演習場の見学
教室に戻ると、ティアナが駆け寄ってきた。
「よかった! もう大丈夫なの?」
「ええ。心配かけてごめんなさい」
そこへ、ブレーズがやってくる。アーシェはティアナと一緒に身構えた。
ブレーズはアーシェの三歩先で止まった。
「その、悪かった。オマエの体質のこと、軽く見てたっていうか……」
謝罪されるとは思っていなかったので、アーシェは面食らった。
「あ、いえ。こちらこそ、驚かせてしまいました」
「それで、なんだよ?」
ブレーズが頭をかきながら言った。
「はい」
「オレに用があったんじゃないのか。聞いてやるから言えよ」
「! ああ」
その用はもう済んでしまったのだが、あなたで実験していましたとも言いにくい。
「ええと……倒れたショックで忘れてしまったようです」
「はァ? …………はぁ。そうかよ。じゃあな」
ブレーズは自席に戻っていった。なんだか悪いことをしてしまった。思っていたほど嫌な人でもないようだ、とアーシェは心の中のブレーズの評価をわずかに上方修正した。
それからもアーシェは、すれ違う男性との距離をいつもより近くしてみたり、男の先生に片っ端から質問に行ったり――魔力が高いことが条件かもしれないと思ったからだ――色々試してみたのだが、アーシェの体が「いいよ」と言ってくれる男性はひとりも見つからなかった。
先生への質問にはマリーベルがたくさん付き合ってくれた。正確には、マリーベルの質問にアーシェが付き添う形だ。マリーベルは先生方に顔を知られていて、たいてい「ああ、またあなたですか」という対応をされる。
「わたしは、魔術に明るくないから。わからないことだらけだから、全部はっきりするまで聞くことにしてるの。そうしないと追いつけないでしょ」
マリーベル先輩は努力家だ。アーシェはますます彼女を尊敬した。
行けそうな先生に手当たり次第に近づき終わると――その中には三人の青ローブもいた――次の打つ手が見えなくなってしまった。
「演習場なんてどう? 属性付与系のおじさんがいっぱいいるわよ」
魔術師を目指す若者が集まる実践科と違って、属性付与の新入生はほとんどがそこそこ年季の入った戦士だ。若者もいるにはいるが、更なる強さを求めて、とか今の力に限界を感じて、というような志望動機の壮年男性が多いらしい。
「なんて。本当は――最近人気があるらしいからのぞいてみたいの! 一緒に行きましょ。ね」
マリーベルに誘われて、アーシェは早朝の演習場へとやってきた。アーシェ自身も興味がないわけではなかった。なんといってもキースがいるのだから。
ちなみに、ルシアとティアナも誘ったのだが断られてしまった。朝は眠いからというのがルシアの理由で、ティアナは殿方の集まるところはちょっと、と言っていた。
演習場に近づいただけで、これまでとは明らかに様子が違うことがわかった。勇ましい掛け声に、以前は聞こえてこなかった高い悲鳴のようなものが混ざっているのだ。
「きゃー! キース様! 素敵!」
「ヘルムート様! こちらも向いてくださいませ!」
女性がたくさん集まって、演習用の槍で打ち合う二人に黄色い声援を送っている。
これは一体。
「ほら、あなたの出番よ。にいさまー! って呼んでごらんなさい。ファンサービスしないって噂のキースさんのレア反応にみんな沸くから」
「えっ。それは悪目立ちするのでは?」
「きっと囲まれちゃうわねー。あなた、キース様の妹なの? お友達になって! お手紙を渡してください! とか」
「えええ……私、キース兄さまに見つからないように気をつけます……」
いつの間にかキースは人気者になっていたようだ。なんということだろうか。彼はモテると言っていた母の言葉は正しかったのだ。
演習場の端にそってずらりと並ぶ見学者たちは全員女性だった。なんだか見覚えのある顔も混ざっている。クラスメイトだ。
「キース様ー! 頑張ってぇ!」
かわいらしい高い声を張り上げている彼女は確か、エルミニア。キースのファンだったとは。隣の子も、エルミニアとよく一緒にいる――名前は何だったか、思い出せない。
とにかく、気づかれないようにしようと後ろをそっと通り過ぎる。
一番見やすそうなあたりはすでに満員で、アーシェとマリーベルは隅の方に加わった。
屋外演習場は広く、あちこちで大勢の属性付与コース生が体を動かしていた。奥の方には厩舎があり、馬を歩かせている者もいる。
ヘルムートとキースが使っている一角に近づく者はない。ヘルムートが教官だからというよりは、見世物のようになっている空間に近づきたくないという感じだろうか。気持ちはわかる。
さすがにヘルムートは教官というだけあって強い。キースは終始劣勢で、受けに回っている。ヘルムートの一撃にはパワーがあり、キースはそれをなんとかいなし、打ち払うのに精いっぱいという風に見えた。
「スピードではキースさんも負けてないって感じね。迫力あるぅ。あ、あーっ!」
マリーベルがこぶしを握る。
きゃー! と歓声があがった。ヘルムートが一本取ったのだ。
「ようし、終わり!」
「もう一度だ」
「そろそろいいだろ? 休憩――おっ。ほら、見てみろ」
ヘルムートが首をめぐらせて、キースにアーシェの方を示した。
マリーベルの陰にこっそり立っていたつもりだったが、ヘルムートの目はごまかせなかったようだ――後で聞いてみたが「だってちっこいじゃん……一目でわかる」と言われてしまった。
アーシェに気づいたキースはまっすぐ歩いてきた。
「おはよう。来ていたのか」
周囲がざわついたが、キースは意に介する様子もない。
「おはよう、兄さま。大人気ね?」
「ヘルムート殿にはかなわん。おまえが来てくれたのだから、一本くらいは取りたいが」
キースは額に流れる汗を手のひらでぬぐいながら言った。早朝とはいえ、夏の空気に加えてこの運動量だ。見ている方のアーシェでさえ、帽子をかぶってくるべきだったと思うほどの。
「キースさん、どうぞ使ってくださいな」
マリーベルがすかさず差し出したハンカチを、キースは受け取った。
「ありがとう、マリーベル」
「どういたしまして!」
女性たちがどよめき、冷たい視線がチクチクと背中にささるようだったが、マリーベルは平然としていた。
キースはすぐに戻って稽古を再開したが、アーシェたちはやはり囲まれて質問攻めにあい、そしてキースは最後に一本取った。アーシェが拍手すると、キースは軽く手を振ってみせた。
「キースさん、カッコよかったわね! あー来てよかった」
「私はしばらくいいです……見ごたえはありましたが、疲れました……」
朝食のために演習場をあとにした二人は、第二講堂のわきを抜けて並木道を歩いていた。
「ぜいたくぅー」
マリーベルはごきげんに笑っている。
とにかく女性たちの押しが凄かった。若いころの父はああいう感じで騒がれていたのだろうか、母もああやって応援していたのだろうか。パワフルだ……。
そんなことを考えていたので、次のマリーベルの言葉には意表を突かれてしまった。
「キースさん、ヘルムート様から一本取るなんてほんとにすごいわね。ライトノア将軍の直弟子なんて噂されるだけのことはあるわ」
「え、父さまの?」
「え」
アーシェは口を滑らせたことに気づいた。マリーベルは目を真ん丸にして驚いていた。
「父さまって……あなたライトノア将軍の娘なの?!」
「え、ええ。父さまが国内で名が通っているのは知っていましたが、諸外国の方にまで知られているとは……」
「そりゃあ有名でしょ! うわ、尾ひれのついたデマだと思ってたけど、じゃあキースさんはあのライトノア将軍と血がつながって」
「いませんよ。キース兄さまは母の兄の子なので」
「あ、そうなんだ……」
「でも、小さいころからよく父さまに稽古をつけてもらっていたので、弟子とはいえるかもしれませんね」
「へー!」
一応このお話は内密に、とアーシェはマリーベルに念を押した。別に恥ずかしいことではないが、将軍の娘といっても別にアーシェ自身に秀でたところがあるわけでもない。それに――
父が戦功をあげているということは、それでやられた国があるということなので。特にお隣のユルヴィル国民とか、いい気はしないはずだ。
ティアナの気苦労も、他人事ではない。注意しなければ、とアーシェは気持ちをひきしめた。




