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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第四章
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無意識


 アーシェは気を失っていた。ほとんどキースの上に倒れこんだようなものだった。キースはアーシェの返事のないことを確かめてから、いたわるように彼女に触れた。

「……連れていく」

 深い溜息の後でそう言って、キースはアーシェを抱え立ち上がった。置いてあった鞄と二人分の傘を掴み、歩き出す。ヘルムートは後を追い、両腕のふさがった青年のかわりに扉を開けてやった。


 元通りに鍵を閉めてから、ヘルムートはソファに座ったままのクラウディオを振り返った。

「付いてかなくていーの?」

「その必要はないだろう。第一、この格好で出歩くのはな」

「それもそうか」

 ヘルムートは肩をすくめた。ディルクになるにはアーシェの力がいるのだ。


「やっぱ一気に話しすぎたかな? オレも疲れたわ」

 ヘルムートはクラウディオの隣に座り、ソファの背に頭をもたれさせた。天井から吊るされたランプは、今は明かりがともっていない。それをなんとなく眺めながら口を開いた。

「おまえさ、じいさんのこと覚えてるか?」

 母の死因くらいは聞いたことがあったが、それほど興味を持っていなかった。顔も覚えていないイヴェッタより、可愛がって育ててくれた側妃たちの方がヘルムートにはずっと身近だった。

 たった一歳だったのだ。覚えていられるはずもない。

 その時怒鳴りこんできた祖父のことも、かばって守ろうとしてくれた少女のことも、なにも知らなかった。

「いや……」

「だよなぁ」

 ドゥイリオが死んだのはジーノが三歳の時だ。確かその二年前に、ドゥイリオはセザールと絶縁している。

「なんでじいさんとセザールが絶縁してたのか、そのへんにも関係がありそうだと思わないか?」

「ああ……」

 頭を起こして横を見ると、クラウディオはティーカップの淵を指でなぞっていた。

「おまえ今なに考えてんの?」

「時空間の歪曲について」

 ヘルムートはクラウディオの頭を軽くはたいた。

「なんだ。ちゃんと聞いてる。あいつならいつも酔っては死んだ前大公の悪口を言っていたさ。何も変える気のない思考停止者だとか干からびた化石だとか。仲が悪かったに決まっているだろう」

 クラウディオは舌打ちして答えた。

「それに母上のことも……愛してなかった」

「ふーん」

 セザールとマルツィアは魔力波の相性がよかった。対としてマルツィアの政務の補佐をするのに最も適した魔術師として選ばれたのがセザールだ。

 年の近い男女の対が結婚を前提とする魔術師の習いに従い、二人はしばらくの「交際期間」を持った後、結婚するに至ったというが。


「今、考えがまとまりそうなんだ」

「時間と空間の?」

「図書館の隠し部屋だ。子どもの頃の僕は、おとぎ話のようにゆがめられた場所にいるかのように感じていたが、そうじゃなかった。彼女は実体としてあそこに存在していた。そもそも時間を捻じ曲げること自体が現実的じゃない。認識の方をいじるならともかくだ。空間にしてもそうで、距離のある場所を接続することはたとえ短い時間でも大きなリスクを伴う。魔族がそのような術式を組み上げて使用したという記録があるが、五将軍クラスにしか扱えない代物だったはずだ。第一それだけの魔力をどこから引っ張る? 過去の大賢者の力が働いていたとしても、彼女らの魔力だって無限じゃない。仕掛けは効率よく。それが基本だ」

 クラウディオはぶつぶつと呟いていたが、こういう時のこの男はヘルムートの意見など求めていない。別々の話だって続けられる。そういう人間だ。

「だから、すぐ近くに彼女はいたんだ。そう考えるのが自然だ」

「で? エルネスティーネ嬢とどういう関係だったんだよ、ジーノくんは?」

 からかい交じりに言ってやると、クラウディオは露骨に嫌そうな顔をした。

「別に……ただの話し相手だよ」

「キースくんとアーシェちゃんを取り合うのかい?」

 ほんの一瞬、クラウディオは虚を突かれたような顔をした。まるで何を言われたかわからないという風だった。


「まさか」

 クラウディオは軽く笑い、ビスケットを手に取ってかじった。

「そもそも、まだ彼女がエルネスティーネと決まったわけじゃない」

「こんだけ状況証拠が揃ってるのに?」

「そう言えるほどのものか? 魂相ソウルマップの数値が近似していることは確かだが、あの装置については僕も勉強不足だ。遺跡研究のバルトロに話を聞きたい。現地調査から戻っているかな」

 クラウディオはいつになく饒舌だ。

 アーシェとエルネスティーネのつながりを否定したがっている。そういう風に見えた。


(おまえは今、誰のためにそれを考えてるんだ?)

 ヘルムートは冷え切って苦い紅茶を喉に流し込んだ。





 頭が割れるように痛み、とても体を起こしていられなかった。うつぶせるように背を丸めて、目をぎゅっと閉じていた。

 自分で作りだした暗闇の中にいると、優しい手のひらがそっと、背中をさすっていった。ほっとして息が楽になった。イメルダの魔力が体を通り抜けた時のように。


「……は?」


 気がつくとクラウディオの頭を撫でていた。至近にクラウディオの金の瞳があって、アーシェは急いでうつむいた。何が起こっているのかわからなかった。

「ご、ごめんなさい。もう大丈夫……です」

 混乱しながらやっとのことでそれだけを言って、立ち上がった。頭がくらりとした。



 その先が思い出せない。つまり、また倒れたというわけだ。見慣れた搬送室のベッドの上で、アーシェは身悶えた。

(どうしてあんなことを? 恥ずかしすぎる……!)


「気がつきましたね。お加減は?」

 イメルダが近づいてきたので、アーシェはうつぶせ気味のまま返事をした。顔があげられない。

「はい……なんとか……」


「頭痛がしていたとのことですが、今は?」

「いえ、はい、なんとも。もう少しだけ……休んでいてもいいですか」

「ええ、もちろん」

 イメルダは診察机の方に戻っていった。


 とても静かだった。外の雨音と、イメルダの動かすペンの音だけが聞こえていた。

 受け答えをしたおかげか、少し落ち着いてきた。アーシェは軽く身を起こして部屋を見回してみたが、イメルダ以外に誰もいない。

 たぶん、キースが運んでくれたのだろう。アーシェの荷物と傘が置いてある。けれど彼の姿はない。前回、ここに運ばれた時は、ずっとついていてくれたのに。

(やっぱり、今日はなにか用事があったんだ)

 申し訳ないような、寂しいような、拗ねたような気持ちで、アーシェは枕に顔を押し付けた。


 いろいろな考えがぐるぐると頭を行き来する。

 エルネスティーネは、まるで歌劇のヒロインのように眩く美しく、愛されて不幸で、現実にいた女性なのかと疑うほどだった。

 アーシェとはあまりに違いすぎる。ケルステン王妃になるはずだったのに、ファルネーゼの大公妃になったとか。本当にそんな人の魂と似た形をしているのか。

(ああ……無理だわ。こんないっぺんに考えられない。私は天才なんかじゃないんだもの。ひとつずつやっていかなきゃ)


 エルネスティーネの気持ちとか。

 いい加減に自立しなきゃとか。

 ……初恋がどうとか。


 初めて対魔術を使ったあの時、クラウディオの思考の中にいた、美しい人。アーシェでもはっとするような、惹きつけられる魅力のある姿だった。

 まつげが長くて儚げで、折れそうなほどに華奢で。


(ああいう人が好きなんだ……)


 逆立ちしたってなれそうにない。アーシェは今日何度目かのため息をついた。


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