ときめきの夢と現実の再会
「この場に我が家が招かれるよう、儂がどれだけ手をつくしたか。ようやく報われるわ。よくやったぞ、娘よ」
王子の求婚に、父は大変喜んでいた。
辺境の娘が王子の心を射止めたと、皆が騒いでいる。おめでとう、おめでとう、と次々に人がやってきて、未来の妃となる少女に挨拶することを求めた。
「ええい、気の利かぬ者ども。余はその娘と二人で話をする。さがれ」
「いいこと? 決してご不興をかわぬように。ただ笑顔でいればよいのですよ! 求められることにはすべて応じなさい。できるわね?」
母の耳打ちに、少女は頷きを返した。
少女は輪から離れ、王子とふたりきり、向き合うことになった。
王子の銀の髪は冷たい印象を与え、紅い瞳は激しさを秘めていた。
彼は尊大で気に喰わぬ者には容赦のない、横暴気随の子であると噂されていた。
「いいか。余はな、見た目の麗しさなどに興味はない」
まず言われたのがそれだった。
おまえは美しい。
その造作は天からの贈りもの。決して損なってはいけない。肌に瑕一つつけてはならない。太ってはいけない。細すぎてもいけない。病を得てはならない。
かならず値打ちの出る娘だ。もっと美しく。背筋を伸ばし、目線に気を付け、顎をあげて。
そうやって、念を入れて磨かれ、育てられてきた。
「どいつもこいつも、小娘に見惚れおって。余の祝いであるにもかかわらず!」
それなのに価値がないと王子は言う。
「あの、ではどうして、私を」
「ああ言えば皆が余を見るであろう。それに、そなたを余のものとすれば、そなたへの注目は余へのものと同じだ」
「はあ……」
気に入られたのではなかった。意外ではあったが、腑に落ちるものもあった。
「私は、殿下が怖いお顔で睨んでいらっしゃるので、近づかれて死ねと命じられるのかと思いました」
「ははは! 当たっておるわ」
「え!」
「そなたはこの先、国のために生き、死なねばならぬ。そういう人生に変わったのよ。受けたのはそなただぞ? 今更文句は言わせぬ」
笑うと、紅の瞳がきらきらと鮮やかに見えた。少女は自身の翠の瞳をほめそやされてきたが、鏡に映るそれを美しいと思ったことは一度もなかった。
けれど、少年のその目は、きれいだと思った。
「よいか? そなた、余に好かれるよう努力せよ。一度決めたことをひるがえすのは格好がつかん。余の妃にふさわしくなるよう、しっかりと励めよ」
噂など、当てにならぬものだ。
王子は正直でまっすぐな人だ、と少女は思った。
美しさだけを求められてきた彼女にとって、それ以外を求められることは、喜びだった。
「美しさなぞはただの飾りだ。怠慢は許さぬ。己の価値を高めよ。嫌いなやつが隣にいる人生などつまらぬ、余を楽しくさせよ」
かわいいね、すてきだね、誰もが褒めてくれた。何も言わぬうちから、己の何も知られぬうちから、好きだ、欲しい、と手を伸ばされつづけた。
そんなものは、気持ち悪かった。そうだ、自分はずっと、それが嫌だった。
「はい。はい、殿下。私はかならず努力いたします。殿下のお心に添えるよう、勉強いたします」
人生が変わった。
これからはこの人のために、そしてこの人がこれから支える国のために、生きて、死ぬ。
「お誕生日おめでとうございます、殿下。好きになっていただけるかはわかりませんが、私は殿下を好きになりました!」
ははは、と王子は笑った。また笑ってくれた。
もっと見たい。これからずっと。
「面白いことを言うではないか。気に入ったぞ」
アーシェは目覚めて、朝になっていることを知った。まだ早い。皆よく眠っていた。
なんだか、いい夢をみた気がする。内容は覚えていないのに、胸が躍っている。なにかいいことが起こりそうな、期待にあふれた気分につつまれている。
こんなことは初めてだった。
アーシェはいそいそと支度して、「コズマ先生の研究室に魔術具を受け取りに行ってきます。食堂へは直接向かいますね」とメモを残して部屋を出た。
寮を出て歩道を歩く。早朝の空気はさわやかで、遠くから掛け声のようなものが響いていた。屋外にある演習場での稽古だろう。夏は昼間暑くなるので、朝練の人気が高まるらしい、とキースが言っていた。
(兄さま、今日も参加しているかしら?)
アーシェは思ったが、さすがにこれだけ距離の離れた大人数での打ち合いから一人の声を聞き分けるような特殊能力は持ち合わせていない。そういう魔術も、あるかもしれないが。
さすがに三度目なので、研究棟の場所はしっかり頭に入っていた。古めかしい扉を開けて、建物の中に入る。コズマ先生はもう待ってくれているだろうか?
螺旋階段をのぼる。なんとコズマの部屋は最上階の五階だ。朝からなかなかの運動である。
時間はあるはずなのでゆっくりと進み、ようやく五階へと到着する。確か右手、四番目の部屋だとか。一応プレートを確認しながら歩いていく。
ふと、前から来るローブ姿が、よろめくのが見えた。
「えっ!」
アーシェはとっさに支えようとして、まずい、と思った。顔はフードでよく見えないが、体格からおそらく男性だろうと思ったのだ――不思議と、嫌な感じがしなかったので、気づくのが遅れた。
躊躇したせいか変なぶつかり方になった。アーシェはローブの人物に巻き込まれる形で倒れた。
「……すまない。怪我はないか」
声は、まぎれもなく男性のものだったが、アーシェは目の前の顔を見ることができていた。いつものような吐き気はなく、意識もあった。
いや、動悸はしている。でも、たぶんこれは、驚いているだけだ。
「い、いえ、そちらこそ……」
背中がズキズキと痛かった。考えがまとまらない。
「子ども? 誰かの……いや、学生か。どこかで……?」
小さな独り言が聞き取れた。男は、キースよりは年嵩――だろうか。黒い前髪が長くて目がよく見えない。
手が差し伸べられる。体を起こす助けをしようというのだろうが、この手を取っても大丈夫だろうか?
「あの……」
ためらっているアーシェの手を、さらに伸びてきた男の骨ばった手がぐいと引いた。
アーシェは座った状態になった。離された自分の手を呆然と見ていた。
(震えない。気持ち悪さもない。なにも……)
男は近くに転がっている杖を拾い、ゆるりと立ち上がった。
「本当に大丈夫か?」
低い声が淡々と話しかける。
「あの、あなたは……あ!」
男の持っている杖を見て、脳裏にひらめくものがあった。
「もしや、あの時の――ヘルムート様のうしろにいらした魔術師の方では?」
藍色のローブ。一言も話さなかった、凄腕の魔術師。
アーシェは立った。
「あの一撃は本当にすごかったですわ。本当にありがとうございました」
「ああ……あれを放ったのはヘルムートだ。僕じゃない」
「えっ」
「問題はないようだな。では失礼」
魔術師は杖をついて去っていった。
(どういう……? もしかして、今朝いい夢を見たことと関係が? まさか治った?)
アーシェはしばらく立ちつくしていたが、はっと我に返ってコズマの部屋へと向かった。




