手紙
「えっ……すご。めっちゃ似てる。こんな相性、なかなかないよ」
ラトカが興奮した声をあげた。
「これなら攻撃魔術コースだって行ける。よかったじゃん、アーシェ!」
「攻撃魔術コース? ふうん。それが希望なの?」
ディルクは一歩下がり、アーシェを見下ろした。
「君みたいな子が。へえ……。まあいいけど。で、どう? 男だけど組んでもらえる?」
「え、ええと。あの」
長い前髪の隙間からちらりとのぞく目の感じ。真っ直ぐ通った鼻筋。よくよく見れば確かに顔はクラウディオと同じだった。それなのに印象がまるで違う。
「え駄目なの? アーシェ、男の人が苦手なんじゃなくて触れないだけだよね? ティアナと違って」
うまく答えられないでいると、ラトカが「これを断るなんてありえない」とばかりに話しかけてきた。
演技、演技。突然触れる男の人が目の前に現れたら?
「じゃあ……あの、一応、もう一度……」
アーシェが手を差し出すと、ディルクが無言でそれを握った。
「わー。ぜんっぜん平気じゃん」
握手する二人を前に、ラトカが信じられないという様子で言った。もちろん彼女も、ブレーズに触られてひっくり返った現場にいたのだ。
当然ながら、ディルクとの握手にはなんの問題もなかった。
「え、なになになにコレ。どーしたの?」
エルミニアがティアナと一緒に駆けつけてきた。
「それが……不思議なことに、この人には触れるようです」
「対だよ、対! ディルクさんって言うんだって。めっちゃくちゃ相性いいのこの二人。あっもしかして……だからかな? 魔力の流れのせい?」
「……この子たちも君の友だち?」
ディルクが手を離して言った。
「うわやばイケメン」
思わず漏れたといった風なエルミニアの早口がアーシェの耳に届く。
「は、はい。クラスメイトです」
アーシェは答えた。
「へえ。じゃあ実習の時はよろしくね。いいよね?」
言葉の最後でディルクはアーシェに視線を投げた。
「えっ」
「だから、対だよ。見ての通り僕は卒業生だ。君にはいろいろ教えてあげられると思うけど」
ディルクは自分の胸に手を当て、身につけている青いローブを示した。いつものクラウディオの藍色のローブとは違い、普通のファルネーゼのローブだ。どこかから借りてきたのだろう。
「お願いしますだよ、アーシェ!」
ラトカがアーシェの耳元で囁いた。
「お、お願いします……」
「よかった。じゃあまた後で、教務課に正式な申し込み状を出しておくから。プロフィールとかはそれを見て」
一方的に言って、ディルクはすたすたと歩いて行ってしまった。問題など感じさせない歩調だった。
「やったじゃん! あんな相性よくてローブ持ち! 大当たりだよ。おめでとう!」
ラトカは自分のことのように喜んでいた。
「あんなオーラのあるイケメンと組めるなんて羨ましすぎるんだけど……男運どうなってんの。不公平すぎない? キース様をちょーだい」
「あげません!」
どさくさ紛れのエルミニアの要求を、アーシェはもちろん却下した。
「さっきの方が、もしかして」
午後の授業に向かう途中、こっそりとティアナが確認してきた。ティアナはまだクラウディオに会ったことがないが、アーシェに触れられていることから、わかったのだろう。
「そう、私も驚いたけど。来ると思っていなくて」
「ちょっとイメージと違いました」
「それも私も。……いつもとはまるで別人だったわ」
色と髪型とメガネだけであれほど雰囲気が変わるものなのか。話し方なども、クラウディオとは少し違っていたが、まったく違和感はなかった。演技とは思えないほどに。
「それにしても、ディルクですか……」
ティアナは小さく首をかしげながら言った。
「私の知っている飛竜と同じ名です」
「えっ。そうなの?」
「はい。ディルクにはケルステン語で支配者というような意味合いがありまして、強くて格好いいイメージなの。よい名前ね」
なんとなく浮かんだ名とはいえ、褒められると照れくさい。こうなると自分がつけたとは言い出しづらかった。
放課後、アーシェは約束のベンチへ直行した。
キースは来ていなかった。
アーシェはひとりでベンチに座り、足をぶらぶらとさせた。
もし、今日キースに会えなかったら、どうしよう。男子寮の前まで行って待ち伏せてみる? それとも、早起きして演習場へ行ってみようか。どちらも男性が多そうで気が引けるが。
それでも、どうしても伝えなければいけないことがある。
「アーシェ」
背中から声がかかって、アーシェはベンチから駆け出すような勢いで足をおろした。
「兄さま!」
来てくれた。ちゃんと約束どおりに。
「あのね兄さま。私は強くなります。兄さまが魔術槍を習得して帰るまでに、一人でも身を守れるくらいに魔術を使いこなしてみせますから!」
アーシェはキースの前まで足早に近づいて、一気にまくしたてた。
「だから兄さまは安心していいの。結界術を習うし、それから、攻撃魔術も。ほかにも色々方法があって」
キースは黙って、なにかを差し出した。黄色い封筒だった。
アーシェは意表を突かれて、用意していた台詞を最後まで言い切ることができなかった。
「……手紙?」
そういえば、少し前、家族に手紙を書くべきという話をした。
「あ、あのね。ファルネーゼの外に手紙を出すには、管理棟で書かなきゃいけないのよ。クラスで説明されなかった?」
「いや。これはおまえに」
「私?」
「その、上手く伝えられる自信がなく……。手紙なら少しはまとまるかと思ったのだが、やはり時間がかかってしまった」
キースからの手紙は、これまでたくさん受け取ってきたが、直接手渡されたのは初めてだった。
アーシェは宛名も何も書かれていない封筒を裏返し、また表に戻した。
「……読んでもいい?」
「今? ……まあ、かまわないが」
アーシェは荷物を置いたままだったベンチに戻って、腰掛けた。キースも隣に座った。
親愛なるアーシェへ
叔母上が王都までやってきて俺におまえのことを頼んだのは、冬の終わりだった。
それはファルネーゼ行きを思いとどまらせてほしい、家に残るよう説得してほしいという話だった。
だが俺は、わずかでも可能性があるのなら、おまえを行かせてやりたいと思った。
それで隊長が以前ファルネーゼに行ったことがあると話していたのを思い出して、すぐに詳しい話を聞きに行った。
今となってはその選択を後悔しているが、それでもおまえをひとりで行かせるよりはずっと良かった。俺が一緒に行くならと、叔母上もなんとか納得してくれた。
おまえは俺におまえを守る責任がないと言ったが、俺は責任があると思っておまえを守っているのではない。
ファルネーゼに来たのは、少しでもおまえの役に立てればいいと思ったからだ。
誰かのためではない。おまえのためでもない。なにより俺自身が、おまえと再び触れあえるようになりたかった。
当たり前のように触れられたあの頃は、言葉などなくてもおまえと心が通じ合っていると感じることができていた。
俺は感情を言葉にするのが苦手で、だからこそ、おまえと転がりあって笑うようなあの時間が好きだった。
今はそれが難しいが、その分、できるだけ思っていることは口にして伝えているつもりだ。
おまえはわかっているだろうと考えていたが、足りていなかったようだ。本当にすまない。
俺はおまえがかわいい。一緒にいることを負担だと思ったことは一度もない。
どうか頼ってくれ。おまえの力になりたいと思っている。
アーシェは胸に手紙を抱いた。涙がこぼれるのを止められなかったから。大事な手紙を濡らすわけにはいかなかったからだ。
「私、やっぱり兄さまのことが大好き」
「……知っている」
キースは笑っていた。
本当は手紙ではなくキースを抱きしめたかったが、それができないのがもどかしかった。
「俺を頼る気になったか?」
あやうく首を縦に振るところだったが、思いとどまる。
「き、騎士団は……」
「確かに長期の休みが続けば除隊になる可能性はあるが、俺は騎士として槍を振るえる場所ならどこでもいい。いざという時は叔父上の東方守備隊に雇ってもらうつもりだ。おまえからも口添えしてくれ」
答えを準備していたのだろう。キースはすらすらと述べた。
「コネだと言われるだろうが事実なので仕方ないな。実力を示せばすむ話だ。……元々、近衛隊を受けたのは、そこが一番うちの人間の心証がいいだろうと思ったからだ。王都の守りは栄誉ある重要な仕事で、かつ危険が少ないからな。俺としては叔父上のもとで働けるならむしろ嬉しい。そういうことだから心配はいらない」
断るに足る理由を全部つぶして、キースはアーシェに返答を促した。
「俺がいた方がいいだろう?」
全面降伏するしかなくなったアーシェは、泣きながらうなずいた。




