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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第三章
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めざめ



 地面にうずくまったアーシェは額から血を流していた。キースは爪が食い込むほどにこぶしを握り締めていた。

 咄嗟に触れるのを躊躇して、このざまだ。

「アーシェ。アーシェ、アーシェ!」

 アーシェは喉が詰まったような音をたてて短く息をしていた。震える小さな手が首のうしろをかこうとしていた。魔術具のチョーカーの金具のあたりを。

「苦しいのか? アーシェ!」


 答えはない。このまま、構わず抱き上げて救護院に連れていくべきか。こんなに苦しんでいるのに、触れてもいいのか。

 キースが判断に迷っていると、あたりに人が集まってきた。


 どうしたの? なに? 子どもが倒れてる。先生を呼んだ方がいいんじゃない?


 ざわめきが急激に大きくなる。魔術具の効果が切れたのだ。

「キース。どうした?」

 キースが顔をあげると、見知った顔があった。

「ジョエル……! これを。このチョーカーを外してやってくれ」

「これ?」

 クラスメイトの女剣士は膝をつき、爪の赤く塗られた指先でアーシェの首筋に触れた。

「こうかな……」

 数秒後、チョーカーが開いた。


 は、とアーシェが息を吐き出した。

「アーシェ」

 涙に濡れた青い瞳がキースを見る。

「に、さま。ありが……」

 そのまま、瞼がおりる。アーシェはジョエルの膝の上で動かなくなった。


 ジョエルがアーシェの頬を軽く叩いている。キースはベンチの上の魔術具をハンカチごとアーシェの鞄の中に入れ、肩にかけた。

「どうする。私が運んでやろうか?」

 キースは指先でアーシェの濡れた目元をぬぐった。

 アーシェはぴくりとも反応しなかった。

「いや。俺が」

 チョーカーを拾い、鞄に突っ込む。

 抱き上げた従妹の体は、彼女が自分から飛び込んできていたあの頃よりも軽く感じた。

「なんか、大変だな、お前のお姫サマ」

「……世話をかけたな。助かった」


 キースは救護院へと向かった。





 ベッドに寝かされ、あちこちの擦り傷を手当てしてもらったアーシェは、なかなか目覚めない。

 事情は特に聞かれなかった。イメルダは会議とやらで不在で、搬送室で助手をしている学生が「まあ、大変。また!」と声をあげて、てきぱきと対応してくれた。


「このままついていらっしゃるの?」

 アーシェの顔を見ていると、助手がそう声をかけてきた。

「できればそうしたいが」

 彼女は椅子を出してくれた。

「どうぞ。何度かお会いしてますわよね。ええと、アーシェさんの、お兄様で……?」

「ありがとう。従兄のキースだ」

「まあ、そうでしたの。わたくしはカトリン。イメルダ先生のペアで、アーシェさんとはお友だち。の、つもりですの。うふふ、よくいらっしゃるから」

 ほがらかに笑うカトリンは、品のあるたたずまいで、貴族の生まれであることがにじみ出ていた。

「彼女から聞いている。優しい先輩だと」

「あら! 嬉しいですわ」



「救護術というのは、難しいか?」

 せっかくの機会なので、訊ねてみる。

 思い付きでやってみるなどと言ったが、アーシェのように賢いわけではない自分に、果たして修められるものなのか。

「救護師は、一般的な魔術師と比べて数が少ないだろう。特殊な技能が必要なのか」

 アリンガムの近衛隊に、魔術師は二十人いるが、うち救護師は二人だ。救護師は、どこでも不足している。こんな時代では特に。

「そうですね……イメージがつかみにくいというのはあるかもしれないですわ。体の内側に向けて魔力を使うので、感覚が通常の魔術とは多少違うようですね。それで、うまくいかなくてコースをやめる方も、それなりに」

「ふむ」

「わたくしは、楽をさせてもらっております。イメルダ先生に組んでいただけたので。対魔術は、相手の構成をのぞけてしまうので……優秀な方と組むと上達がとても速いんですのよ」

「そういうものなのか」

 では、アーシェは宣言したとおりに、魔術を使いこなすようになるかもしれない。

 あっという間に上達して、助けなど必要としなくなるかもしれない。

 彼女はいつも謙遜するが、昔から頭の回転が速く、なんでも器用にこなしていた。体力勝負以外で、キースは勝てたためしがない。


「……置いて行かれてしまうかな」

 口の中で呟いた。

 アーシェが一人で身を守れるようになれば、安心なのに。キースはなぜか気が塞ぐのを感じた。


「救護術コースにご興味が?」

「ああ……。応急に傷をふさぐことだけでもできれば、戦場で役に立つかと思ったのだが」

「病気ではなく怪我だけなら、体の表面への作用が多いので、いくらかやりやすいですね。専門の講義もありますし、他のコースのついでに挑戦するような方もおりますわよ。属性付与の方が、というのはちょっと聞きませんけれど」

 その時、ドアが開いて、イメルダが戻ってきた。


「先生、おかえりなさい」

「あら……」

 イメルダはキースを見て、足早にベッドへ近づいた。

「また倒れたそうで、さきほど。傷の処置は済んでいます」

「……なにが?」

 イメルダが厳しい目を向けてくる。

「……なにも」

 ただ、話していただけだった。

 話さなければよかった。

 嫌な予感はしていた。それは当たっていた。開けてはいけない扉だった。

 だがそこを進まなければ、突きあたりと同じだ。

 どうすればよかったのか。


 イメルダはアーシェの額に手を当て、小さく何か呟いていた。胸に顔を近づけ、そしてはっと頭をあげる。

「キースさん。チョーカーは?」

「ここに」

 アーシェの枕元に置かれている荷物の中から、チョーカーを取り出す。

「なぜ外したのです?」

「……苦しんでいたのだ。このチョーカーにはなにか副作用が?」

「副作用だなんて。確かに強力に魔力を抑えはしますが、それだけです。通常の患者のものは自分で外せないよう、細工をされていますが、アーシェさんのは自由にできるようにしてありますし」

 イメルダはアーシェの金時計に目をやりながら言った。

「まさか、魔力を使ったのですか?」

「アーシェの魔力はアーシェのためのものだ」

「もちろん彼女のために申し上げています」

「あの、あの……あっ! アーシェさんが目を開けましたわ」

 不穏な空気におろおろとしていたカトリンが声をあげた。

 さまよったアーシェの瞳がキースをみとめて止まった。キースは小さくうなずいた。

「アーシェさん。気分はいかが?」

「あたま、が……」

「痛むのですか」

 アーシェに顔を向けたままイメルダが左手を横に差し出し、カトリンがつないだ。

 イメルダの皺の多い右手がアーシェの傷ついた額を覆う。

 大きく息を吸い、そして吐いて、彼女は厳かに囁いた。

「荒波よ鎮まれ。凪を呼べ。鐘のは遥かに」


 手が離れると、アーシェの表情から苦痛の色が消えていた。

「ありがとうございます……」

「いえ、これが私の仕事ですからね。チョーカーを付け直してもよろしい?」

「……それは、もういりません」

 アーシェは答えた。



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