月曜日の朝と夜
月曜日、早朝。演習場からのかけ声響く煉瓦道を抜けて、アーシェは研究棟の五階へ上った。ゆうべティアナから握らされたメモの指示に従って。
――明日の朝一番に、クラウディオ様の部屋に来てほしいそうです。イメルダ先生に耳打ちされて。用件は聞けていません。ごめんね。
「実習も始まっていないのに朝から来てもらって悪いな。ヴィエーロが今日の講義を手伝ってくれと言ってきてね」
「助手のお仕事ですか」
「そうだ。まあ君の実習の日だけに現れる助手というのも怪しいしな……アリバイ作りも兼ねてね」
「お忙しいのに、クラウディオ様の仕事を増やしてしまってすみません」
「なんだ、今さら」
クラウディオは笑った。
「君のためならこのくらいはするさ。前にも言ったが楽しんでるんだ。気にしないでくれ」
今日のクラウディオは青いローブを着ていて、前髪もピンでとめていて、あとは眼鏡をかけるだけというディルクスタイルなのだった。
遮る前髪のない笑顔は、非常に心臓に悪い。
(好きだと自覚してしまったせい? これまで以上にクラウディオ様が素敵に見える……!)
アーシェは目をそらし、気を落ち着けようと小さく深呼吸した。
「……熱を出したと聞いたが。少し顔が赤いぞ。無理なら断ってくれてよかったんだ」
「いいいいいえ! その、階段をのぼったせいです。風邪はもう治りましたから」
顔をのぞかれそうになったので、アーシェは距離を取った。
「ふうん?」
クラウディオは少し首を傾げた。
「では済ませてしまおう。君も授業の準備があるだろう」
「は、はい」
差し出された手を、アーシェは握った。大きな大人の手に、アーシェの手はすっぽりと包まれてしまう。
「合図はいつものように」
「はい」
アーシェは全力で集中した。
目を閉じて、流れてくる情報の渦の中、心では歌い続けた。一瞬オレンジが見えたような。あれが魔術の構成?
手を強く掴まれる合図に目を開ける。右手の人差し指に魔力を集めて。
「変身っ!」
アーシェの指から魔力が放たれ、クラウディオの髪と瞳が染まった。これまではよく見ていなかったが、どうやら根元から髪先に向けて染まっていくようだ。
「……君な……もうちょっと真面目にやってくれ」
「えっ」
「なんださっきの思考は。僕の集中が乱れて失敗したら――いやあのくらいで僕は失敗したりしないが」
笑われるとばかり思っていたが、叱られるとは。
「ちゃんと染まったではないですか。なにか変でしたか?」
アーシェはしらばくれた。
「歌が……すごい音量で……なにを考えているんだ君は」
「歌? ああ! そうなんです、母が昔よく歌ってくれたものがふと思い出されて、さっき口ずさみながらここまで歩いてきたので」
ちゃんと狙い通りクラウディオに届いたようだ。ルカーシュに感謝である。
「まだ頭の中で流れ続けていて。いい歌でしょう?」
「はあ……慣れてきたのはわかるが、気が抜けすぎだろう」
盛大にあきれられたが、安いものだ。
アーシェはほっとしながらクラウディオの部屋をあとにした。
ファルネーゼ魔術学院の寮生たちの夕食は、必ず寮の部屋でとる決まりである。一日の終わりに生徒が全員揃っているか、健康状態はどうか、などの確認の意味もあるらしい。
メニューは毎日、スープとパンと日替わりの一皿、プラス簡単なデザートとなっている。ボリュームは決して多くないので、これで足りない生徒は門限前の夕方のうちに食堂で軽く食べたり、夜食になにか買っておいたりするようだが、アーシェにはちょうどいいくらいの量だった。
アーシェたちは、いつもベッドの間のテーブルを囲んで夕食をとる。中にはそれほど会話のない部屋もあるようで、奥の勉強机でそれぞれ顔を突き合わせずに食べるというスタイルもあるようだが、二〇五号室の四人には当てはまらない。
「お兄さんが実践科に転科ねぇ。確かに属性付与コースにしては若いけどさ……」
学院側にも相談して、いよいよ本決まりとなってきたので、アーシェはこの件をルームメイトに明かしたのだった。キースからどのコースがいいか相談されたためでもある。
アーシェはもちろん詳しくないので、ここは先輩方の知恵がほしいところだ。
「騎士なのに魔術師になるの? まあ、武器の属性付与以外の魔術を扱う戦士っていうのも、物語の中ならたまにいるわよね」
「はじめは救護術をやろうかと言っていたのですが、やはりメインのコースはもう少し簡単なものでと……それでいて戦場でも役立ちそうな……」
「軍には気象魔術師が重宝されますよね。霧を出したり、雨を降らせたり」
ティアナが本日のメインである鶏の香草焼きをナイフで切りながら言った。
「それじゃ騎士というより軍師の仕事じゃん。めちゃくちゃ大掛かりだし魔力もバカみたいに使うやつ」
「あ、やはり難しいですか……」
「キースさんはアーシェと同じで魔術師の家系じゃないでしょう? 攻撃魔術もねぇ。わたしも去年魔力容量が足りなくて諦めたの。面談で先生に説得されて……一応、いくつか講義をとってはいるけど」
マリーベルは最近、あまり食欲がないようで、食事を残しがちだ。今日もパンをひとつルシアにあげている。
「マリーベル先輩は補助魔術コースですよね? 同じように攻撃魔術を習得したくて、でも魔術師の家系ではない友人がコースの選択に悩んでいるようなのですが……」
ティアナが持ち出したのはエルミニアのことだ。
「そうねえ。目的にもよると思うけど」
「冒険者になりたいそうです」
アーシェが言うと、ルシアがスープを吹き出しかけて咳き込んだ。マリーベルも目を丸くする。
「え、魔物退治? 最果てを旅したいってこと? 変わってるわね」
「ちょっとお。面白いこと言うなら予告してよー」
「一応、彼女は真剣なのですが……」
ティアナがくすくすと笑いながら言った。
「魔物を倒せるくらいの攻撃力っていうと……どのくらいなの?」
「魔物っていっても色々だしねー。残ってるのってめちゃくちゃ弱くてちっちゃいかその逆の魔獣クラスかどっちかじゃない? そうそう見つかるとも思えないけど」
「現実的かどうかはともかく、わたしみたいに補助魔術を選ぶしかないんじゃない。攻撃魔術や物理攻撃のサポート。地味だけど、それなら役割あるし」
ラトカもそれをエルミニアにすすめていた。やはり同じような結論になるのか。
アーシェ自身も、攻撃魔術をメインに学ぶというのは、少し違うような気がしている。補助魔術か。それもありかもしれない。
「キースさんもそれがいいかしらね。補助魔術なら、わたしも少しはアドバイスとか、できるけど」
マリーベルは少し嬉しそうだ。
「その、冒険者になりたい子さ。いわゆるアイテム士はどお? 魔力少な目で攻撃力を求めるなら、ズバリ薬品でしょ。魔法薬コースに行って調合スキルを高めてさ。爆薬系は危ないからなかなか教えてもらえないらしいけど、教授に気に入られたら可能性あるよ」
ルシアが危ないことを言い出した。
「そ、そんな手が……?」
マリーベルは興味津々である。
「ただまぁ貴重な材料を毎回消費するわけだしかなりお金がかかると思うけど。冒険者が稼げた時代ならねー」
アーシェは爆薬を扱うエルミニアを想像して、小さく首を横に振った。
「よくないと思います……やはり補助魔術ですね」
「私もそれがいいと思います」
ティアナも同意見だ。アイテム士の話は、エルミニアには黙っていよう――ふたりで頷きあった。
デザートのプリンを食べていると、ルシアがアーシェにひそひそと話しかけた。
「ちょこっと魔術信、なんとか形になったから……機会があったら……」
すっかり忘れかけていた。星の魔術師を紹介する約束だ。




