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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第四章
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届いたものと届かなかったもの


 無事に支払いを済ませて注文の品を受け取り、隅の方の四人掛けの席に向かい合って座ったまではよかったが、アーシェはすぐに後悔した。

 驚くほど会話が続かないのだ。相手がクラウディオではなくディルクなので。これならいつも通り、クラウディオの研究室でアーシェが淹れたお茶を二人で飲む方がずっとよかった。

「ディルクさんって、どこに住んでいらっしゃるんですか?」

「――君に言う必要ある?」

「な、ないですが……」

 だいたいずっとこんな調子だ。取り付く島もない。


 もちろん、おしゃべりをしに来たわけではない。食堂に慣れるのが目的なので、もはやそれは達成したといってもいい。

 だがせっかくなら楽しい時間を過ごしたかったというのが本音だ。たとえそれが食堂であったとしても、二人で出かけるなんて初めてのことなのに。

 アーシェがうつむいていると、ディルクは渋々といった様子で口を開いた。

「長居することになったからね。はじめは宿を取っていたけど、今は知人の家に間借りしてる。といっても、帰ったり帰らなかったりかな」

「あっ、そうなんですね」

 アーシェは先日エルミニアが美味しそうに食べていた苺のクラフティをミルクと一緒に頼んでいた。

 ディルクは日替わりメニューの鮭のキッシュとレモンサワー。お茶を飲んでいるところしか知らないから、お酒を頼むとは予想もしていなくて驚いたが。好きなのか、ディルクっぽさを優先したのかはわからない。

 度数が低めのものに限られるが、食堂では昼以降は酒類も提供している。主に教職員や属性付与コース生からの需要があるのだ。


 溜息を飲み込みすぎて、せっかくのクラフティの味がよくわからない。

 やはり、ディルクのことは面談の時から少し苦手だ。同じ人だということはわかっているのに。

 いっそエルミニアでも通りかかってくれれば。いつも午後のおやつを食べに来るはずだが、もうその時間も過ぎてしまっているだろうか。


「アーシェ」

 そんなことを考えていると折よく横から声がかかった。

 エルミニアではなく、キースだった。

「兄さま!」

 アーシェはスプーンを置いて見上げた。キースはトレイを持って立っている。少し険しい表情だった。

「……誰だ?」

 その理由はすぐにわかった。警戒を滲ませた声色。キースはディルクに会ったことがないのだ。

「あ、この人はね……、ほら、ペアになってくれた」

「ディルクだ。君、お兄さんがいたの? 似てないね」

 ユーインとチェルシーは似た雰囲気を持つ兄妹なので、キースが父に、アーシェが母に似れば「いかにも兄妹」という風にも見えたかもしれないが。キースは髪色や細い眉、眦のきつく上がった顔立ちが母であるローラ譲りなので、アーシェと共通しているのは瞳の色くらいなものだった。

「いえ、兄ではなく従兄なんです」

「対。ああ……。そうか。そういう……。あ、いや。アーシェが世話になっている」

 キースはわかってくれたようだ。クラウディオとは何度か会っているキースが全く気付かなかったということは、やはり変装がうまくいっているということだろう。

「別に。この子が一人前になったら僕も助けてもらう予定だから」

 ディルクはグラスを傾けながら言った。


「……では」

 キースが立ち去ろうとしたので、アーシェは慌てた。

「えっ。ここで食べていけばいいじゃない」

 隣の椅子を引くと、渋い顔をされた。

「いや。――邪魔だろう」

 キースは抑えた声で言った。

「どうして?」

 アーシェは目を瞬いた。キースが邪魔になるなんて、あるはずがないのに。

(あ、そうか。気をつかってくれているのね)

 それはそれで、なにかいたたまれないような。


「どうぞ」

 ディルクがそう言ってアーシェの引いた椅子を示して勧めたので、キースはひとつ息を吐いてアーシェの横にトレイを置いた。

 トレイに載せられているのは生野菜のサラダに蒸したささみが加えられている一皿だ。キースは昔からシャキシャキした食感の野菜が好きなのだった。ドレッシングもかけずにそのまま食べるのだ。

「お兄さんの名前は?」

「……キースだ」

 答えながらキースはアーシェの隣に腰掛けた。

「ふーん。よろしく」

 ディルクはあまり興味もなさそうに挨拶した。



「兄さまも、寮の夕食じゃ少し足りないの? そういう人が多いって聞くけど」

「ああ。まあ、そうだな」

「このくらいの時間によく来るの?」

「まあ……。それより、おまえは何をしているんだ」

「なにって、ええと。ディルクさんとそこで会ったから、軽食でもと……。組んだばかりの対なのに、まだあまり交流がないから。お互いを知るために」

 キースは額を指先でおさえて黙った。

「昨日はじめての実習があってね。対を組んだ人たちで集まって親睦会をしたの。でもディルクさんだけ来られなくて」

「結局なにを話したんだ?」

 ディルクが訊いてきた。

「ええと、簡単な自己紹介とあとは、このあとどんな課題をやるかとか、噂話とかです」

 ようやく会話が弾みだす。キースが来てくれてよかった。

「噂?」

「はい。色々な話が飛び交っていて、しっかりとは聞いていないんですけど。他愛のないもので……広場の大賢者像の表情が変わるとか、夜中に空から不気味な音がするとか。あとはそう、落ちこぼれになりやすい波形というのがあると。確かBの……なんだったかしら」

 ディルクは鼻で笑った。

「くだらないな。魔力波形は本人の資質や性格とは無関係だよ。サシャナリアレポートにはっきりと書いてある」

 サシャナリアというのは昔の大賢者で、ロージャー・ロアリングと一緒に天地の波形について研究を行った人物だ。魔力波計を開発したのも波形を十六種に分類したのも彼女で、魔術革命の立役者の一人といえる。


 水の入ったコップを置いて、キースが口を開いた。

「俺も似た話を聞いたことがある。Bの2だろう。俺がそうだから、言われたんだ。しっかりやれとな」

「属性付与コースでまで言われてるの?」

「ありえない。僕の――いや」

 ディルクは口をつぐんだ。

 アーシェが首をかしげてディルクを見ると、やがて彼はレモンサワーを一口飲んでから声を潜めて言った。

「サシャナリア・レイニードも前大公も、ついでに現大公もBの2だぞ。落ちこぼれなどと言いふらして目を付けられるなよ」

 やはり根も葉もない話だったようだ。アーシェは姿勢を正してうなずいた。





 土曜の夜は手紙が届く。

 もちろんそれ以外の日にも届いているだろうが、この日にまとめて渡される決まりなのだ。

 夕食が運ばれてくる際に名前を呼ばれた生徒は、食後に寮監室を訪ねて手紙を受け取る。直後はたいてい込み合うので、日曜の夜まで随時受け付けている――が、アーシェはそんなにのんびり待ったことはない。


「今日はアーシェさんに手紙が来ていますよ」

 お呼びのかかったアーシェは、できるだけ早めに夕食を食べ、寮監室の前に並んだ。急いだお陰で六番目になれた。

 今日こそは呼ばれると思っていた。先週もそわそわして待っていたのだが、呼ばれず肩を落としたものだ。


 手紙は寮監によって受け取り主の目の前で開封される。寮監は中をすべて抜き出してから空の封筒の内側をのぞき、明かりに透かしてチェックしてから、中身に目を通す。

 毎回、特にリアクションはない。どうぞ、と手紙を封筒に戻して差し出され、それで終わりだ。


「これだけですか?」

 一通の手紙を受け取って、アーシェは言った。

「なにか問題が?」

 ジャンナはいつもの無表情で返した。

「いえ……」


 アーシェは寮監室を辞して部屋に戻り、コリンからの手紙を読んだ。最近勉強が難しくなったとか、また背が伸びましたとか、そんなことが書かれていた。


(母さまならすぐ返事をくれると思ったのに、どうしたのかしら)


 人一倍過保護で心配性の母は、アーシェのことをいつも案じてくれている。

 手紙を出してから明日で三週間になるというのに。

 コリンからの手紙に特になにも書いていないということは、調子が悪いというようなこともなさそうだが。忙しいのだろうか。

 アーシェは首をひねりつつ、もう一度コリンからの手紙を読み返した。



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