墓参
ヘルムートが足を止めたのは、かつて図書館があったという場所だ。
十六年前に焼失し、貴重な資料がほとんど灰となったという。
今はなにもない空き地だ。強い種類の雑草だけが生い茂っている。
マルツィアはここで死んだ。
数年間自宅から出ることのなかった彼女が、なぜその火事の日、ここにいたのか。なにもわかっていない。少なくとも、ヘルムートの知れる範囲では。
奥に見えているのが、このファルネーゼでもっとも由緒ある建物、大公邸だ。延焼を免れたが、今は誰も住んでいない。いや、住めないのだ。
先の大公ドゥイリオが相続をしなかったためである。大公とその家族だけが足を踏み入れられる結界の張られた邸宅。客人は住人の「招き」を受けることで一時的に訪問できたというが。
ドゥイリオはセザールと絶縁し、セザールの大公邸への入場権を剥奪した。数年後、そのまま死んだ。絶縁の理由について、詳しいことをヘルムートは知らない。ただ不仲だったということだけ聞いている。
「……ん?」
無人のままにおかれている大きな屋敷。
その美しく装飾された窓の奥に、なにか人影のようなものが動いた気がした。
ヘルムートは目の利くことに自信があった。この丈高い草むらをのりこえて、様子を見てみようか? いや、服が草の実だらけになりそうだ――
「どうしたんだね。なにか、気になるものでも?」
不意に背後から声がかかった。
ヘルムートが振り向くと、男が立っていた。青いローブ。後ろに撫でつけられた黒い髪。大公の証であるブラッドルビーの指輪。
今日、会議場で数年ぶりに顔を見て、さすがに老けたなと思った――彼の伯父、セザールだった。
「いやぁ。ちょっと」
珍しく行政区に顔を出したのだ。大公派に後を付けられるかもしれない、くらいのことは予想していたが。まさか本人が現れるとは。
「今、あの建物の中に……誰かいたように見えて」
ヘルムートは正直に答えた。別段隠すようなことでもなかった。ただ、口にしてしまってから、子どもじみていると思われるかもしれないと後悔はした。
「ほう」
セザールは低い声で言った。表情に生気が感じられない。ヘルムートはこの伯父をクラウディオのように憎悪してはいなかったが、薄気味悪い男だというくらいには思っていた。
「ああいや、知ってますよ。あそこには誰も入れないって」
「おそらく自動人形だよ。大賢者の置き土産、骨董品さ」
「へ……」
「まだ動いているのだろう。よく魔力が保っているな。……中は埃ひとつないままだろうね」
掃除用の魔術具、そんなところだろうか。
「ふーん……そんなもんが」
「それで、ヘルムート。君は何をしにここへ?」
セザールは淡々と言った。
ヘルムートは手にしていた花束を持ち上げてみせた。
「墓参りをしようかと思って。せっかく行政区まで来たんでね」
ここから墓地までは一本道だ。
代々の大公一族の墓。
死人のことを調べるなら、まずはそこだろうと考えたのだ。
「付き合おう」
やなこった。
とは思ったが、口には出さなかった。
「……あんたが?」
「おかしいかね。妻のところへ私が行くのは」
「いやあ。ま、どうぞ」
ヘルムートは歩き出した。
セザールがその横につく。
さすがに偶然ということもあるまい。なぜわざわざ姿を現したのか。セザールはなにを探ろうとしているのか。
「星の魔術師どのは元気にしているかね?」
「別に、変わりないですよ」
ヘルムートは素っ気なく答えた。
星の魔術師がジーノであることは、まあ、当然調べられているだろう。そんなことはわかっている。
「……なんであの金時計、却下なんです?」
今日の評議会でわかったことは、金時計を却下する方針でいるのが大公派だということだ。
ヘルムートが現れたことに議場はざわめいたが、堂々と言ってやった。新しい金時計の扱いに不満があるから来てやったと。
ヘルムートが制限装置を推していると知って賛成に回った者も幾らかいたが、今の議会は大公派が過半数を超えている。意見書を提出しても、結局どうにもならなかった。
クラウディオはまた荒れるだろう。どうなだめたものか、ヘルムートは気が重かった。
「過剰だからだよ。言ったはずだ。不安のあるものは個別に制限装置を購入して装着すればそれでいい。自分の魔力をどう使うかは魔術師それぞれの選択にゆだねられるべきだと私は思っている。君はどうだね」
そういうものか。
「まあ……魔術師のことはオレにはわからねぇんで」
「そうかね。まだ君に期待している者も多いが」
「オレには無理ですよ。魔力容量の可視化で、ハッキリしたはずです」
ヘルムートの魔力容量は期待されたよりずっと少なかった。一般人の平均よりはわずかに多いが、大賢者の末裔などと名乗るには恥ずかしい、クラウディオとは比べ物にならないくらいの微々たる量だ。
「容量よりも、大事なのはセンスと相性だよ」
「それもまあ無理なんでねぇ……オレには向いてない。体を動かす方が性に合ってる」
ふ、とセザールが息を吐いた。笑ったのかもしれない。
「結婚は?」
子ができれば、継げる可能性があるかもということだろう。前大公派とか、血統派とか呼ばれる連中がしょっちゅうヘルムートにこれを持ちかけてくる。知らない女が突然家にいたこともあった。
「まあ、いい女がいれば。……連れてこないでくださいよ。自分で見つけるんで」
「そこまで世話をする気はないよ」
そんな話をしているうちに、墓地に入った。
マルツィアに、ヘルムートは会ったことがない。ヘルムートはケルステンで育ち、国外に出ることはなかった。マルツィアが死に、ジーノが廃嫡されて、はじめてファルネーゼの結界の中に入ったのだ。
マルツィアの墓は、前大公ドゥイリオの墓の隣にあった。
ドゥイリオには会ったことがある――はずだ。祖父は何度かケルステンを訪問していた。二十七年前、ヘルムートが生まれた時にも、来たらしい。さすがに記憶にはないが。
そんなことを考えながらドゥイリオの墓碑に花を供えた。そのまま眺めていたヘルムートは、ふと、一番下に彫られている名に目を止めた。
Ernestine
「……誰だ?」
「ああ。エルネスティーネ。彼の妻の名だよ」
ヘルムートの疑問に、セザールが答えた。




