入寮
気がつくとベッドに寝かされていた。
キースが運んでくれたのだろうか――実は、気を失っている時は男性に触れられても大丈夫なのだ。大丈夫というか、意識がないので反応できないというのが正しいが。
深く眠っている時も同様のようだが、少しでも眠りが浅いと悲鳴をあげて飛び起きる。余談だが、父はアーシェが赤子の頃、眠っている額や頬にキスをしようとして、なんども起こしてしまいそのたび母と乳母にたいそう叱られていたそうだ。
さきほどの建物の中だろう。狭い部屋だ。ひとつだけある小さな窓の外は真っ暗で、すっかり夜になってしまっているのがわかる。
簡素なテーブルの上にアーシェの持ってきた荷物。その横の椅子に座ったまま腕を組んでキースが眠っていた。疲れているだろう。起こさないようにとそっとベッドから降りると、彼はすぐに目を開けてしまった。
「ああ、気がついたのか」
「ごめんなさい。えっと、お手洗いに……」
「扉を出て右手のつきあたりだ」
「ありがとう」
すっきりして部屋に戻ると、キースは座ったまま待っていた。
「具合はどうだ」
「もうどうってことないわ」
アーシェは、部屋に他に椅子がないので、ベッドに腰掛けることにした。
「登録は無事に終わった。おまえの眠っている間にすませたんだ。本当に時間がかかって、その間に俺は治療をしてもらった。もう万全だぞ。さすがにファルネーゼの救護師は腕がいい」
「そうだったの。よかった」
「おまえに似た魂を持つ者のことだが」
キースは声を小さくして言った。
「ここで調べることはできないし、たとえ調べることができたとしても教えられないとのことだった。まあ、仕方がないな」
「そんなことまで聞いておいてくれたの……」
「気になるだろう」
「まあね。せめてそれが何年前の登録だったかが知れたらよかったけど」
もしもアーシェの生まれる前のことなら、本当に前の魂の持ち主かもしれない。
「女騎士ではなく、魔術師だった可能性も出てきたな?」
「どうかしら。魔術の実践的な知識は……それほどない気がする」
「そうなのか」
「まあ、これから学ぶのに退屈しなくていいわ」
「確かに」
キースは軽く口の端を上げて笑ってみせた。
「俺は正直、ここに来て手がかりが見つかるかは怪しいと思っていたが。どうやら当たりの可能性が高そうだな」
「そうだといいけど」
「あとは、御者に魔術信を言づけておいた。アリンガムに戻り次第打ってもらえるように……中に入った後は情報漏洩を防止するため、おいそれと送れないらしいからな。無事ファルネーゼに着いたことがわかれば、皆安心するだろう」
「なにからなにまでありがとう……」
本当にキースが一緒に来てくれてよかった。過保護と思ったが、母にはアーシェが外でひとりでやっていけないことがお見通しだったのかもしれない。
「さ、食事にしよう。下で用意してくれているそうだ。今晩はこの部屋で。俺はとなりに泊まる」
「はあ、おなかがすいた。兄さまもまだなの? 先に食べればよかったのに」
昼からなにも食べていない。それも揺れる馬車の中でパンをかじっただけだ。
「治療に長くかかったからな。気にすることはない」
眠るくらい暇だったくせに。
「おまえは相変わらず軽いな。背が伸びないのはともかく、もう少し食べた方がいい」
「ちゃんと食べているわよ」
アーシェは反論した。やっぱりキースが運んだんだ、と思いながら。
「あああああ! も~~~我慢できない!」
そう叫んだのはマリーベルだった。赤髪の巻き毛がくるくるとして愛らしい十六歳の少女だ。二回生。
「申し訳ありません……」
「なぁにぃ? どしたー?」
特徴的な、鼻にかかったのんびり声が二段ベッドの上から響いた。こちらはルシア。四回生だが、こちらも十六歳だ。
二人とアーシェが同室になって、はじめての夜を越えた朝。
「この子ったら夜中に何度叫び出したか! もう、おちおち寝てられやしないの」
「そっかー。大変なんだねぇ、不眠症だっけ? ちがった、夜驚症?」
「その、夢見が悪くて……」
アーシェは小さくなりながら頭を下げた。
「うんうん。そうだった」
「聞いてたより全然多いわ! 先生のところに行ってきます」
「んー。じゃああたしは寝直すねー」
ルシアはすぐ静かになってしまった。寝つきがいいから大丈夫、とゆうべ言っていたが、本当に驚くほどよく眠る人だ。
「さあ、着替えて! 先生が出かける前につかまえましょう」
「え、私も?」
「当たり前でしょ!」
ファルネーゼ魔術学院の寮は一部屋に二段ベッドがふたつ。四人部屋で、先輩後輩まぜこぜに組まれる。要するに先輩が後輩の面倒を見ていろいろ教えることが前提になった部屋割りなのだ。
アーシェともう一人、新入生がこの部屋に入ることになっているが、その子はまだ到着していないらしく大きな荷物だけが届いていた。入学式まではあと一週間ある。
てっきりマリーベルは寮監に部屋割りを変えてもらうため直訴しに行くのかと思っていたが、寮監室を通り過ぎたことで違うのだとわかった。
マリーベルはアーシェの手をひいてせかせかと歩いた。寮を出て建物を二棟飛ばし、三つ目の大きな建物の扉を開けて螺旋階段を上る。
「ここが研究棟。授業では使わないけど、質問にはよく来るかな。で、こっちの、一つ目の部屋はフェランディス先生、薬草が専門。二つ目が……ここは来ることないからいいわ。三つ目、ここよ」
マリーベルが扉をノックした。金のプレートが打ち付けてあり、「ヴィエーロ」と書かれている。
「ヴィエーロ先生。せんせーい!」
返事はなかったが、マリーベルは勝手に取っ手を押した。
「開いた。開いてたら、入っていいってことなのよ。おはようございまーす」
「し、失礼します」
「あー、マリーベルさん、どうも。また来たんですか?」
部屋の中にいたのはうだつの上がらなさそうなメガネ姿の男性だ。ちょうど水槽の中の魚にエサを落としているところだった。
壁際の棚にぎっしりと色とりどりの瓶が並べられており、中央に置かれた大きなデスクの上は開きっぱなしの本でいっぱいだ。
およそイメージの範囲内の魔法使いの部屋、という感じだった。
「もちろん用があって来たんです! 先生、この子新入生なんですけど、夜中とってもうるさいの。悪い夢を見てすぐに目が覚めるんですって。なにかいい薬はないですか?」
「ふむ」
ヴィエーロはメガネを動かしながらアーシェを見、それから棚の前まで歩いた。緑の丸薬の詰まった瓶を抜いて、マリーベルの眼前に差し出す。
「はい、これが耳の遠くなる薬。一晩二粒」
「そうじゃないでしょ!」
「何故? 静かに眠りたいのでは?」
「あのね先生、わたしは、隣で誰かがうなされているのにのんきに眠れるほど図太くないの。この子を眠らせてあげてよ」
「うーん……」
ヴィエーロは頭をかいた。
「でもその子、まだ金時計も受け取っていないでしょう。色々調べるには準備が……悪夢といっても色々種類があって……」
アーシェの腕にあるのは銀色のベルトだった。入国の際に登録した情報と結び付けられていて、授業が始まるまでの簡易な身分証明になるらしく、肌身離さずつけているよう命じられている。
「そんな難しいこと? ただこんこんと眠れる薬があればいいのよ」
「睡眠薬はおすすめしませんけど……非常時に動けないと、安全上の問題が」
「寮で危険なことなんてある?」
「うーん。あなた、ホームシックですか? 新生活で緊張していますか?」
話を振られて、アーシェは緊張した。やはりはじめての男性の前となると、体がこわばってしまう。せめてローブのフードをおろしておいてくれれば、少しは圧迫感も和らぐと思うのだが。
「ええと、緊張はしています。でも、夢見が悪いのは元からなんです。毎晩で」
「うん。夢っていうのはねぇ、記憶を頭の中で並べ替えてるんだよねぇ。どうして悪いことばかり出るのかな? 心当たりは?」
「並べ替え……ですか」
「いらないものを捨てるためにね。全部入れておくのは無理だから。この部屋のように整頓していく作業だ」
それほどきれいな部屋とは思えない、と思ったのが顔に出たのか、ヴィエーロは付け加えた。
「今、整頓している途中ということです」
「あ、なるほど」
しかし、言われてみれば。アーシェの魂の以前の持ち主だって、毎日嫌なことだらけの人生だったわけでもないだろう。つらい境遇におかれていたとしても、少しぐらいほっとする瞬間とか、なにかあってもよさそうなものなのに。ご飯を食べているとか。空を見ているとか。
「あー。でも、あれがあったかな。あれが……」
ヴィエーロは反対側の壁のほうの棚に移動して、しゃがんで一番下の瓶を取った。
「これこれ。これはね、子どもの頃の夢を見るやつ。けっこう覚えてないもんでしょ? ほんとに小さい時のことって。そういうのをこう、思い出させるっていうのかな。しょせん夢だけど。幼い時に父を亡くして、顔を思い出したい、とか、そういう人に頼まれて調合したんだったかな。だいぶ前だけれど」
瓶を持って歩いてきたヴィエーロの前にさっとマリーベルが立ちふさがり、取り上げてラベルを見た。
「十年も前のやつじゃない! 本当に大丈夫?」
そう言ってからアーシェの手に瓶を乗せてくれた。
「まあないよりマシよね。試してみたら?」
「タダではありませんよ。レポートを書いてください。毎日、何時に飲んで、どのくらい寝られて、どんな夢を見たか。詳細にお願いします。とりあえず十日分」
「は、はい。ありがとうございます」
こうしてアーシェは実験体となり、魔法の薬を手に入れたのだった。