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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
断章
23/140

或る少年の記憶 2


 次はもう会えないんじゃないかと思っていた。夢だったのかもしれないと感じていた。

 だって彼女はあまりにもきれいで、儚くて、消え入りそうだったから。話していてもまるで現実感がなかったから。

 けれどエルネスティーネは変わらずそこにいた。

 少年が閉鎖書庫に行くたびに、笑顔で迎えてくれた。


「私に会ったことは、誰にも言わない方がいいと思うわ」

 少年はひみつを守った。図書館に司書以外誰もいない時にだけ鍵を使ったし、彼女のことは司書にも話さなかった。

 少年の毎日はとても楽しくなった。勉強が楽しい。食事が楽しい。眠るのが楽しい。明日が来るのが待ちきれない。

 父がいらいらしていても、もう気にならなかった。どうでもよかった。

 母がもっと愛おしくなった。かわいそうなははうえ、ぼくがちちうえから守ってあげる。

 そして、エルネスティーネが好きだった。ぼくだけのひみつのエルネスティーネ。

 名前しか知らない、ふしぎな人。


 エルネスティーネは、本の探し方を教えてくれた。

 ごちゃごちゃの閉鎖書庫で、少年が読みたい本の場所を、魔法のようにすっと指し示してくれるのだ。

 エルネスティーネの膝の上にのせられて、本を読んでいる時間が、なによりも好きだった。


 遠い遠い異国の、はるかな昔の伝説。昼と夜がばらばらだった頃の、冒険の物語。

 もっとずっと古代の、光の子が黄昏をこえていくおはなし。

 魔族たちの戦争の記録。混沌を生き延びた大賢者の、悲しい恋のおわり。

 太陽のつくりかた。

 魔王の妃の好きだったもの。

 はざまに生まれた奇跡の子(アルハリカ)の運命。

 夜の生き物たちの序列。

 竜を封じた勇者と巫女の戦い。

 生まれ変わった魔公がその花嫁と永遠の氷の中に封じられるまで。

 ほろびた獣人の、その最後の一人について。


 どれもこれも、面白かった。その内容について、エルネスティーネといつまでもいつまでも語らっていたかった。

 悲恋のお話でおこっていたエルネスティーネ。

 魔族のお話をこわがったエルネスティーネ。

 私は竜に乗ったことがあるのよと得意げに言ったエルネスティーネ。

 次はどんなお話で、どんな顔をみせてくれるだろう。できれば笑ってほしいのだけど。

 少年はいつもそんな気持ちで本を選んだ。


 エルネスティーネは歌もじょうずだった。少年が知らない歌を、いくつもいくつも知っていて、とびきりの声で歌ってくれた。

 世界でいちばんきれいな声で鳴く鳥よりも、どんな楽器よりも、きっと美しいその歌声を、目を閉じてきくのが好きだった。

 ある時は踊ってくれた。ゆったりした踊りも、激しい踊りも、ぜんぶが息を忘れるくらいにすてきだった。

 でも、その激しい踊りはエルネスティーネをつかれさせた。

「ちょっと調子に乗っちゃった。ジーノが見ていてくれるのがうれしくて」

 彼女はそう言いながら肩で息をしていた。抱きしめた彼女はほっそりしていて、母を思わせた。

「ごめんなさい。少し休んだら、だいじょうぶ」

 上気した頬に見惚れた。

 金の髪をなでると、彼女は心地よさそうにまぶたをおろした。そのまつげが長くて、金の髪の手触りはさらさらしていて、少年はむずむずとくすぐったい気持ちになったのだった。


 いつか。

 いつか大人になったら、ぼくがここからきみを出してあげる。

 ははうえをしあわせにする。そしてエルネスティーネと、ずっと一緒にいたい。

 ぼくが大人になるまで待っていてくれるかな?

 せめて、もう少し背が伸びて、エルネスティーネと肩を並べられるようになったら。

 そうしたら言うんだ。ぼくのおよめさんになってくださいって。





 ある時ふと、少年は思い出した。エルネスティーネが最初に言っていたことを。


 ――私はね、あなたのおばあさま。


 そんなはずはないので、冗談だと思って忘れていたけれど。

 どうしてエルネスティーネはあんなことを言ったんだろう?


 あの閉鎖書庫はとても不思議な場所だから、もしかして、死んだ人に会えたりするのだろうか。

 でもエルネスティーネがほんとうにぼくのおばあさまだったら困る。だって、それじゃぼくとけっこんできないもの。


 その時、少年は母の部屋にいたので。

 その時たまたま、ごきげんのよかった母の部屋にいたので。

「ねえ、ははうえ。ぼくのおばあさまの名前、エルネスティーネではなかったよね……?」

 なんとなく、聞いてみた。ほとんどひとりごとのつもりだった。

 母は返事をしないことも多いので。

 自分だけの世界にいることが多いので。

 それなのに、母は、ゆらりとたちあがった。


「エルネスティーネ! エルネスティーネ、おまえ、その名をどこで聞いたの!」

 突然怒り出して、火がついたようにふるえていた。

「あの女、許せない、私のジーノにまで! ああ、おまえ、あいつに会っていないだろうね? まだ生きている? 今すぐ殺して! あなた!」

 叩きつけるような声だった。今までに見たことのない激昂だった。

「は、ははうえ」

 なんとか落ち着かせようと取りすがると、突然、母の両手が首元にのびてきた。

「よくも、よくも!」

 苦しい、ははうえ。どうして。言葉が握りつぶされていく。視界が赤くぼやけていく。



 ジーノの意識は、それきり途切れた。



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