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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第二章
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はじめての暗示



 恒例の木曜日、イメルダの診察の日だった。いつもの部屋にはイメルダとカトリン、そして知らない赤いフードの人物がいた。

「あなたには馴染みがないでしょうから紹介しますね。フルヴィア先生です」

 アーシェはフルヴィアと挨拶をかわした。フルヴィアは精神魔術が専門だという。ウェーブのかかった青い髪をフードからのぞかせた、赤いルージュが印象的な女性だ。

「精神魔術は難易度が高いので、三回生から選択で選べるようになるんですよ」

 カトリンが補足してくれた。なるほど、見かけないわけである。

「それで、今日はどうしてフルヴィア先生も?」

「あなたの男体拒否症について、少し検証をしたいと思いまして」

 イメルダが言った。

「根本的に治すためというより、判別のために催眠暗示を行います。あなたが男性からの影響を受ける時、あなたの意識か、それとも別の何か――成人男性の体に特有の成分とかね? それに反応しているのか。そのあたりを調べようということです」

「あくまで短時間です。長期にわたる暗示は頭痛などを引き起こしますから」

 フルヴィアも付け加えた。強力すぎる暗示は呪いの一種だ。それはアーシェも知っている。

「今からあなたに、男性を男性に見えなくする術をかけます。それで、実際に接触してみて、どうなるかをテストするんですって。面白そうでしょう」

 フルヴィアはくすくすと笑った。

「なるほど……」

 カトリンがテーブルに水晶玉を用意した。フルヴィアは椅子に腰かけ、アーシェにもその向かいに座るよう指示した。


「本人の意思に反する暗示は精神を蝕みます。ちゃんと心の底から同意していますか?」

「はい、先生方を信頼しています」

「よろしい。さ、お二方は出てくださいね」

 イメルダとカトリンがカーテンを閉め、あかりを消して部屋を出た。水晶だけがゆらめく光を宿している。


「フルヴィア先生はおひとりで魔術を使われるのですか?」

 アーシェが訊ねると、フルヴィアはああ、と小さく言って、微笑んだ。

「この水晶玉が補助してくれるので、暗示にはそれほど魔力を消費しないんですよ。それに元々、精神魔術は単独ソロで使うことが多いんです」

 そういうものなのか。

「あなたも、よいペアが見つからなかったら、こちらのコースも検討してみて。……では始めましょう。これをのぞきこんで」

 言われたとおりに水晶をのぞきこむと、まるで吸い込まれていくような心地がした。

 耳に届く呪文が、まるで昔から知っている歌のように感じられる。

 自分自身が、どんどん小さくなっていく。かと思うと広がっていく。音が遠ざかり、近づいていく。さざなみのような、ざわめきのような。


「はい、戻って」

 ぱん、と手を叩く音がして、アーシェははっと顔をあげた。いつの間にかフルヴィアは椅子を立ち、カーテンを開けていた。

 酔ったような、午睡から醒めたような、ぼやけた感覚がある。

「どうぞ、先生」

 フルヴィアがドアを開けてイメルダたちを呼んだ。振り返ると、イメルダとカトリンと、もう一人、小さな男の子が部屋に入ってきた。

 五歳くらいの、メガネをかけた賢そうな子だ。赤いローブを着ている。

「まあ、どなた?」

 学院ではこのくらいの子どもはほとんど見かけない。研究生や先生方の子がたまに付いてきていることがあるが、この子はローブ姿だ。しかしさすがにこの年で卒業というのはありえないのでは?

「握手を」

 男の子が言うので、アーシェは手を差し出した。が、握ろうとした手が空をつかんだ。

「あら?」


「……位置がズレてます」

「しっかり効いているようね。アーシェさん、手をそのまま」

 言われたとおりにすると、手になにか触った感じがした。男の子の手はそこにないのに。男の子の――

 その顔をまじまじと見つめて、アーシェはようやく理解した。


「あ! もしかして、ヴィエーロ先生ですか?!」

「はい。倒れませんねぇ、アーシェさん」

「えっ。ヴィエーロ先生、かわいい、とてもかわいいですよ!」

 褒められても特に感銘を受けた様子はなく、男の子は淡々と言った。

「どうも。ぼくが手を握ってるのわかります?」

「たぶん……? なにか、触れているのはわかります」


 イメルダとフルヴィアが顔を見合わせている。

「サイズが実物とかけ離れるのは少しよくなかったですね」

「女性に見えるようにしたほうがよかったかしら?」

「空気と握手するよりはよい実験結果を得られたかと……」


「アーシェさん、気分はいかが?」

 カトリンが聞いてくる。

「なんだかくらくらします……」

 男の子が、宙を掴む形にしていた手をひらいて腕をおろす。

「離してみて、どうです?」

 同時にアーシェの手にあった感覚も離れていった。

「あ、はい。すっきりしました」

「うーん。ま、微妙なところかな」

 メガネのつるに手を当てて考えているようなそぶりは、確かにヴィエーロに似ていた。というか、本人だが。

「イメルダ先生。こんなところで、もういいですか?」

「はい。お忙しいところをどうも」

「ヴィエーロ先生は、アーシェさんの事情を知っている男性教諭ということで、今日はわざわざ来ていただきましたの」

「そうなのですね! ありがとうございます。いつもお世話になっているというのに……」

 カトリンの説明に、アーシェは頭を下げた。

「いえ、このくらいは構いませんよ。次のレポートもよろしく」

 ヴィエーロ少年は手をあげてさっと出て行った。





 イメルダとフルヴィアの検討の結果、詳しい検証は次回に持ち越しということになった。

「今日はここまで。暗示の効果は自然に切れますよ。個人差はありますが、あと一時間といったところね」

「醒めるまでここで休んでいってもいいですよ。どうしますか?」

 イメルダにはそう言われたが、アーシェは首を振った。

「いいえ、大丈夫です。私、帰ります!」

 こんな面白そうなことはなかなかない。



 アーシェはさっそく中庭へと繰り出した。もちろん、探しているのはキースだ。

 今日は待ち合わせの日ではないが、放課後にキースを見かけたことのある場所というと他にはないのだった。

(私が記憶しているよりも幼い頃の兄さま……! 是非見てみたい!)

 しかし、探せど探せど若草色の髪の少年は見当たらない。


 アーシェは疲れて、中庭の真ん中にある大賢者の像の前で立ち止まった。

 光魔杖と呼ばれる特殊なステッキを持ったうるわしい女性の姿だ。空いてる方の手は天に向けてのばされ、太陽を支えていたかつての偉業を彷彿とさせる。

 この像のモデルはアスティマリンだろうか。それともルピアン。

 有名なエピソードを持つ大賢者の名前を思い浮かべていると、背後から声がかかった。


「……オマエなにをボケっと突っ立ってるんだ?」

 聞き覚えのない声に振り返ると、やはり五歳くらいの男の子がいた。

「ええと……」

 栗色の巻き毛に緑の瞳。誰だろうか? なかなかの美少年だ。

「なんだよ、落とし物でも?」

 おそらくアーシェが下を見ていると思ったのだろう。顔を見ていただけなのだが。たぶん知り合いで、栗色の髪の――


「あ! もしかしてブレーズさんですか!」

「まさか、オレの顔も覚えてないのか……」

「いえ、いつもはちゃんとわかりますよ! 実は今、暗示にかかっているのです」

「は?」

「深いわけがありまして……先生に実験していただいているのです。今の私には、ブレーズさんもとてもかわいらしい男の子に見えています」

「は???」

「その証拠に、このように近づいて喋っても平気なのですよ」

 ブレーズのいつもの嫌味な雰囲気は消え去り、お目目がぱっちりで実によい。

 アーシェはブレーズ少年の顔をのぞいていたつもりだが、たぶんブレーズから見れば腹のあたりに近づいていたかもしれない。

「いや、ワケわかんねーよ!」

 ブレーズはのけぞって、怒って去って行ってしまった。


「せっかくお話できる機会だったのに……」

 いや、それどころではないのだった。あまりゆっくりしていては時間切れになってしまう。

 もう一度中庭をくまなく見てみたが、やはりキースらしき男の子はいない。

 放課後、キースは熱心に先生に質問しにいったりしているらしい。これは情報通のマリーベルが教えてくれたことだ。

 そういえば魔力波の計算が分かりづらいとか、言っていたっけ。そのくらいならこちらに聞いてくれてもいいのに。

(兄さま、昔から数学が苦手なのよね……)

 さすがに、先生方の部屋をひとつひとつ訪問するわけにもいくまい。


 念のため演習場にも足を延ばした。たくさんの少年たちが稽古をしていたが、キースは見つからなかった。

 こんな時こそルシアのちょこっと魔術信が必要なのだが――まだないものを嘆いても仕方ない。

 アーシェは目的を変更することにした。


(場所がわかっている人のところに行けばいいのよ、うん)

 研究棟の五階。走ると息が切れるのは学習済みだったので、アーシェは速足で向かった。



「ご機嫌麗しいな? なにかあったか」

 扉を開けてくれたクラウディオが、ローブのフードを脱ぎながら言った。

「普通とはこういうことなのかと噛みしめておりまして」

「すまない。意味がよく……」

「今、私の世界には成人男性がひとりもいないのです! すれ違う時に距離に気を使う必要も、角を曲がった出会い頭に警戒する必要も、ないのです! そしてクラウディオ様は予想通りにキュートです! 最高です!」

 小さなクラウディオは眉根を寄せて言った。

「……もう少し整理して話してくれないか?」



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