予想外のお客様と予想外のお話
母子三人揃っての朝食の終わる頃、執事長が魔術信を持ってきた。四角いトレイに載せられた魔術信は、届きたてなのだろう、紙がくるりと丸まっている。
「旦那様からでございます」
アーシェの母、チェルシー・ライトノアは、トレイに添えられた厚めの手袋をいそいそとはめて――届きたての魔術信は熱をもっている――紙を広げた。
「どうですか? 父さまは帰ってらっしゃる?」
待ちきれずにコリンが催促する。アーシェは黙ってデザートのゼリーを口に運んでいたが、内容が気になるのは同じであった。
最後まで読み終えたチェルシーは二人の子を見てにっこりとうなずいた。
「予定通り、今日の午後には到着されます」
「やった!」
「それと、お客様を連れてみえるそうよ。歓迎の準備をしなくては」
「それ、男の人? 何人?」
すかさずコリンが訊ねてくれる。
「おひとり。お父様の部下だそうですから、おそらく男性ね」
「軍人なんですね。わかりました」
ライトノアの家長、スティーブンは、現在アリンガム国の東方守備隊をあずかる将軍である。ここ数年は多忙でめったに領地へは戻らないため、家族はその帰りを心待ちにしていた。
今日、半年ぶりに戻ることは以前から予定されていたのだが、昨日雪が降ったので、予定が変わるのではないかと三人で心配していたのだ。
「珍しいわね。父さまが部隊の方を家にお招きするなんて」
アーシェの疑問に、チェルシーもそうねぇ、と首をかしげた。
「お話がある、と書いてあるけれど。わざわざうちで話さなければならないことというのは、なにかしら」
それがアーシェに関することだとは、この時誰も思っていなかった。
連絡どおり、昼食が終わってしばらくした頃に父と客人はやってきた。
半年ぶりの主の帰還に、使用人たちもそろって館の前に列を作った。地面にはうっすらと雪が残り、吐く息が白い。
「おかえりなさいませ、旦那様」
立派なたてがみの愛馬にまたがったスティーブンは、アリンガム国軍の蒼色のマントをひるがえし、以前と変わらぬずっしりとした威厳ある姿だった。
執事長が馬を預かり、父はまず母を抱きしめ、キスを交わして、それからコリンを軽々と抱き上げた。
「また大きくなったな、コリン!」
「はい! 父さまもお元気そうでなによりです!」
アーシェはその様子をまぶしく眺めながら、一歩下がったところにいる。
「アーシェ。変わりないか?」
「ええ。つつがなく過ごしておりますわ」
うむ、とうなずいた父がコリンを地におろす。
「紹介しよう。アントニー・ベイン。わが部隊の首席魔術師だ」
白馬を降りたローブ姿の男性が、フードをまくって礼をした。左腕に魔術師の証である金時計が光っている。
「お初にお目にかかります。若輩者ですが、お役に立てればと存じます」
なんだか思っていたのとは少し違うお客様だ。挨拶をしつつも、アーシェはコリンと顔を見合わせる。
「あなた……?」
チェルシーにそっと袖を引かれ、スティーブンは心配いらないとその手を軽く二度叩いた。
「話は応接室でゆっくりと。まずは旅の疲れを癒してからな」
ぐるりと一同を見まわして、スティーブンはそのよく通る声を張り上げた。
「皆も寒い中、出迎えご苦労! さあ、あたたかい我が家へ入るとしようじゃないか!」
なにやら秘密の会談が。これはお邪魔しないようにしなければ――と思っていたのに、自室で一息ついていたアーシェは応接室へ呼び出された。
ノックをして、声を待ってからそっとドアを開ける。
「お呼びとうかがいましたけれど。父さま?」
「うむ。そこへ座りなさい」
アーシェのすすめられた席は、客人から一番離れた、一人がけのソファだった。知らぬ男性ということで配慮してくれたのだろう。父や従兄のように気心知れた男性ならそばに立つくらいは平気なのだが、それ以外にはせめて三歩分はほしい、というのがわがままなアーシェの体の言い分である。
アントニー・ベインは赤いローブの胸にアリンガム国軍の徴、鷹の紋章をつけている。肉体派の父と違って体つきもほっそりしており、いかにも魔術師という風情だった。
父の隣には母もいて、なにやら深刻そうな表情だ。
アーシェの予想では、国境付近でなにか悪い兆候があり、東方守備隊が大きく動くとか、そういうお話があるのかと思っていたが、自分が呼ばれるのならそれほど重大な話ではなかったのかも――と安心していたところだったのだが。
「アントニー・ベイン様。改めましてごあいさつを差し上げます。このたびは遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。スティーブンの長女、アーシェと申します。どうぞよしなに」
「これはご丁寧に。閣下のお嬢様に歓迎していただき私も嬉しいですよ。ですが今日はそれほどかしこまらずに、くだけてお話をいたしましょう」
「はあ……」
下げていた頭をあげて、アーシェはソファに腰掛けた。大人用のものなので、アーシェが座るとだいぶスペースが余ってしまい、しずしずとやったつもりでも形容は「ちょこん」とならざるをえなかった。
「アーシェ。アントニーはな、おまえのことで来てくれたのだ」
「私の?」
一体なんだろうか。縁談? まさか。自分がそういうことに一生縁がないであろうことは父もとうに承知のはずだ。成人したら家を出て商売でもやろうかと考えている。さすがに、独身の義姉がずっと家にいたのではコリンのお嫁さんになる女性もやりにくいだろうから。
十四歳ともなれば、本来はそろそろ社交界の門をくぐらなければならない。十六の成人の儀で王城にあがるまでに、身分と年の近い者を招いて小さな茶会を主催する練習をしたり、ささやかなガーデンパーティで派閥の中のお披露目をしたりといった、準備をはじめてしかるべき時期なのだ。
アーシェはそれらの誘いを「病弱で」という名目ですべて断って家にいる。男性にエスコートしてもらうことさえできないのだから入り口からアウトなのだ。
国家の英雄たるライトノア将軍の娘が、病弱で人前に出ることができないとは! どんな風に噂されているやら、わかったものではないが――どうせ生涯かかわらない世界なのだから、興味もない。
「はい。単刀直入に申しますが、お嬢様、ファルネーゼに入られませんか?」
完全に予想外の単語だったので、アーシェはしばし黙ってしまった。暖炉の薪がパチリと鳴る音が聞こえる。皆がアーシェの反応を待っていた。
「ファルネーゼとは、あの?」
「はい。魔法国のファルネーゼです」
ファルネーゼといえばそれ以外にない。ファルネーゼに入るということは、つまり、ファルネーゼにある魔術学院で学ぶということだ。
「でも、うちは魔術師の家系ではないですし……」
アーシェが困惑しながら言ったことに、チェルシーも付け加えた。
「バルフォアでも魔術師になった者はいませんわよ」
バルフォアは母の血筋だ。ライトノア家よりずっと古く、家格も高い。領地の広さも段違い。生まれついての身分でいえばチェルシーとスフィーブンは釣り合いのとれない二人であった。
しかし若い頃に王国騎士として頭角を現したスティーブンは精悍な容貌と派手な武勲でたいそうモテたらしく、チェルシーも彼に夢中になった一人で、なみいる令嬢と競って父の心を射止めたというのである。
バルフォア家は二人の婚約に難色を示したが、御前試合での優勝に加え、隣国ユルヴィルの侵入による攻防戦で敵将の首級をあげた活躍から一等勲章を授与されたことが決め手となって、娘を嫁に出すことを承諾したそうだ。
アーシェも母の宝物である若かりし父の肖像画コレクションを見せてもらったことがあるが、確かにステキであった。今では髭のおじさまだが、母は変わらず父一筋である。
それはさておき――アーシェは父を見る。アントニーを連れてきたということは、父はあらかじめこの提案を聞いているということだし、アーシェの抱えている問題もある程度彼に話してしまっているということになる。身内にしか秘密のことなのに。
「父さま。この方に何をどこまで話したのか、まずは聞かせてもらっても?」
「そんな顔をするな、アーシェ。アントニーは信頼できる男だ」
「この話は決して外に漏らさないようにしようとお決めになったのは父さまですのに」
「しかしだな。一向に糸口が見つからない、改善する気配もない、では」
要するに、父はまだ諦めていなかったのだ。アーシェがまっとうになることを。
アーシェ自身はもうこのままの自分の未来しか考えていなかったというのに。
「いや、聞きしに勝るとはこのこと。じつに聡明でいらっしゃる。もう私が来た理由をおわかりのようで」
アントニーは短く拍手をして言った。
「そうです。私が聞いたのは、あなたが魂を固着されている可能性が高い、ということです」