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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第四章
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自己暗示の痕


 木曜日。救護院のイメルダの部屋には、水晶玉が用意されていた。

 ひと月前にそうしたように、アーシェはテーブルに置かれた水晶玉をはさんで、フルヴィアと向かい合って座っていた。

「あなたが自己流で暗示を行っていた可能性があること、そして魂の固着の形跡があること、うかがいました。どちらも驚くべきことです。古の大魔術が実際に行われた例をこの目で見ることになるというのも興奮しますが、精神魔術師の私としてはやはり、誰にも教わらないままに行われた暗示というものがとても興味深いです。どんな構成なのでしょう!」

 フルヴィアは前のめりだった。

 禁呪についてはやはり、知る人間は少ないほうがよいだろうということで、今日はカトリンは搬送室で留守番をさせられている。イメルダは傍にいて魔術具の鐘を鳴らしつつ二人を見守っていた。

「こんな症例を任せていただけるなんて腕が鳴りますわ。まずは、そうね、自己暗示について。あなたの感覚でよいので、どのように行っているか、詳しく聞かせてくださる?」

「は、はい」

 できるだけ具体的に話さなければと言葉を選んだが、難しかった。魔力を動かす感覚がつかめたのも最近だ。それまでは、本当に、ただ自分に言い聞かせるというような行為だった。

 周囲のものを認識して、寝る前にしていたことを順番に思い出して、自分が昨日と変わらない自分であることを再確認する。ごく単純な習慣だ。


「抽象的で申し訳ないのですが……」

「いえ、それでよいのです。魔術はイメージといいますが、精神魔術は特に、起こした結果すらも形のないものであることが多いですからね」

 アーシェの説明を、フルヴィアはうなずきながら聞いてくれた。


「これから、実際に診察を行っていきます。以前の暗示ではあなたの意識のほんの表面を揺らしただけ。ですが今日は、内部にまでもぐらせていただきます。同意をいただける?」

「はい。よろしくお願いします」

「では」

 フルヴィアの視線を受けて、イメルダがカーテンを閉め、部屋を暗くした。

 水晶玉がゆらりと光を帯びる。

「心を開いて。楽にして。光の奥に何が見えるかしら?」

 以前はゆっくりと吸い込まれるような感覚だったが、今回は違った。奥をのぞこうとしたとたん、引きずり込まれた。白い闇のただなかへ。





 肩をゆすられて、机にうつぶせていたことを知った。気を失っていたようだ。アーシェは少し不安になりながら、フルヴィアを見上げた。

「あ……の、大丈夫、でしたか?」

「ええ。無事に終わりました。予定よりスムーズだったくらいよ。あなたは精神魔術に慣れているからかもしれないわね。……気をつけて。これは危険なことよ」

「は、はい」

 前回フルヴィアの魔術にかかった時はまるで夢見心地だったのに、今のアーシェは意外なくらいすっきりしていた。

 しかし、あの時は暗示にかけられていたのであって、診察とは別の魔術なのだから、違っていて当たり前なのだろう。

「どうでしたか?」

 イメルダが言ったので、アーシェは今思ったような感想を述べようとしたが、これはフルヴィアに向けてのものだったようだ。フルヴィアが先に話し出したので、勘違いは気づかれずにすんだ。

「これはなかなかの絡まり具合。いえ、アーシェさんの自己暗示はよくできていました。けれど……うーん、そうね、なにから話そうかしら」

 フルヴィアは首をかしげてから、アーシェをじっと見つめた。

「アーシェさんの中には、確かに別人の記憶があるようです。これが魂の固着によるものなのかまではわかりませんが、そうね、ざっと二十年から三十年程度の記憶が」

 アーシェはごくりと唾をのんだ。

「その内容までは私にはのぞけません。安心してほしいのだけど、私ののぞく記憶は、あくまで診察される側がどうぞと見せてくれるものに限られるの」

「では、私がどこの誰だったか、というようなことまではわからないのですね」

「そうね……。たとえば事件などの捜査にかかわる場合は、無理矢理にのぞこうとすることもありますけど。うまくいくとは限りませんし、対象の心に傷を残すことがあるので、よほどのことがなければ私はやりません。ましてあなたの場合は、自分自身にも自由にならないような記憶でしょう。かなり難しいと思うわ」


「では、たとえば自分で忘れてしまっているけれど思い出せない、思い出したい記憶なら?」

 クラウディオの記憶は取り出せるのだろうか。いや、そもそも魔術ならクラウディオにかけるのは難しいか。

「本人の同意があればやりますけれど……それはあれね。ページが糊でついているような状態よ。うまくいくかは強度によるわ」

「ページ?」


 フルヴィアはアーシェにわかりやすく、丁寧に説明してくれた。

「これはあくまで私のイメージですけど、人格とは経験であり記憶。それが積み重なったものが、あなたになる。人は毎日ページを積み重ねて自分という本を作っていく。それがうず高くなり、ひとつの塔になっていくの。人格はそのてっぺんにいる。普通はもちろん、一人分の記憶だけで作られるけれど……あなたの塔の周辺には、あなたのものではないページが大量に散乱している。これがおそらく、不完全な魂の固着による過去の記憶ね。そして、それらのページはあなたの塔の中にも混ざりこんでいる。根元の部分には特に、大量にページがはさまっていると考えた方がいいでしょう」

 幼い頃から持っていた知識の山。それが、自分で拾い集めたページなのだろうか。

「あなたが毎日していたことは、塔の上に積み重なろうとする異物を、払いのけること。けれどそれは、その場しのぎでしかない。しかもあなたの根本にはすでにそのあなたが書いていないページが積み重なっている。これを取り除くことは、できません。塔そのものを崩すことになってしまいますから」


「それでは、私のしてきたことは、無駄だったのでしょうか」

 人生の四分の一の魔力を使ってきたのに。

「いいえ、あなたはあなたの心を守るために、できることをしたわ。あなたが耐え難い悪夢と感じるなら、その記憶は幼かったあなたにはとても受け止めきれないものだったのでしょう。でもね……」

 フルヴィアは深刻な顔をした。

「あなたは暗示を重ねすぎている。前にも言ったかしら? 暗示は重ねれば重ねるほど重大な問題を引き起こしてしまうの。暗示というものはたいてい、そう長持ちするものではありません。かけた後は次第に弱くなり消えていくの。でも、効果がなくなっても痕跡は残るんです。その痕が積み重なるとやがて頭痛や幻覚をはじめとする様々な症状になって表出する。放置すれば危険です」

「でも、私は」

 健康です、と言いかけて、アーシェはあのひどい頭痛のことを思い出した。

「普段は特に……なにもないのですが、二週間前、過去の記憶に引きずられそうになった時は――その後、ひどく頭が痛くて……でも、先週も久しぶりに夢を見て一度使っていて、それは大丈夫で……」

「詳しく話して?」


 アーシェの説明を聞いたフルヴィアは、水晶玉を撫でながら言った。

「もしも暗示の痕跡による頭痛なら、もっと頻繁に出るでしょうね。使った後よりも、まったく使っていないときの方が危険になる。中毒症状と似たようなものと思ってちょうだい。だから二週間前のその頭痛は多分、ショック反応のようなもので……あなたの自己暗示の痕の影響は、別のところに出ていると私は推測するわ」

 それはなにか。

 アーシェの想像の外にあったことを、フルヴィアは言った。

「あなたの中には現状を維持しようとする意志が強く残っていた。もしかしたら、あなたの成長が止まってしまったのは、これのせいかもしれない」


 アーシェは、理解に時間がかかった。

 かけ続けた暗示が、自分自身の成長を止めてしまった?

 それでは、無駄だったどころか、逆効果ではないか。


 青ざめたアーシェをなだめるように、フルヴィアは柔らかく言った。

「大丈夫、自分でかけた暗示なら、解くのもそれほど難しいことではありません。私が教えます。一朝一夕にはできませんけど、少しずつ、痕を綺麗にしていきましょう。根気よく。そうすれば、あなたの時間はきっと、流れはじめるわ」


 それは大きな光だった。

 アーシェは顔をあげた。

「暗示がほどけたら、私は、成長できる……?」


「断言はできませんけど、可能性は高いと思います。どうでしょう? イメルダ先生」

「そうですね。今のままの自分であろうとする暗示が、未来をも否定してしまったかもしれません。魔力が働いた結果、アーシェさん自身の成長を阻害したというのはあり得る話です。痕が消えれば、体は自然に成長をはじめるのでは」

「や、やります! 教えてください!」

 アーシェは立ち上がって言った。



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