信頼
「……で?」
しんと静まった搬送室の中で、ヘルムートがぽつりと切り出した。
「なんだ」
アーシェのすぐそばに座っているキースがこたえる。
「なんだじゃねーよ。あるだろ、話すことが」
「静かにしてもらいたいのだが」
「わかってるって……」
ヘルムートが声を小さくした。
「この前ヒントをくれてやったろ? それで、あいつの事故とその時死んだ人間と、おまえらになんの関係があるんだよ。気になってんだよオレは」
「……結局マルツィアが死んだのは、クラウディオが魔力波に瑕をうけた時で間違いないのだな?」
「オレが聞いてる話ではそーだけど」
「それはどういう事故だったのだ」
「どうって……火事があったんだ、図書館で。図書館ってもそこの寮の隣のじゃなく、行政区にあったやつ。古い建物で、あっという間に燃えたとか……オレも詳しい話は知らないんだ。あいつは怪我をして意識を失っていて、助け出されてから何か月も寝込んで、当人もなにがあったか憶えちゃいない」
「その火災の記事なら調べたが、他に巻き込まれた人間は? 数人が重軽傷と書かれていたが、続報がなにもなかった」
「……情報統制があったんだろうな。悪いがわからねぇ。オレはこの件の後で、これがあったからこそファルネーゼに呼ばれたんだ。あいつの代わりになるために」
「だが、なれなかった。なぜ国に戻らない?」
「……なんでそんな話……まあ隠してるわけでもないし、別にいいけど。オレは厄介者ってことだ。当時ちょうど年の離れた兄が即位してさ。まだその息子が飛竜を得てなくて、オレが第一王位継承者になった。けどオレは兄とは腹違いだし仲も良くない。消される前にファルネーゼからの誘いに乗って移ってきたのさ」
ヘルムートがケルステンの王弟? ということはその親族だというティアナは。
「今じゃ跡継ぎもできたしオレも年一の建国祭くらいは顔出すけどね……まあそんなワケでファルネーゼの方が居心地がいいんだわ」
「つまり、ティアナは狂王ヴェンツェルの娘ということか」
「はは。あいつアリンガムじゃそんな二つ名で呼ばれてんの?」
「聞いていませんけど?!」
アーシェは跳ね起きて言った。おとなしく寝たふりのままでいようと思っていたが、それどころではない。
「聞いてるじゃん!」
「アーシェ。無理は」
「うう……」
アーシェはめまいに襲われ、再び枕に頭をつけた。
「ティアナのやつ、アーシェちゃんにも話してなかったのか。悪い。聞かなかったことにしてくれ」
ケルステン人というだけでそれほど引け目を感じる必要もないのではと思っていたが、王女とは。それではマリーベルに申し訳ないというようなティアナの感情もわからないでもない。
もちろん、父のしたことだからといって、ティアナのせいではないのは同じだけれど。
「ケルステン人だということは知られたくないと言っていました。同室の優しくて親切な先輩が、どうやらバチクの出身なのです。それで……」
「バチクか。……あそこはもうダメだろうな」
ヘルムートがぼそりと言う。
「……そうなのですか?」
アーシェの胸に冷たいものが落ちた。
「ああ。その子、帰らない方がいいだろうな。赤い髪の方?」
「はい……」
「なるほどね。オレと目合わさねーなとは思ってた」
肩をすくめてみせるヘルムートは、口元に笑みのようなゆがみを浮かべた。
その皮肉めいた表情に、アーシェは、ヘルムートのことを信用しきれないでいたきっかけの出来事を思い出した。
食堂ではじめにティアナに会った時、なんだか冷たい態度だった。あれはなんだったのか。
「ヘルムート様は、ティアナがファルネーゼに来ることに反対だったのですか?」
「え? ああまあ……。ケルステンの王族は代々魔力容量が低いと言われててね。向いてないと思って、去年の建国祭で会った時にも止めたんだが」
「それだけ……?」
なんだか拍子抜けだった。ヘルムートの言い方はあっさりしたものだった。
「けど天属性だったんだろ? それならまぁ、なんとかなるさ。一応気をつけてやってくれると助かる」
「はあ」
「オレの話より、そっちの話を聞かせてくれよ。事情はそのうち教えるってことだったろ? いつまで引っ張るんだよ」
アーシェはキースと顔を見合わせた。
「今のところ、手詰まりでもある。俺はヘルムート殿は信頼できると思うが、どうだ?」
キースが枕元に顔を寄せてきた。
「兄さまがそう思うのなら、私も異存はないわ。クラウディオ様の方は?」
「……おまえが信用できると思うなら、その判断を信じよう」
「お。なに、合格? オレ試されてた?」
二人の視線を受けたヘルムートは、そんな風に言いながらも不快そうではなかった。
また明日、改めてクラウディオの研究室で。
そう約束を取り交わして、ヘルムートが帰ってからも、キースはアーシェのそばにいてくれた。
小一時間ほど眠ると、ようやく体を起こして動けるほどに回復した。
イメルダとカトリンに礼を言って救護院を出ると、あたりはもう薄暗かった。
「ずいぶん遅くなってしまったわ。またジャンナさんに怒られるかも」
「少し急ぐか」
そう言いながらも、キースは男子寮とは反対方向の女子寮に向かうアーシェについてきている。
「……男子寮も門限は同じでしょう?」
「おまえを送ってからでも、走ればそう変わらない」
「心配性なんだから……」
そう言いつつも、アーシェは嬉しくて顔がゆるむのだった。
「確かに私はセザールのことを知っていたみたい。でも、はっきりと思い出そうとしたら、私が私じゃなくなっていくみたいになって……」
「わかった。……もうそれはするな」
「はい」
あの冷たい暗闇を思い出すと胸がチリチリした。
自分自身が溶けてなくなりそうだった。
「……なにもしてやれなかったな。本当に不甲斐ない。頼れなどと言っておいて」
「違うの。怖かったけど、兄さまが私を呼んでいてくれたから、戻ってこられたの。だから、ありがとう」
「そうか……?」
「そうなの。何度も名前を呼んでくれたでしょう? それが聞こえていたの。兄さまが私を助けてくれたのよ」
やっぱり、もう子どもの頃とは違うから。何年も離れていて、手紙のやりとりだけだったから。同じようにはいられないだろうと思っていた。
頼りすぎてはいけないと思っていた。
キースにはキースの生活があって、広がっている世界があって、自分とは違うから。
「それに、ずっと黙っていたことを、やっと打ち明けてくれたことも、ありがとう。……私も、これからはきちんと考えていることを伝えるようにするわね」
けれどそれは一方的な思い込みだった。
黙っていては気持ちは伝わらない。あの頃とは違うからこそ、触れられないからこそ、はっきりと言葉にしなくては。
「私、兄さまに甘えすぎてはだめだと思ってたの。重荷になってはいけないって。だけど本当は、兄さまがファルネーゼについて来てくれてとっても嬉しかった。またあの頃みたいに一緒にいられるって、そう思って……」
早足で歩くと、寮まではあっという間だった。もう少しキースと話していたい気もしたが、それではキースに門限を破らせてしまう。
「心配させてばかりの妹でごめんなさい。あのね、私の気持ちも変わっていないわ。兄さまはずっと、私の大切な兄さまよ」
キースの顔をまともに見られなかった。陽が沈みかけていてよかった。たぶんきっと、頬が赤くなっているから。
「ちょっと恥ずかしいわね。それじゃあ、おやすみなさい。また明日」




