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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第三章
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新しい名前


 約束の木曜になり、アーシェはクラウディオの研究室を訪問した。先日のようにイメルダとカトリンが待っていて、治療がすむとカトリンはすぐに退室していった。

「いかがです?」

「かなりいい。動かしていても痛みがない」

 クラウディオは立って足の具合をみている。アーシェは外していたチョーカーを付け直し、襲ってくる悪寒に耐えた。

「これならもう大丈夫ですね。念のため、来週もう一度だけ術を重ねましょう」

「なら、それまでにもう少し歩く練習をしておくよ」



 クラウディオとの話が一段落したのか、イメルダが振り返ってアーシェに声をかける。

「アーシェさん、質問は考えてきましたか?」

「あ、はい。私が気をつけなければいけないことはありますか? ええと、たとえばヴィエーロ先生やフルヴィア先生は何派なのです?」

 フルヴィアの研究室は知らないが、ヴィエーロの部屋は五階ではなく三階にある。

「あなたにかかわりの深い大公派がいないかということ? そうですね……私もすべてを把握できているわけではありませんけれど、今のところは大丈夫かと。たまたまコズマが担任で幸いしましたね。フルヴィア先生は中立。ヴィエーロ先生は、前大公派ですよ」

 アーシェが疑問を挟むより先に、イメルダは説明をしてくれた。

「前大公派というのは、前大公のやり方を踏襲しようという人たちや前大公に仕えていた魔術師が中心でね。考え方は血統派と近いので、ほとんどは血統派こちらに合流していますけれど。ヴィエーロ先生はラズハット様に師事していたので、やはり前大公派と呼ぶのがしっくりきますね」

「ラズハット……?」

 そんな名前の教師がいただろうか。

「彼は僕の祖父である前大公のペアでな。変わり者だが、多才な男だ」

「ラズハット様は難しいお立場なので、現在は国外に出ていらっしゃいます。研究旅行という名目でね」

 大公派に睨まれてということだろう。やはり、権力にかかわるとややこしいことになるようだ。


「明日には魔力波形の掲示があるでしょう? あなたの波形はもっとも数の少ないDの4で張り出すことにしましたから。男性の対お断りも但し書きしてありますし、まず申し込みはないと思います。逆に多いAにするかコズマとも悩んだのですが……今年の新入生を含む最近の天属性にDの4はいませんしね」

「それでどうやってクラウディオ様と対を組むことにするのですか……? 女性に変装されるとか?」

「いや。性別を周囲に錯覚させる魔術はあるが、一応禁呪だからな。ばれた時が面倒だし、やたらに使わない方がいいだろう」

 クラウディオは細身ではあるが背も高いし声も低めで、さすがに魔術抜きで変装しても違和感はぬぐえないだろう。

「あなただけが女性を男性と認識したあの暗示とはまたわけが違いますからね。たまたま魔力の相性がよくなぜか触れられた、というありのままを話せばよいのではと思っています」

「嘘をつくときは真実を混ぜた方がいいとも言うしな。さて……。少し時間をもらうぞ。君の金時計を改造する」

 クラウディオはそう言って、アーシェをソファに座らせ、自身はアーシェの前に膝をついた。



「金時計は、もちろん当人にしか開けられないが、誰にも見せないというのは不自然になる。クラスメイトに見せてほしいと言われてかたくなに拒否するというのも怪しいだろう? だからダミーを貼り付けておく」

 クラウディオは魔力波計の透明なカバーを外し、新しいものをそこに取り付けた。ひと吹きで見失いそうな小さなネジやピンを扱うので、アーシェは口をとじ、なるべくゆっくりと息をした。

「この波形はただの絵と同じだ。本来表示される波形と違って周期が変動していかないからな。同じ人物に何度も見せるとすぐにバレるぞ。まあ必要もないのに他人の魔力波を何度も観察したいというような者はいないと思うが……一応気をつけるように」

「はい」

 アーシェはクラウディオが手際よく作業をしていく様子をじっと見ていた。クラウディオは工具の扱いもとても器用で、あっという間に元のような金時計になった。

「君の本来の波形も確認できる。少し面倒だが、こうして手のひらで覆って、しばらく表面を温めてくれ。そうすると……」

 クラウディオはアーシェの右手を取って、金時計の上に重ねさせた。アーシェの手の上に、覆いかぶさるように乗せられたクラウディオの左手は、手の甲に血管の筋が浮き出ていて、相変わらず細かった。

「こうやってダミーが透けて、見えるようになる」

 クラウディオの手のおさえがそっと外れた。

 アーシェも自分の手をあげた。そこにアーシェのゆがんだ波形が見えていた。

「本当に。これはすごいですね……どうやっているのですか?」

「まあそういう素材で……ソレノアという国で採れるんだ。南大陸の……ここでは貴重だからな。扱いは慎重にしてくれ」

「はいっ」

 アーシェは背筋を伸ばして返事した。

 クラウディオは少し笑った。

「元気が出てきたか?」

「えっ。え、そんな」

「今日はいつもよりずっとおとなしかったぞ。……まあ、厄介ごとに巻き込んでしまった自覚はある。申し訳ない」

「いえ! そんなことは。クラウディオ様のせいでは……」

 クラウディオはゆっくりと立ち上がった。

「君には大きな借りができた。先日も言ったが、本当に感謝しているんだ。僕のことは、なんでも言うことをきく便利屋ができたくらいに思ってくれていいぞ」

「とんでもない! 私はなにもしていないんですから。偶然で」

 ただ生まれつきにそんな波形だったというだけなのに。

 慌てているアーシェに、クラウディオは笑みを深くする。

「だが僕と出会ってくれた。それはただの偶然じゃない」

「でも……」

 ここに来たのだって、父が勧めてくれたからで、自分で思いついたわけでもなくて。

 そう思ったが、アーシェは何も言えなくなってしまった。口が動かせなくて。そんな、優しそうに笑うから。

 アーシェはうつむいて、開いたままだった金時計に気づいてぱちんと蓋を閉じた。



「そうだ、君に名前をつけてもらおうと思っていたんだ」

 ふとクラウディオがそんなことを言い出した。

「え、なんのですか?」

「僕の」

「あっ。偽名を」

「ああ。君の対なのだから、君の好きな名でいいと思うんだが」

 突然言われても、すぐに思いつくものでもないが。アーシェは考えた。名前、名前か。


「ディルク……」

 ふとそれが口をついて出た。


「ディルクか。東部風の名前だな。まあそれでいい」

 クラウディオはあっさりと決めてしまった。どうしてそんな名前が頭から出てきたのか、アーシェ自身にもよくわからなかったが。

(でも、いい名前)

 アーシェはなぜかしっくりと馴染むような気がしていた。



 アーシェはイメルダと一緒にクラウディオの部屋を出た。なぜかずっと部屋に残っていたイメルダは、どうやらアーシェを送ってくれるつもりだったようだ。

「クラウディオさんと仲がよろしいようね?」

「あっ。公子様に対して、馴れ馴れしかったでしょうか」

 イメルダは人差し指を立てて唇にあてた。五階の廊下といえども、クラウディオの正体について触れるようなことを言ってはならなかったようだ。

「すみません」

 アーシェは小さく頭を下げた。

 立ち止まったイメルダはポケットから手のひらサイズの鐘のようなものを取りだした。彼女が指ではじくと、コーン、と不思議な音が鳴った。

「これは周囲の音を聞こえにくくする魔術具です。あたりがうるさい時などに大声を出さなくてもおしゃべりできるというわけ。そしてもう一つの効果として、近くの音を遠くに届きにくくします」

 音の壁のようなものを作るということだろうか。

「あなたに差し上げるわ。持っていなさい。魔石の光っている間は効果が持続します」

 アーシェが何か言うより先に手に持たされたそれは、金属のずっしりした重みがあった。


「クラウディオさんと親しくされるのは、よろしいですよ。あの方も、ずいぶんあなたには心を開いていらっしゃる様子。気の合う対が見つかるというのは魔術師にとってとても喜ばしいこと。ええ、親密にしていただいて結構ですとも」

 イメルダはアーシェの手を魔術具ごと包んでいた。まるで逃がすまいとするかのように。

「いいですか、アーシェさん。あの方が大公位を継がれた方が、ファルネーゼのためには良いのです。あなたの将来を一度よく考えてみてください」


 そうか。

 これは秘密の話をするための魔術具なのだ。


「ファルネーゼに残ったからといって、別に二度と家族に会えないというようなことはありませんよ。どうでしょう、少し遠くに就職するというくらいのつもりで。もちろんあの方にその気になっていただかないといけませんが、大公の対は筆頭補佐官となります。地位も名誉もありもちろん手当も多いのですよ」

 イメルダはアーシェに口を挟ませなかった。

「自分の時間だってたっぷり持てます。ラズハット様もご自身の趣味に精を出していらっしゃいましたからね。休暇だってもらえます、ヘルムート様との波長の合う時期を使えば……。ね、悪いお話ではないでしょう。可能性だけでいいですから頭に入れておいてくださいね」

 言いたいだけを言って、イメルダはアーシェから離れた。


 先を歩いていくイメルダの背中を見ながら、アーシェは思っていた。キースの言ったとおりだ、と。

 手の中のひんやりとした魔術具の鐘が、光りながら小さく震えていた。





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