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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第四章
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コースの決定



 金曜の放課後。木陰のベンチに座っているキースの背中を見つけて、アーシェは走り寄った。

「お待たせ――」

 キースは眠っていた。腕を組んで、首を少しかたむけて。

(あらら……)

 疲れているのだろうか。

 入国管理局で目が覚めた時のことを思い出して、アーシェは微笑んだ。

 あの時も、キースはこんな感じで、座ったまま寝ていた。

(話したいこと、たくさんあるのに)

 起こすのはためらわれ、アーシェは隣に腰掛けて、鞄の中から本を取り出した。

 フルヴィアから借りた、精神魔術の入門書だ。


 しばらく集中して読んでいると、横から声がかかった。

「アーシェ」

「あっ。目が覚めた?」

「すまん。何時だ? 声をかけてくれれば」

「いいのよ。そんなに経っていないと思うわ」

 キースは左腕の金時計を開けてため息をついた。

 アーシェは鞄に本をしまった。

「大丈夫? 今週はちっとも食堂に来ないから、心配していたのよ」

「ああ。少しトレーニングを増やしたからな」

 キースは指で目頭のあたりをおさえながら言った。

「えっ。それ、毎朝やっていたあの? まだやっているの?」

「毎日やるのが当たり前だぞ。鍛錬を怠れば衰えるだけだ」

 キースは子どもの頃からずっと、早朝にトレーニングをしていた。騎士になるためにはじめたことだから、騎士になれたらもう終わりかと思っていたが。

「俺は体格に恵まれていない。才能がないのだから、手は抜きたくない」

 背も高いし充分だと思うのだが、向上心があるのはいいことだろう。

「もちろん兄さまの思うようにすればいいけど、疲れていない? やりすぎはだめよ。母さまにもいつも言われていたでしょう」

「いや、それは」

 キースは言いよどんだ。

「……少し寝不足なだけだ。補講の予習があるしそれに、こちらのコースでも実習が始まってな。慣れないことだから」

「あら、もう始まっているの?」

「なんだ、実践科はまだなのか」

 早い。しかし考えてみれば属性付与コースでは対の面談などで時間を取る必要もないため、波形が確定したらもう実習に入るのだろう。

「こっちは来週から。じゃあ、もう属性付与を? どの属性にするか決めた?」

 そういえばエルミニアが気にしていたな、と思い出す。炎がいいとか氷も捨てがたいとか。

「いや、まだその前の段階だ。防護術をやっている」

「防護術? 確か結界とかそういう……」

 ラトカが勧めてくれて、興味をもっていた分野だ。

「ああ。武器の属性付与では、槍が熱くなったり逆に触れると凍るようになったりするわけだろう。うまく切っ先だけに集中しようとしても、どうしても余波は来るものらしくてな。まずは自分自身の防御、特に武器を握る手の守りを固めるというわけだ」

「な、なるほど……言われてみればそうね。必要だわ」

「自分の使う魔術に対しての防御だからそれほど魔力も使わない。しかしちょうどいい量を調節するというのがなかなか難しくてな。俺はどうも使いすぎてしまうらしい」

 キースは手のひらを広げながら言った。

「私も、ついこの間までは放つ魔力量の調節というのをやっていたわ。コースは違っても似たようなものね」


 アーシェはここで話の方向を切り替えた。

「コースといえば……編入してからどのコースにするかという話。迷っていたでしょう」

「ああ。俺はこのまま防護術をやるのがいいかと思っているところだ」

「あ、そうなの。どうして防護術?」

 せっかくお勧めを聞いておいたのに。

「聞いた話では、練度を上げていくと触れずとも魔力で物の動きを止めるといった使い方ができるそうだ」

「空間制御というやつね」

 つまり飛んでくる弓矢などを盾も使わずに落とせるということだ。なるほど、有用である。

「ああ、多分それだな。おまえの……」

「なに?」

 キースは少し間をおいて、言った。

「額の傷。残っていないか?」

「この前の。もうかさぶたも取れたわ。ほら」

 アーシェは前髪を上げてみせた。ほんの少し痕があるが、そのうち消えるだろうし、消えなかったとしても髪で隠れる部分だ。

「はじめから大したことなかったし。救護術を使うまでもない傷よ」

 救護院では傷の手当などもしてもらえるが、軽いものなら普通は魔術は使わない。自然に治るような傷に魔力を使うのはもったいないからだ。

「……確かに、もういいようだ」

「でしょう」

 アーシェは頭においた手を離した。

 なぜ傷の話になってしまったのか。コースがどうのの話からそれとなく持ち込むつもりだったのだが、逸れてしまった。


「さっきから、なにをそわそわしているんだ?」

「ええとね……」

 どんなふうに打ち明けようか、ゆうべ色々考えたのだが。結局早く聞いてほしくて仕方ないのだった。

「実は、とってもいいお知らせが。といっても、私にとって、だけど」

「ム。なんだ」

「兄さまに一番に報告しようと思っていたんだけど、昨日もこの口が……ニマニマしてしまって。ティアナにバレてしまったわ」

 アーシェは両手で自分の頬をはさんでつりあげた。ちゃんと変な顔になっていたようで、キースはようやく笑みを見せてくれた。アーシェも笑った。

「まだ確定というわけじゃないの。だからあまり触れ回るつもりはなくて。でも黙っていられないから、聞いてね、兄さま」

 頬から離した手を口の前に揃えたまま、内緒話のように言う。

「いいぞ」

「あのね。私、私ね。――――――背が伸びるかも!」

 溜めに溜めて言うと、キースは軽く目を見開いた。

「それは……よかったな。俺の想像よりかなりいい報告だぞ。なにがあった?」

「うふふ。昨日ね、フルヴィア先生に診てもらって」



 アーシェはかいつまんで診察の話をした。

「先生についてもらって試しにやってみたんだけど、なんとか三つほど取り除くことができて……。実際、何年もやっていたことを考えると千を超える痕があるわけよね。でも慣れてきたらスピードはあがるし、ひとりでできるようになったら空き時間を使って少しずつやってもいいって。集中がいるから、あまりいっぺんにはできないみたい。時間はかかるけど、希望はあるわ。もしも成長の阻害を引き起こしてるのがこの痕じゃなかったとしても、なにかよくないことがあるのは確実なわけだし、とにかくコツコツやっていくつもり」

「確かに気の長い話だが、おまえなら成し遂げるだろう。なによりだ」

 アーシェは吹きだした。

「もう、相変わらずね!」

 キースからのくすぐったい過大評価。そのくせ自己評価は低いのだ。もう少しバランスを取ってほしいところだが。


「そういうわけで、私はフルヴィア先生に弟子入りすることになったわ。本当は三回生からしか精神魔術コースは選べないんだけど、先生が特別に推薦してくださるって。自分で自分の成長を止めていたかもしれないなんて、なかなか間の抜けた話なんだけど、とにかく問題に気づけてよかったわ。ティアナがね、そういうことならって、ベッドの柱にこっそり印をつけてくれたの。私の成長は、途中まではなんとかなっていたわけだから、全部消すところまでいかなくても……五年分ほどきれいにできれば少しずつ改善しはじめるかもしれないじゃない? だから時々測ってみようかなって。気が早いけど」

「そうだな。成長のことはここまでなんの手がかりもなかったが、それらしき手段が見つかるとは。さすがはファルネーゼの魔術師だ。聞けば皆喜ぶことだろう」

「違った時にがっかりさせたくないから、父さまや母さまには実際に伸びはじめたら知らせるつもり。だから兄さまも黙っていてね?」

「わかった。秘密だな」

「ええ! 兄さま、本当にありがとう」

 ファルネーゼに来てよかった。コースも決まってやるべきことができ、アーシェはやる気に満ち満ちていた。

「? 俺はなにもしていないが」

「私がここに来られるよう母さまを説得してくれたんでしょう」

「……それがなくともおまえは心を変えなかっただろう」

「でも、兄さまがついてきてくれなかったら、はぐれ飛竜に気づかないまま、馬車で襲われていたかもしれないし。私が今ここにいられるのは、やっぱり兄さまのおかげ」

 キースは難しい顔をした。

「おまえを危険に晒した。飛竜には歯が立たなかった。ヘルムート殿とクラウディオの力だ」

「もう、感謝してるのに。どういたしましてでいいの!」

 キースをつねってやりたかったが、できないので、つんと怒った表情を作った。すぐに笑ってしまったが。


「忙しいのはわかったけど、たまには朝食にも顔を出してね? 週に一回しか会えないんじゃ寂しいもの」

「……ああ。善処しよう」




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