外にも必要な時はあるし、禁呪ではないが、あくまでも緊急時に使うためのもの。極めたいなんて思うなよ。緊張感を持っている間はいいが、慣れると最悪なんだ。だがわかっていてもこれをやりたがるヤツが昔からいる。いくら危険だと言っても、ハマると聞く耳を持たなくなる。なんでも身一つで飛んでると何とも言えない高揚感、万能感が得られるらしい。いわゆる飛翔中毒だ」

 人が鳥のように空を飛ぶ。アーシェにも確かに憧れはあった。もちろん怖いという者もいるだろうが。

「魔力の無駄だと指摘されてもな、自分の魔力は自分で使い道を決めていいんだなんて嘯いて、階段を使わずに窓から飛び降りたり、鳥を追って一緒に飛んだりしはじめる。人目を盗んで飛ぶことが日常になって、それでそのうち落ちるのさ。みんな自分だけは大丈夫だと思い込むが、必ず最後は事故を起こす。ふと気を取られたり浮いてることを忘れたり――俺が直接知っているだけでも五人が死んでる。うち一人が、友人だった。飛翔魔術の教授をしていたんだが……それくらいの手練れでも落ちるってことだ。忘れるなよ」


 ブレーズは珍しく顔をひきつらせ、対のレオンに背を叩かれていた。

「大丈夫だ、怖がってるくらいでちょうどいいんだからな」


「墜落する時、魔術でうまく防御できないのですか? 魔術が切れたばかりで次の魔術を発動させることになるからですか?」

 青くなりながら小声で訊いたティアナに、ペルラが答えた。

「そうね。単純に連続使用は難しいっていうのもあるけど、高ければ高いほど落下速度があがるし相殺しなきゃいけない衝撃も大きくなる。集中も計算も間に合わないのよ」


 生徒たちのさまざまな反応を、ヌンツィオは黙って受け止めていた。考えさせるために、あえて時間をおいたのだろう。

 やがてコズマが二度手を叩いてから口を開いた。

「飛翔の危険性を理解していただいたところで、今日の浮遊魔術の説明をいたします。これも落ち着いてやらなければ事故がありますのでよく聞くように。これまでの実習では体の外側に向かって魔力を放つことが中心でしたが、今回は自分の体に魔術をかけるということになります。地面から浮いて歩くだけのことですが、足裏だけに浮かぶイメージを集中させるとひっくり返ることがありますから、うまく全身をつかって安定させるのですよ。ほんのわずかの高さで大丈夫です。膝より上になると危険と思ってください」

「手をつなぐとバランスが難しくなるからな、はじめは一人だ。集中しすぎてぶつかるやつが毎年いる、広がって練習しろよ。誰か手本を……」

 ヌンツィオがアーシェの方を見た。正確には、彼が見たのはその隣にいるディルクだった。

「今日は青ローブにやってもらうか」


「嫌です」

 ディルクは堂々と答えた。


「ヌンツィオ先生、手本は私がやります。彼は」

 コズマがとりなそうとしたが、ヌンツィオは顔をしかめて続けた。

「お前なぁ……。新入生を指導するのも先輩の大事な役割だぞ。ルカーシュがいつもやってるのに」

「浮遊は苦手です。魔力を浪費するので単独ソロでやりたくありません」

「節約したいのは誰でも同じだろうが」

 はらはらしているアーシェの横から、ディルクはヌンツィオの前に進み出た。無言で金時計を開き、表面を撫でる。

 八時まで減っている、あの魔力量を見せようというのだろう。

「……ふむ。確かに年の割には……なにか大きい魔術を使ったのか?」

 ディルクの金時計をのぞきこんだヌンツィオが語気を弱めた。

「いえ。生まれつき少な目だったようです。僕は攻撃魔術をやっていましたが、実習が進むにつれて急壊バーストを何度か起こして、当時開発されたばかりの魔力量計で検査してもらったんです。それで魔力容量の乏しいことがわかって、専攻も魔法薬に変えました。おかげで留年もしています」

「なるほどなぁ……。わかった。それなら仕方ない」

 急壊バーストは魔力を一気に使いすぎた時に起こるショック症状だ。めまいや痙攣を起こして倒れるという。よほど修行して出力量を上げていかないと起こらないと言われるが、魔力容量の少ない場合はその限りではない。

「今日はオレがやりますよ、先生。得意なんで任せてください」

 レオンが挙手して言った。オマエだけ目立たせるわけにはいかないからな、とルカーシュに視線を向けて付け足す。


「ディルクさんて、魔力量少ないんだ……道理で、熱心にペアを探してたわけだ」

 ラトカが呟くのが聞こえた。なんとか違和感なく切り抜けられたようだ。アーシェはほっと胸をなでおろした。



「オレのイメージは自分の体全部が軽くなる感じ。だけど地面のちょい上に道があると想定するやつもいるし、頭から引っ張られてると考えるやつもいる。羽が生えるとか言ってたやつもいたな。ともかくまずは浮くことだぜ。足元が安定するようになったら一歩進んで」

 レオンはそう説明しながら宙を歩き、途中、片足を軸にくるりと回ってもみせた。おお、と声が上がる中で、リューディアが「私は滑るのが得意よ。スケートみたいに。しゅーって」と揃えた指を前に突き出しながら対のバシリオに話しているのが聞こえた。


 拍手とともにレオンがブレーズの隣に戻り、全員が広場いっぱいに散らばる。実習のはじまりだ。

 レオンはごく自然にやってみせていたが、いざ自分でやるとなると簡単ではないことがすぐにわかった。なんとか浮いたかと思えばすぐ地に足がついてしまう。アーシェの隣では、エルミニアが転倒して声をあげていた。

 体全部を持ち上げるのは、木彫りのウサギを動かすのとはわけが違う。力の向きも、かかる力の大きさも。


(体は重い……そのイメージが私の中にあるから力がいる。地面の上に透明な道をイメージする方がいいかしら)


 アーシェは足元をじっと見た。支えがあって幅もある、安定したガラス張りの橋のようなものを想像する。奥歯を噛み、その上にそっと右足を乗せた。

 確かな感触があったので、左足もあげる。しっかりと立つことができた。

「わ! アーシェ、うまいじゃん~」

 エルミニアの声に振り返って笑おうとしたが、とたんにアーシェの体は支えを失って空足を踏むこととなった。なるほど、これは危ない。





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