贈り物
「自分用の水晶玉はもう購入したか?」
実習の日の朝、いつものように五階の研究室を訪ねたアーシェに、クラウディオは言った。
「いえ、まだ……」
フルヴィアにサポートしてもらいながら痕を治しているので、毎回フルヴィアの水晶玉を使わせてもらっている状態だ。
「でもだいぶ慣れてきたので、そのうち商業街で見てみようかと」
「いい水晶玉の選び方を知っているのか」
「それは……、先生にアドバイスをいただいておきます。あとは、お店の人に聞いたり?」
相場がいくらくらいなのかも、フルヴィアに聞いておいた方がいいだろう。アーシェは考えを巡らせた。
「早いうちに自分の水晶玉を持った方がいい。君の魔力になじませて、使いやすくするんだ。フルヴィアくらいになると道具を選ばないだろうが、初心者のうちはどんなものを使うかも大事だぞ」
「わ、わかりました。次の週末にでも買いに行きます」
ティアナを誘わなければ。一緒に行こうという約束がある。
「いや、その必要はない」
クラウディオはそう言って、引き出しから何かを取り出した。
「これを君に。気に入ってもらえるといいが」
クラウディオの手のひらに載せられているのは、ペンダントだった。鎖の先には金のリングが三つ重なって交差し、その中に小さな水晶球が嵌まっている。
目の前に差し出されたそれを、アーシェはじっと見つめた。
「可愛い……」
「魔術具だよ。以前僕の護身用の杖の話をしただろう? 君の身を守るために、ああいったものをなにか作れないかと思ってね。普段違和感なく身に付けられるように、どういう形状のものにしようかと悩んでいたんだが、君が精神魔術をやるならこれが一番いいだろうと。イメルダの話を聞いてすぐに方針が決まって、ずっと作っていたんだ」
しゃら、と音をたてて、アーシェの手のひらの上にそれが置かれた。
顔に近づけて見ると、リングの部分には細かな文字のようなものがびっしりと刻まれていた。あの銀のチョーカーのように。
鎖の部分も、ところどころ、小さな魔石が埋め込まれていてキラキラしている。
「これは透明度も高いし、真無垢の泉の水で磨いて仕上げられたいい水晶だ。携帯用サイズだが普通のものと遜色なく使えるだろう。いざ君が危険を感じた時には、すぐに防御結界が展開するように仕込んである。起動時には少々魔力を持っていくが、そこは許容してほしい」
アーシェが攻撃魔術を習いたいと話した時、対抗策を考えておく、と言っていた。自分に責任があるからと。
それでこんなものを用意してくれたのか。
「もちろんそれほど大きな魔術を防げるような力はないが、密かに狙われるような状況で使われるものに対応するには充分なはずだ。身に付けておいてくれ」
「う……嬉しいです。ありがとうございます。大切に、大切にします」
アーシェはペンダントを両手で握りしめた。涙が出そうだった。
「そんなに気に入ってくれるとは、作った甲斐があるな」
「だって、わざわざこんな」
「いや、僕も楽しかったからいいんだ。この間のルシアの魔術具を見て、触発されてね。なにか今まで手をつけてこなかったものに挑戦してみたいと思っていたところだったから」
クラウディオは機嫌よく言った。
きっと特別な意味なんてない。彼は義務を果たしただけだ。
奇跡的な確率で対になったアーシェが、彼のために危険に晒されることをよしとしなかった、ただそれだけのこと。
わかっていても、本当に嬉しかった。
「似合いますか?」
首にかけてみると、クラウディオは一歩さがって、アーシェの全身を眺めるようにした。
「少し鎖が長かったかな。しかしまあ、そのうち成長するかもしれないということなら、合うようになるだろう」
「が、頑張りますっ!」
アーシェは背筋をせいいっぱいに伸ばして言った。
「アーシェ、あなたそんなの持ってた? 珍しいじゃない」
研究棟から直接向かった食堂で、マリーベルが真っ先にアーシェの胸元の変化に気づいて言った。
生徒の装身具の着用は、よほど派手なものや高価すぎるものでなければ自由ということになっている。
「あ、これは……。水晶なんです。実習で使うので」
「ああ、精神魔術の? なるほどね」
「いつの間に買ったんですか?」
ティアナが首を傾げた。
「ごめんね。一緒に商業街に行く約束だったけど……、その、いただいてしまったの」
「誰に?」
マリーベルが興味津々という様子で聞いてくる。
浮かれていて、適当な言い訳というものを考えていなかったアーシェは、口ごもった。
「ええと……」
「なあに、秘密なの?」
「――ディルクさん、ですか?」
ティアナが察したように言った。
「実は、そうなの。コースが決まったお祝いというか。精神魔術をやるなら必要だろうと」
「ディルクって……、対の人だっけ」
マリーベルが声をひそめた。ややこしい事情のある相手、ということしか先輩たちには話していない。
アーシェはルシアがじっとペンダントを見ていることに気づいた。
「ソレちょっと見せてもらっても……いや、いいわ。あとで」
目が合うと、ルシアはそう言ってパンの籠に手を伸ばした。
「はい。あとで……」
ただのペンダントではなく魔術具だということが、ルシアには見抜かれてしまっただろうか。
身に付けていなければ意味がないものだが、普段は隠しておいた方がいいのかもしれない。アーシェは周囲をうかがってから、そっと襟を引いて水晶を服の中に落とした。
その日の午後の実習でも、ディルクはぎりぎりにやってきて、授業が終わるとさっさと帰っていった。
「オマエの対、わざわざ対を探しにファルネーゼに戻ってきたにしては、オマエに冷たいよな」
去っていくディルクの後ろ姿を眺めていると、珍しくブレーズが話しかけてきた。きっちり三歩分離れたままで。
「まあ天だから、合わなきゃまた別のやつを探せばいいと思ってるのかもしんねーけど」
「ディルクさんは……、まだ慣れていないだけです。この前ちゃんと、食事もご一緒しましたし」
「ふーん? まあオマエがいいと思うんなら別にいいけど」
それだけ言うと、ふいと向こうへ行ってしまった。
「ブレーズってさぁ。アーシェには妙に優しーよねぇ」
ひょいと現れたエルミニアがアーシェの肩に手を置きながらヒソヒソと言った。
「えっ。そんなことはないですよ」
「あるってぇ。妹でもいるのかナー」
にひひ、と変な笑いを浮かべていたエルミニアは、ラトカとルカーシュが近づいてくると澄まして挨拶した。
ラトカとルカーシュの対は、今や学院中で話題になっていた。数年ぶりに出た双ということで、注目されているようだ。はじめのうちは双の単語が耳に入るたび、自分のことを言われているようでドキリとしたが、今ではすっかり聞き流すことができている。
代々、波長の近い魔術師同士で婚姻を重ね、力を強めてきた一族の執念の結実だ。攻撃魔術の歴史を塗り替える特別な二人になるだろう――とまで言われているらしい。
自分がラトカの立場ならプレッシャーに押しつぶされてしまいそうだが、ラトカはむしろ向上心に火がついた様子で、ルカーシュと自主練まではじめている。
「みんなが期待してるのはルカーシュが優秀だから。あたしはただのオマケ。でもあたしはルカーシュの付属品には絶対ならないから! 同じくらい成績あげて、この二人だからこそって言われるような対になってやる」
そう宣言した友人を、アーシェはとてもかっこいいと思うのだった。




