禁呪について
毎週木曜は、イメルダの問診の日と決まっている。
それを聞いて、クラウディオは「ではこちらは火曜にしようか」と言った。
約束の火曜にアーシェが研究室を訪問すると、急ぐ書類があるとのことで、クラウディオは部屋の真ん中の机でペンを握ったまま紙とにらみ合っていた。
「今日はお忙しいのですか? 帰りましょうか」
アーシェはお茶を用意しながら訊ねた。
「いや。もう少しなんだが……」
クラウディオは煩わしげに前髪をかきあげた。ずいぶん難しい顔だ。金時計を急いで仕上げようとしていた時の彼に戻ってしまったかのようだった。
「……君は、どういう時に制限装置が必要だと思う? その意義をどう考える?」
「あの金時計ですか? そうですね……」
温めたポットの中に、イメルダからもらったお茶の葉をいれた。少しでもリラックスできるように。
「私の同室の先輩が、魔力容量があまり高くないので、いつも嘆いています。共同魔術の同調が難しいと……。それを失敗すると、魔力がぐっと減ってしまうそうです」
「同調か……。魔力波をいじることができれば一番いいが、それを動かす方法が今のところないんだ……しっかり魔力波計の推移を見て計算するしかないな」
クラウディオは頭をかかえた。
「そうですよね。今習っているところですが、難しいです。たぶん、私も共同魔術をメインにやることになるのでしっかり勉強しないと」
アーシェはティーポットにお湯を注いで、砂時計をひっくり返した。三分待てば、仕上がりだ。
「授業といえば……、私、禁呪のことを習ったんですけど、クラウディオ様は禁呪ってどう思います?」
少し唐突だったかな? とアーシェは心配したが、クラウディオは書類のことで頭を回転させているせいか、不審には思わなかったようだ。
「禁呪は禁呪だ。どうということもない」
「というと……」
「それが禁呪に指定された理由による。危険だから、権力者に都合が悪いから、大がかりすぎるから、やり方が古いから。単に廃れただけのものもある。個別に意味があるのであって、禁呪全体がどうということはない」
クラウディオは額を撫で、頭を上げた。
「……なんの話だった? 今のは」
「あ、いえ、すみません。考え事を遮ってしまいましたね」
「いや……、禁呪、禁呪か。魔力を制限することで禁呪のような危険な大魔術を発動させることを抑止する。これも入れておこう」
クラウディオはペンを走らせた。
アーシェはクラウディオのいる机のそばに寄って、彼の前髪をすくいあげた。
「なんだ?」
アーシェの使っているヘアピンで、その長い前髪を留める。
「邪魔のようだったので」
「ああ……、どうも」
クラウディオは耳の上につけられたそれを少し触って、それからまた紙の上に視線を戻した。
いつもは隠されている金の瞳が、忙しく文字を追って動いている。
砂時計の砂が落ちきった。アーシェはローテーブルのそばに戻って、お茶をカップに注いだ。
クローバー柄のティーセットは、クラウディオの趣味なのだろうか。
「あと少し待ってくれ」
「大丈夫です。まだ熱いですから」
前回、クラウディオがいれてくれたお茶はとても美味しかった。
これもうまくできているといいけれど、とアーシェは思った。
待ちながら、手持ち無沙汰だったので、アーシェは指を鳴らす練習をした。
例の、魔力を放つきっかけを決めておく、あれだ。指を鳴らすのが一番よいと思ったのだが、やってみるとまったく音が鳴らないのだ。なかなか難しい。繰り返していると指が痛くなってきた。諦めて別のにした方がいいだろうか。
クラウディオが伸びをして、息を吐く。
「君のおかげで仕上がった。また助けられたな」
「いえ。私はなにも……」
なんとか書類が仕上がったようだ。クラウディオは杖をつきながらローテーブルの前に移動してきた。
「変わった香りだな」
お茶もなんとか冷める前で、むしろ飲みごろだろう。
「イメルダ先生にいただいたんです」
「ふぅん」
クラウディオはカップを傾けて一口飲んだ。
「確かに、なにか懐かしい味だな」
「心を落ち着けるらしいですよ。クラウディオ様もいただいたことが?」
「まあ……あるかもしれない」
そのお茶はアーシェには少し苦かった。そう思っているのを見抜かれたのか、クラウディオはテーブルの下の棚から缶を取りだして、アーシェに渡した。
「チョコレートだ」
「まあ。ありがとうございます」
なぜチョコレートが一番好きとわかったのだろうか? 言っていないけれど。たまたまだろうか。
「指に何かあるのか?」
「ああ、さっきの……。クラスメイトに教わったんです、魔力を発動するサインを自分の中に作っておくって。それで、指を鳴らすことにしようかと思ったんですけど、鳴らなくて」
アーシェが親指と中指をこすり合わせると、隣でクラウディオが真似た。良い音が鳴った。
「あ、鳴りますね! なぜでしょう」
「なぜ鳴らないんだ? 君の手が小さいからか?」
「う……そうなのでしょうか……」
アーシェはチョコレートをひとついただいて、口に運んだ。
「派手な動きは、これから魔術を放つぞと相手に教えるようなものだ。もっと目立たない動作にすることを勧めるが」
そんな考え方があったとは。見目の良さで選ぼうとしていた自分とは大違いである。
「クラウディオ様はどうやっているのです?」
「僕か? ……左の奥歯を噛んでた」
何故に過去形。いや、今の方法は教えられないということかもしれない。
クラウディオはふと髪をいじって、そこにあったことを思い出したようにピンを外した。
はらりと黒髪が落ちて、せっかくの金の瞳が覆い隠される。
「……花柄じゃないか」
黒いシンプルなピンの先に、白い小花の飾りがついている、アーシェのお気に入りのヘアアクセサリー。
「私のものなので。でも役に立ったでしょう?」
クラウディオは無言でアーシェの手にピンを返してきた。どうも気に入らなかったようだ。
「前髪、切らないのですか?」
「ああ……まあ、少し伸びすぎたかな……」
「そうですよ。前が見にくいでしょう?」
言いながら、アーシェは自分の髪にピンをさした。
しばらく、沈黙が落ちた。
「金時計だが。確実に、来年には間に合わなくなった」
小さなため息とともに、クラウディオが切り出した。
「えっ。そうなのですか。部品の材料が足りないとか?」
「いや。どうにも……議会に差し止められてな」
それで、制限装置の必要性とかそういうことを言っていたのか。
「予算の問題でしょうか? 部品を新しくしたなら発注のし直しですよね」
「いや、そういうことでもなさそうだが……そうだな、なにか別のあたらしいメリットを足すか……誰にでもわかりやすいもので……」
クラウディオはまた考え込んでしまった。アーシェはふたつめのチョコレートを口に入れた。
どうにも、父親の話とか、そういう雰囲気ではない。
それでアーシェはクラウディオの横顔をながめていた。難しそうに少しとがった唇とか、そえられた指の爪が中途半端に伸びているのを、彼の思索を邪魔しないように、そっと。
もし、生まれる前の自分の魂にクラウディオが関わっているとしたら。
それはどんな形でだろうか?
彼ほどの魔術師なら、禁呪を扱えるのかもしれない。彼が以前に禁呪にかかわったとかいう話を、キースは聞いたのだろうか?
まだ話せないとか言って、なにも教えてはくれないけれど。
しかし逆算してみれば、クラウディオは当時八歳ということになる。コリンよりも年下だ。
(八歳……それはさすがに……でも天才ならありえるの?)
考えてみたが、よくわからなかった。たぶん幼いクラウディオは可愛かっただろうな、とアーシェは余計なことを思った。




