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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第二章
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はじめての喫茶店



「商業街においしいケーキのお店ができたらしいの! 開店セール中だから、お得だし、一緒に行きましょう。今日よ! 今から!」

 マリーベルの勢いに押されて、アーシェは商業街へやってきた。ファルネーゼの商業街は、ファルネーゼに暮らす人たちの必需品から娯楽の品までを扱うさまざまな商店が立ち並ぶエリアだ。アーシェも無くした香油や学用品などを買いに何度か来ているが、食事のためにというのは初めてだった。


「喫茶店、ですか、これが……」

「アリンガムにも喫茶店くらいあるでしょ? 貴族のお嬢さまは行かないものなの?」

 きょろきょろしていると、マリーベルにそう言われた。

「どうでしょう。私はあまり、外に出たことがなくて……」

「じゃあファルネーゼにいるうちにたくさん遊んでおかないとね! また色々出かけましょう」

 窮屈な暮らしをしていたと思われただろうか。けれどマリーベルの気持ちが嬉しくて、アーシェはうなずいた。


 メニューを見て、どきどきしながら注文を済ませると、向かいに座ったマリーベルがそっと身を乗り出してきた。

「それで? キースさんと喧嘩でもしたの?」

 アーシェはまばたきして目の前のマリーベルを見つめた。先輩は心が読めるのだろうか。

「ど、どうして……」

 昨日も今日も、キースは朝食の席に現れていない。顔を合わせたらどうしようと身構えていたが、結局あれ以来会っていないのだ。それなのに。

「そりゃあ、あの不細工なウサギを眺めながらあれだけ溜息ついてればね」

 不細工なウサギ。アーシェの机の上にいつも置いてある、キースが作ってくれた木彫りのウサギさんは、アーシェのお気に入りだ。確かに少しいびつではあるが、そこがかわいいのに。


「珍しいじゃない。どうしたの」

「喧嘩というわけでは……。ちょっとした行き違いというか」


 昨日は一日中、キースとかわした会話のことをぐるぐる考えていて、上の空だったかもしれない。どうやらマリーベルを心配させてしまったようだ。

 それで、誘ってくれたのか。

 アーシェはまた嬉しくなって、マリーベルのことがもっと好きになった。

「すみません。私、そんなにわかりやすかったでしょうか」

「まあまあね。顔に出てるもの。いいんじゃない? 素直ってことよ」

 顔に出ている。やっぱりそうなのだろうか。アーシェは両手で顔を覆った。

「……重症? 無理には聞かないけど、話せることなら話した方がスッキリすると思うわよ」

「それは……」

 話せない部分が多すぎる。

 自分のことだけではなく、クラウディオのことも。


「ごめんなさい。自分の中でも、うまく整理できていなくて」

「謝り方がわからない?」

「そんな。……どうでしょう。謝る……のとは、違う気が。怒らせている、というより、困らせているのかも。でも理由がわからなくて」

「ふーん。まあ、あんまり喧嘩とか、普段しなさそうだものね」

「子どもの頃はよくありましたよ。でも私が泣きそうになると、キース兄さまは焦って、すぐに悪かったって謝って……」

 マリーベルはくすくすと笑った。

「目に浮かぶわ」


「そういう時……、喧嘩じゃなくても、私が泣いてしまった時は。キース兄さまはいつも、私を持ち上げて、ぐるぐる回すんです。こう、自分も回って、勢いよく……そうすると私すぐに笑ってしまって。面白くて、泣いていたことを忘れてしまうんです」

「な、にそれ、力技で。おかしっ、ふふ」

 マリーベルは笑いすぎて咳き込んだ。

 アーシェもつられて笑顔になった。


 ちょうどよく注文したケーキと紅茶が運ばれ、呼吸をととのえたマリーベルは、木苺のタルトを一口食べて「美味しっ」と言った。

 アーシェも自分のガトーショコラを口に運んだ。濃厚でしっとりしていて、なるほど、評判のよさもうなずける味だ。アーシェの好みではもう少し甘くてもいいが。

「考えてみれば、キース兄さまに触れられなくなってからは、喧嘩らしい喧嘩はしたことがないですね。もうキース兄さまも大きくなって、我が家に長期間滞在するようなことがなくなって……」

「それ。成長したっていうよりは、もうあなたを泣き止ませられなくなったから、かしら」


「……そんな風に考えたことはなかったですが」

「キースさん口下手だものね。そこがかわいいけど」

(かわいい……? マリーベル先輩の兄さまへの評価は、相変わらず分からないわ)

 言うまでもなく、今のキースにかわいらしい部分はない。小さい頃ならともかくだ。


 とはいえ、マリーベルはまだましな方で、キースと特にかかわりのないファンの女の子たちからの評価のズレはもっとひどいものだった。

 エルミニアいわく、

「キース様のあの冷たい瞳に射すくめられたい! 女、どけ。……とか言われたーい!」

 とのことだった。口数が少なく目つきが悪いせいで、そんな風に見られるのだろう。家庭教師からも態度が悪いと言われる、と彼は子どもの頃から気にしていたものだ。

 本当は、真面目で誠実な努力家なのに。誤解されやすいキースの理解者が、もっと増えればいいのだが。

 アーシェが兄さまは本当はこうで、と説明しようとしても、エルミニアは「夢を壊さないでよ……そりゃ身内からしたらそんなもんかもしれないけど」などと言うばかりで。


 マリーベルはどうだろうか。ファン、というのとは少し違うようにアーシェは感じている。

「あの。マリーベル先輩は、キース兄さまのことを、お好き……なのですよね」

 マリーベルはきょとんとして、それからふっと表情をゆるませた。

「まあね。好きではあるけど。別に恋人になりたいとか、そんなことは思ってないわよ。だってわたしは……」


 マリーベルは言葉を切って、紅茶を飲んで、そして、小さく。

「そんな未来ないから」

 そう聞こえた気がした。


「ま、キースさんだってわたしのことなんか眼中にないわよ。それより仲直りは? ほら、どうするの」

 ぱっと顔を上げた時にはもう、一瞬のぞかせた暗い色はどこかへ行っていた。

「仲直り……それが、どうすればいいのか……。簡単に言うと、キース兄さまがある人と親しくするな、と言うんですけど、私はその人とは親しくしたいと思っているというか……」

「えっ。なにそれ。人間関係に口出し? 意外なんだけど」

「なにか訳があるんだとは思うんですけど、教えてくれないんです。それで」

「んー」

 マリーベルはフォークでタルト生地を刺しながら首をひねった。


「キースさんがなんとなくでそんなこと言い出すとは思えないけど」

「そう、なんですけど。でも、その人は本当にいい人で。私はそう思っていて。なので……」

「どうしてもその人と友達になりたいの? キースさんに止められても?」

 アーシェは口に運ぼうとしていたフォークをおろした。


「……ちゃんと理由を説明してくれれば、私だって……考えられますけど、でも」

「そうねぇ……」

 マリーベルも難しそうな顔をした。しばらく黙って、タルトを半分くらいまで食べて、「やっぱり」と口を開いた。

「あなたが仲良くしたいと思ってるならすればいいとわたしは思う。それでなにか……あるかもしれないけど、それは自分の責任って思えるなら、ありじゃない? そうするのを見て、どうしても駄目って思ったら、キースさんもちゃんと話してくれるかもしれないし」

 アーシェはほろ苦いガトーショコラをのみこんだ。

「です、かね」

「だって。なにも言わずに友達やめろなんて、それはさすがに横暴よ。……わたしなら、そうする」


 クラウディオを、そういう意味で好きかどうかと言われると、違う気がする。少なくともまだ。

 でも、もっと知りたい、近づきたいと思っているのは本当で。

 それは、簡単にやめてしまえるほど、軽い気持ちではなくて。


「ありがとうございます、マリーベル先輩。私、少し考えをまとめられたような気がします」

「そう? よかった」

「キース兄さまともう一度話してみます。私がどうしたいのか、ちゃんと。それで、しっかり理由を聞き出します」

 マリーベルはうなずいた。

「そうね。いいと思う」

「それで、どうしても話してくれないなら、好きにするから、って言います。そうします!」



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