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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第三章
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はじめての対魔術



 アーシェは、集中しようと目を閉じた。


「では、行くぞ」


 どっと大波に押し流されたようだった。

 それはフルヴィアの暗示にかけられた時に似ていた。ざわめきの中に浮かんでいるような。違うのは、あの時よりずっとうるさいということだ。

 複数の楽団が同時に違う曲を演奏する場所にいたらこのようになるだろうかという、ばらばらの響きとリズムが混在している、耳をふさぎたくなるような音の嵐。

 その中に意味を求めようと感覚を研ぎ澄ませる。音だけではない。映像や数字の羅列もあった。光が瞬いて、きらきらしている。

 流れていく情報の奔流の中で一瞬、金の髪が印象的な、眩いばかりに美しい女性の姿が映り――


 左手を強く掴まれた感覚に、アーシェははっとした。


 そうだ、魔力を放たなければ。

 目を開け、右手を上げてクラウディオの眉間を指さす。細く、細く。ほんの少しだけに絞って。

 カチンと奥歯を噛んでから。

「えいっ!」


(なにかこう、かっこいい呪文のようなもの、考えておけばよかったわ)


 一人で魔力を放つ時とは違う、つま先から頭のてっぺんまで、ピリっと痺れるような感覚があった。

 体の中を駆け抜けたそれが、指の先から抜けていった。

 これが、魔術。



「ふ」

 クラウディオが吹きだした。

「ははは。君、慌てすぎだぞ。ははははは」

「えっ」

 手を離されたアーシェは、向かい合ったクラウディオの姿を見上げた。髪の色があの派手なオレンジに変わっている。

「いくらなんでも無防備だぞ。思考を開くと言っただろう。もう少し構えて……きゃーとかわーとか、他にないのか……ははは」

 両腕で腹を抑えて、肩を震わせて、クラウディオは笑い続けた。

「え……だ、だって、想像と全然違って、すごくて……もう! そんなに笑わなくてもいいではありませんかっ」

 アーシェは顔を赤くした。

「いや、悪い悪い。ははは。苦しい」

 クラウディオは目に涙までにじませていた。指で拭っているその瞳は、今は金ではなく、濃い茶色になっていた。成功だ。


 こんな風に笑うクラウディオを見るのは初めてで。心をのぞかれてその上笑われているのに、喜んでしまう自分がいた。

 だって、本当に楽しそうで。そんな気持ちになってくれたことが嬉しくて。


 一緒に笑ってしまいそうな口元をかくして、アーシェは言った。

「そ、そんなはっきり聞こえてしまうものですか? 私は全然……なんだかグルグルして……どのあたりが魔術の構成だったのか……」

「ああ、まあ、そのうち慣れるさ」

 笑いながらクラウディオは壁の方に向かって歩いた。鏡がかけてあるのだ。

「よし。ちゃんと昨日の毛染めと同じような色にできているな。目もこんなものだろう」

 クラウディオは鏡の前で彼の長い前髪をくいと引いた。根元までちゃんと染まっているか、確かめているようだ。

「あとは設定した効果時間がちゃんと機能するかどうかだな。実習の最中に解けるようだと困るからしっかり確認しておかないと」

「クラウディオ様が実習に来られるたびにこうやって染めるということですよね?」


「アーシェ」


 クラウディオが振り返る。どきりとした。

 また名前を呼ばれた。

「この色の時はディルクと呼んでくれ。うっかり呼び間違わないよう、普段からちゃんと切り替える練習だ」

「なるほど、そうですね……。では、ディルク様」

「それほどかしこまらなくていいぞ。ペアなんだからな」

 とはいえ、先輩ではあるわけだし。

「ええと、ディルクさん?」

「それでいい」


 クラウディオは部屋の真ん中のデスクに近づき、引き出しを開けてなにか取り出した。ヘアピンだ。

 シンプルな黒いピンで前髪を留め、昨日と同じ色付きレンズの眼鏡をかける。

「これで青いローブを着れば、ローブ学生のディルクの完成だ。これまでの対と周期が合わなくなって、新しい対を探しにファルネーゼに戻ってきた――という感じの設定にした。かつての恩師につかまって、ここにいる間は助手をやらされている。学生時代は地味であまり目立たない生徒だったうえ、留年していて同期との交流があまりない。彼を覚えている生徒は少ないが、入学時に同じクラスだったと証言するのは現在の研究棟の管理人アロルドだ」

「メモを取っていいですか?」

「いや、別にしっかり覚える必要はないぞ、君にとっては出会ったばかりの他人なんだからな。アロルドは、イメルダの孫だ。恩師の役はヴィエーロに頼んである。だからまあ、ディルクの専攻は魔法薬だったということになるな。アロルドの入学年である十二年前の資料にディルクの魔力波形も差し込んだ。……とりあえずはこんなところだ」

 なるほど、孫が管理人だったのか。それで研究棟の部屋割りとか、好き放題にしているわけだ。

「はぁ……。もうすっかり決まっているのですね」

「まあ実習も差し迫っているしな。最低限の体裁は繕っておかないと。クラウディオの方は、しばらくは杖をついたまま外出するつもりだ。といっても元々研究棟の総会くらいしか参加しないが……突然足が治ったなんていうのは不審がられるだろうし、歩き回ってるディルクと同一視されないためにもな」

 クラウディオはデスクに立てかけたままの杖を見ながら言った。

「ま、君が卒業した後にでも治りましたと言うさ。そうすれば君に疑いの目が行くこともないしディルクとしての役割も終わってる。対が卒業したら当然ローブ学生は対について行くものだから、ディルクがファルネーゼを去ることに疑問を抱く者もいないだろう」

 あっさりと言うクラウディオは、イメルダと違ってアーシェを引き留める気持ちはなさそうだった。

 ほっとしていいはずなのに、ちくりと痛んだ。



「そうだ、聞こうと思っていたが。君は攻撃魔術をやりたいのか? コースについてはまだ決めていないという話じゃなかったか」

「ああ、昨日の……それは。最近になって……つまり、私が狙われるかもしれないという話を聞いて。抵抗手段があった方がいいかと」

 クラウディオが小さく舌打ちしたように聞こえた。なんだか意外だった。らしくない仕草だ。

「…………そういうことにはならないようにするつもりだが。そうだな……いざという時か。だが……」

 クラウディオは難しい顔をした。

「君は、攻撃魔術で人を傷つけることができるのか?」

 できます。とは、即答できなくて。

 アーシェの見たことのある攻撃魔術は、ヘルムートの放った、あれだけで。

 すさまじい爆炎で飛竜を黒焦げにするような。

「考えたうえでの結論なら、僕から言うことはなにもないが」

 眼鏡越しのクラウディオの視線に、アーシェはうつむいた。覚悟のないことを見抜かれていたようで恥ずかしかった。

「……ま、まだ決めたわけでは……結界術とか……いろいろあると聞いていて」

「なるほど。抵抗手段の一つとして検討している最中ということか」

「は、はい」

「そうか。まあ君が身の危険を感じるのも無理はない……僕の方でも対抗策を考えておく。これは僕に責任がある」

 クラウディオはため息を落とした。

「責任なんて。クラウディオ様のせいでは」

「ディルク」

「あっ。そうでした……その、ディルクさんのせいではないです」

 クラウディオは答えなかった。デスクの椅子に腰かけて、眼鏡をはずした。


「最後にひとつだけ。思い出したことが。これが手掛かりになるかはわからないが、君には話しておこう」

 クラウディオは手に持った眼鏡のつるを折り曲げ、デスクに置いた。

「あの火災の時図書館にいた、かもしれない、ケルステン人の女性を、僕はひとり知っている。いや、彼女からケルステンの出身だとはっきり聞いたわけではないが。名前は東部風だった。竜に乗ったことがあると言っていたし、おそらく……」

 クラウディオはデスクに肘をついて、ゆっくりと話した。どこか遠くを見るように。

「彼女には学もあった。だが、男性をおそれているという感じではなかったし、現場に彼女らしき遺体があったというような話も聞いていない。可能性は低い、と思う。……ただ、彼女がもし、死に瀕していたかもしれないなら僕は。禁呪に手を染めただろうか……わからない。そんなことより、生かそうと思ったはずだ」

 アーシェは、クラウディオの思考の中で微笑んでいたあの金の髪の女性を思い出していた。

「彼女があそこにいたことは、多分僕しか知らない。彼女は自身についてほとんど何も話さなかった。はっきりとわかっているのは名前だけなんだ」


 クラウディオはどこか辛そうな、それでいて柔らかな表情をしていた。

 アーシェの胸の奥がざわついた。


「エルネスティーネ。……懐かしいな。この名前を口にするのも、ずいぶん久しぶりだ」


 それは、誰?




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