誤解
複数の男性との握手未遂でアーシェはしばらく立ち上がることができなかった。フルヴィアは自分の研究室に戻り、イメルダも搬送室へと向かったが、カトリンはアーシェについていてくれた。
美青年のままの姿に見えるカトリンは、水を汲んできてくれたり背中をさすってくれたり、なにかと世話をやいてくれた。そんな風に男性と距離の近いのはクラウディオ以外ではじめてだったが、やはり中身が女性だからか、緊張はしなかった。
「カトリン先輩は、一回生の頃からイメルダ先生についているんですか?」
「ええ、そうですわ。あなたたちもそろそろ魔力波形を掲示する頃だから、気になるんでしょう」
「はい、まあ」
「わたくしも先生からの申し込みが届いた時には驚きましたけどね。でも、もともと救護師志望でしたし、この先生ならと思って、卒業までの期間限定で対を組むことに同意しましたの」
「期間限定なのですか?」
考えてみれば、カトリンはいかにもいいところのお嬢様という感じなので、卒業後の帰国は決まっているのだろう。
「ええ。先生には残ってほしいと言われましたけど、そういうわけにも……ふふふ、あなたには話してしまおうかしら?」
「なんですか?」
どうやら秘密のお話だ。アーシェは距離をつめた。
「実は、わたくし、故郷に婚約者がいるのです」
「え!」
なんと、恋バナだった。
「親の決めた相手で、まだ数回しか会ったことがないんですけれど、素敵な方なのです。竜騎兵で、私がファルネーゼに向かう直前にお会いした時、飛竜の背中に乗せてくれました。そして空の上でお約束したんです。きっと立派な救護師になって戻りますって」
「そ、それは……なんという、ロマンティックな……!」
アーシェはのろけ話には慣れている。主に母のだが。
「うふふふ。そうでしょう。もう三年、会っていませんが、帰るのが楽しみなんです」
ということは、カトリンはルシアと同じ四回生なのか。あと一年で卒業してしまうとは、残念だ。
「戻ったら結婚なんですか?」
「ええ、その予定で。お手紙も交換しています」
「いいですね……! それは絶対に帰らなければなりませんね」
「そうなんですの! いつかあなたにも彼を紹介したいですわ。卒業したらケルステンに遊びにいらして。ティアナ様も歓迎されるでしょうから」
楽しくそんな話をして、すっかり元気になって、部屋をあとにした。
(恋、か。私には縁がない……考えたこともないわね)
そんな風に思ったのが、つい昨日の出来事だ。
「両親の仲はどうだったのか、奥方がどう扱われていたのか……」
キースと毎週待ち合わせることになった金曜の中庭。
他に何かクラウディオに訊ねておくべきことはあるか、とキースに聞くと、こう返ってきた。
「なぜそんなことが気になるの?」
キースは答えない。
クラウディオは亡くした母親を大切に思っている一方、父親を嫌っている様子だった。それほど仲のいい夫婦ではなかった可能性が高いが、それをクラウディオに言わせるのか、と思うと気が重くなった。
「私は、もういいと思う」
だからアーシェはそう言った。これ以上、探るようなことはしなくていい。
「とは?」
「クラウディオ様を信用できると思う。あの方なら、私が本当のことを話しても、信じてくれる。力を貸してくれると思うの。今は色々伏せたままだけど、禁呪のことも織り交ぜて考えれば、また別の糸口が見つかるかもしれないし。私のためにたくさん考えてくださってるのに、材料を秘密のままにするのは不誠実だわ」
向こうは秘密を明かしてくれたのに。アーシェを信頼して、魔力波のことを話してくれたのに。
「禁呪についてはフラットな考え方を持っているみたいだし、大丈夫。私、なにもかも話してみるわ」
きっと、怒られるかもしれない。もっと早く言え、と。そうして、必死になって詳しく調べてくれるのに違いない。そういう人なのだ。
そうと決まったら早く話そう。明日は休みの日だから、朝から部屋に行ってみよう。いつもは放課後だから、なんと言うだろうか。早いとか文句を言いながら、仕方ないなと出迎えてくれるのを想像した。
「いや……。アーシェ、おまえは」
「どうしたの? なにか問題? ……そろそろ話してくれる気になった?」
キースはまた難しい顔で額を抑えてしまった。
ファルネーゼに来てからというもの、時々こんな風になる。ひとりで深刻そうにして、アーシェにはなにも言ってくれないのだ。
「兄さま。黙っているだけじゃわからないわ。私に言えないことってなんなの? どうしてクラウディオ様とヘルムート様が私の過去に関係あるって思ったの?」
「おまえは……クラウディオを好きなのか」
「え?」
そんな話、していないのに。
「あの男はやめておけ」
「え、は? なにを言っているの?」
――その方をお好きなの?
以前、ティアナから言われたことが脳裏をかすめた。あの時は、すぐさま否定した。そんなつもりはなかったし、今だって。
「なにか勘違いしてるんじゃない? 別に、私はそういう風には……」
なぜか、胸が苦しくなってきた。
「兄さまはクラウディオ様のこと、なにも知らないでしょ? だいたい、向こうがそんなつもりないと思うけど。いつも子ども扱いだし、だから、そういうのじゃない」
「アーシェ」
なだめるようにキースが言った。
「どうしてそんなこと? 兄さまに関係ないじゃない」
「だがクラウディオはおまえの――」
「私の?」
「いや……、とにかく駄目だ。まだ話すな。おまえは近づきすぎている」
それだけ言って、キースは立った。
「兄さま……!」
歩いていく背中を、追いかける気にはなれなかった。ただひとり、ベンチに座ったまま、残された。
耳の裏側が熱い。怒っているせいなのか、なんなのか、わからなかった。
なぜキースはあんなことを言い出したのだろう?
自分はそんな風に見えただろうか。クラウディオのことを話すときに、そんな顔をしていた?
「違うのに……」
アーシェはうつむいたまま両手で首筋をおさえ、しばらく顔があげられなかった。




