ちょこっと魔術信
ちょこっと魔術信の完成はアーシェも心待ちにしているのである。さっそく翌日の朝から予定を聞きに行き、その日の放課後の約束を取り付けて朝食時にルシアに報告した。
「早すぎ! ちょっと心の準備が整わないんだけど?!」
「そんなのいつまで待ったって緊張する時間が長くなるだけですよ、先輩」
のんびりなルシアのペースに任せていたらいつまで待たされるやらである。こういうことは勢いと思い切りが肝心なのだ。
放課後、重い荷物を両手で持ちながら渋々螺旋階段を上がるルシアは、小声でアーシェに訊いた。
「で、どういう人なの?」
「穏やかで賢くて親切で。面倒見のいい方ですよ。なぜか自分では、そう思っていらっしゃらない様子ですけど」
「そーゆーのは前にも聞いたけどさぁ。そうじゃなくて年齢とか見た目とか……そもそもなんで知り合いに?」
「偶然……ここの廊下でぶつかって?」
「いやいやいや。そんなんでなんともならないでしょ」
しかし廊下のつきあたりで扉の金のプレートを目にしたルシアは、あっと気づいてアーシェを見た。
「この名前、確か……そっかぶつかったってアレでしょ話してたやつ! ヘルムート様と」
「そうです。でも秘密にしてくださいね?」
「いいけど、いや待って深呼吸」
ルシアは止めようとしたが、アーシェは構わずにノックした。
藍色のローブのフードを目深にかぶり、杖をついたクラウディオは、出会った頃のとっつきにくそうな印象に戻っていた。最近は見ていなかったので逆に新鮮に感じる。
扉の鍵を閉め直し、ローテーブルに向かってゆっくりと杖をついて歩く仕草は、もうすっかり歩けるようになっていることを忘れそうなくらい自然だ。
「四回生、魔術具専攻のルシアです。このたびはお時間を割いていただきありがとうございます……!」
「挨拶はいい。さっそく見せてくれ」
ソファに座ったクラウディオが言った。
「は、はい!」
ルシアがローテーブルの上に設計図と二台の試作品を置いた。
「卒業研究なんだろう? あまり突っ込んだことは言わないぞ」
クラウディオは試作品を手に取った。教科書――というよりは大きめの辞書に近いサイズの、厚みのある直方体だ。アーシェも事前に持たせてもらったが、重みも辞書くらいあってずっしりしている。
「これはもう実際に使えるのか?」
「はい、一応。ええとですね、ここを持って魔力を通すと起動して」
ルシアは一台持ち上げて、壁まで下がって距離を取った。
「よろしくおねがいします……と」
アーシェもルシアの隣まで行って手元をのぞきこんだ。鉄のペンで書いた文字が淡く光って浮かび上がる。
「で、書けたらここを回して、カチっていうまで」
ルシアはサイドの円いツマミを動かした。
「これで、あっちの方に……あれ?」
ルシアがローテーブルの方を見たので、アーシェもつられて目をやる。少しの間の後、チカッとクラウディオが持っている方の試作品が光った。
「行けた! 近すぎるのかな、ちょっと着信にタイムラグが……」
アーシェは歩いていってクラウディオにもう一台の試作品を見せてもらった。「よろしくおねがいします」と、ルシアの書いた文字があったが、数秒後に消えた。
「……こんなにすぐ消えるのでは、着信に気づかなかった場合どうするんだ」
「そこの上のスイッチを押すと、最新の着信をもう一度表示できるので」
クラウディオが指を動かすと、表面がまた光った。
「あ、本当!」
アーシェは声をあげた。
クラウディオはアーシェに試作品を渡すと、丸まっていた設計図を広げた。アーシェはさっそく試してみようと、はめ込んである鉄のペンをはずした。
「初期化はそのペンの先で右上の穴を押して。ぐっと押し込む感じで。そしたらさっきの着信は消えて、新しいメッセージを書けるよ」
アーシェは言われたとおりにしてみた。
「魔力を通すというのは、放つ感じでここに魔力を押し込めば?」
「あーいや、持つだけでいいよ。こういうタイプの起動に魔力を使う魔術具は、魔力を動かす練習をしてない普通の人でも使えるようになってんの。組み込まれてる魔石が勝手に魔力をちょっと持っていくって感じかな。だから触るだけで大丈夫」
「あ、そうなんですね」
(す、ご、い、で、す)
ルシアへのメッセージを書いてツマミを回した。壁際のルシアが、光った試作品を見てアーシェに笑顔を向けた。
「これはどのくらいまで届くのですか?」
「今のところ学院内でギリギリかなー。もうちょっと広げたいんだけどね」
ルシアの発想の大本としては、寝坊した寮から商業街まで届くようなメッセージを送りたいのだから、確かにもう少し距離はあったほうがいいのだろうが。
キースと連絡を取り合いたいだけのアーシェにとっては、すでに充分な性能である。
それどころか今後これが複数台使えるようになれば、クラウディオとの連絡だって、いちいち階段をのぼって部屋を訪ねなくてもよいことになる。頻繁に研究棟に出入りするのも怪しいので、これはうってつけなのではないだろうか。
クラウディオが設計図をテーブルに戻した。
「思っていたよりよくできている。君の担当は」
「フェルモ先生です」
「なにかアドバイスをもらったか」
ルシアは緊張の面持ちで壁際から少しクラウディオに近づいた。
「いえ、まだ……」
「なにも? 見せてもいない?」
「計画表を先月提出しただけです。時間がかかると思って、早めに取り組んでいて……」
「基盤に炎ではなく雷の魔石を使ったのは君のアイデアということか」
「あ、それは、はい。魔術信では着信のたびに紙を消費するけどこれは短文だしその時だけ見られたらあとは消えてもいいっていう考えで。そのかわり何回でも使えるようにしようと」
ルシアはさらにローテーブルに近づいた。
「機構はずいぶん色々な魔術具を参考にしているようだが」
「ええと、うちは町の魔術師で。子どもの頃から色々と、生活に使う魔術具を修理したり分解したりするのを見ていてそれで」
「なるほど。魔術信と名はついているが、中身は別物だな」
「構造的にはそうです。でも位置の探知と着信の原理は同じで」
ルシアはすっかり緊張を忘れたようだ。研究について語れるのが嬉しいのだろう。テーブルに手を付いて、真正面から対話している。
クラウディオも興味をひかれたようで、饒舌だ。
アーシェは二人の話の邪魔をしないよう、お茶をいれることにした。
「確かに魔術信の着信台は骨董品だな。何百年も、ほとんど手が加えられていない」
「あたしも魔術信についてはかなり調べたんですけど、廉価にするための改良が主で、機能の向上とかは考えられてこなかったっていうか。まあそれだけはじめから完成されていたってことですかね」
「今なら魔術信ももう少しコンパクトなものが作れるだろうが、価格も上がるし求められていない。しかしここまで機能をカットして小型化に踏み切るというのは思い切ったな」
「本当はもっと軽くしたいんですけど。いつでも持ち歩ける感じにしたいので」
「発想は面白いし色々な用途に使えそうだが、そうだな。この重量では……。部屋に置いて使うシンプルなタイプにした方がおさまりがいい気がするが。それだけでも簡単な伝言にいちいち行き来せずにすむのだから需要はあると思うぞ」
「それじゃ当初の目的が果たせないというかぁ……」
「発明品がはじめに企図したところとは違うものに仕上がるのはよくあることだろう」
正直なところ、羨ましい。
アーシェはお湯を沸かしながら思った。クラウディオがこんなに楽しそうに話すなんて。まるでヘルムートといる時のように。
アーシェには魔術具のことはわからない。クラウディオに金時計の図面を見せてもらった時も、たいしたことは言えなかった。
きっとルシアなら、細かいところにまで理解が及んで、彼と色々な話ができるのだろうに。
ルシアはお世辞にも美人とはいえない。たれ目で、中途半端にのばした髪はぱさぱさしていて、いつもおしゃれに気を遣っているエルミニアなどとは対極のタイプだ。
あたしはモテないし、化粧映えもしないし無理だよ、とルシアはよく話していた。親は婚約者を見つけて一緒に戻ってくるようにと言うが、期待に応えられそうにないと。
「白の祭典の相手が見つかったこともないし、いつも裏方なんだよね。まーいいんだけど。国に帰ったら親が誰か見つけてくれるでしょ。収入もあるんだし、魔術師にこだわらなければなんとか」
そんな風に自嘲するルシアだが、アーシェから見れば充分に魅力があった。太っているとまではいかないが肉付きのいい体はどこも柔らかそうで、鼻にかかった声も可愛らしいし、なんといっても作ってくれる素朴なお菓子が、簡単なものなのにいつも美味しいのだ。こんなお姉さんが欲しい、と思うくらいに、アーシェはルシアが好きだった。
ルシアは、アーシェよりひとつ年上の十六歳だ。ちょうど成人したところ、ということになる。
設計図を広げて、あれこれと話し合っているふたりは、釣り合いよく見えた。
少なくとも、アーシェが隣にいる時より何倍も。
(ああ……こんなことを考えるなんて。どうかしてる)
アーシェは自分にうんざりしながら、ティーセットを準備した。
「……まあ、大幅に重量を減らす方法も、なくはない」
アーシェのいれた紅茶を一口飲んでから、クラウディオは言った。
「え! 本当ですかっ」
「魔術信は、発信側は魔術師が魔力で飛ばすだけだから、着信台にすべての機能が集まっている。発信を感知し、情報を受け取って、転写する。しかしこちらの場合は、互いの位置が移動するために検索を行うし、それぞれに発信と着信両方の機能が備えられている。全部入っているのだからそれは重くなる。全ての機能を持ち歩こうとするからいけない。中継点のようなものを作って、置いておけるものは置くんだ。検索して対象に飛ばす装置を独立させて……」
「そっか! そしたらその点を一回経由する分、距離も広げられるかも!」
「確かに。倍にできるな」
「うわっ……ありがとうございます! それならできそう。スペースもだいぶ削れるし」
ルシアは目をきらきらさせて興奮していた。アーシェには難しいことはわからないが、どうやら大きなヒントをもらえたようだ。
あまり突っ込んだことは言わない、などと前置きしたくせに、やはり彼は親切だ。それともルシアの熱意にのせられたのだろうか。
アーシェは面倒な自分の気持ちに蓋をし、やはり紹介してよかった、と思った。二人ともに満足のいく時間を過ごせたようだから。




