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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第七章
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現実主義の道連れ



 クラウディオがいなくなったとは、どういうことなのだろう。商業街ではぐれた? しかし、ヘルムートが一号機を持っているなら、クラウディオの六号機と連絡が取れるはずだ。そう単純な事態ではないだろう。

 アーシェがクラウディオからの欠席の連絡を見たのは午後の授業の開始直前だったが、あれが送信された時刻はいつだったか。慌てていて、ちゃんと見ていなくて思い出せない。少なくとも食堂に向かった時より後のはずだが。

 メッセージをもう一度確認すると、ヘルムートからの送信は二十分ほど前だった。


 ――こっちにはまだ来ていません


 膝の上にのせてリセットした魔術信にそう書きかけて、アーシェは手を止めた。こちらの状況を知らせるべきだろうか? 余計な心配をかけるだろうか。できればイメルダと相談してから、と思うが、彼女は患者とリリアーナの相手とで余裕がなさそうだ。


「……どうする。探しに行くか?」

 キースが小声で聞いてきた。


 アーシェ自身の疑いは晴れただろうが、無罪放免とはいかない。リリアーナはすぐに怪しい魔術具の調査をしたいと言い張っている。イメルダがそれを後日にしてほしいと提案したのは、彼女も早くヘルムートと合流したいと思っているからだろう。

 必ずコズマに手渡し、他の誰にも見せないこと、とティアナたちが念を押されていたあのメモには、おそらくこのことが書かれていたのだ。文面もいつかのように暗号になっていたに違いない。

 なんとか三人に帰ってもらって、すぐに動けるようにしなければ。

 それならいっそペンダントを渡してしまえばいいだろうか。いや、これは自分の身を守るための大事なものだ。さっきだって助けてくれた。

 アーシェは右手にペンを持ったまま、水晶の飾りを左の手のひらの中にそっと握りこんだ。これを手渡してくれた時のクラウディオの満足そうな表情を思い返しながら。


 嫌な予感がする。一体何が起きたのか。護身のため、と言っていたあの杖も今は持ち歩いていないはずだ。彼ひとりでは魔術も使えないのに。

「どうしよう……」

 結局そう答えることしかできなくて、アーシェはうつむいた。


「俺だけでも。おまえはまだ休んでいた方がいい、ここで待っていろ。イメルダの側を離れるな」

「で、でも」

 アーシェの胸に、連行されていくキースの後ろ姿が去来した。

「……俺一人では心許ないか? そうかもな」

 不安が伝わってしまったのか、キースは苦い顔をした。

「そんなこと」

「なにをこそこそ話しているんですかー」

 アーシェは慌てて魔術信を伏せた。リリアーナがやってきたのだ。


「さてはー、またなにか隠してますねー?」

「それは四回生の卒業研究の試作品です。きちんと担当教授の許可を得て作成されているものですよ。リリアーナさんが見る分には問題ありません」

 ユハの頭に包帯を巻きながらイメルダが代弁した。

「へえー?」

 リリアーナはアーシェの膝から魔術信を取り上げ、アーシェの手に持ったペンと見比べながら言った。

「繰り返し書けるメモ帳……みたいなものですか? それにしてはー」

 アーシェは手の中に隠した水晶を意識した。さっさと服の下にしまえばよかった。

 そんなアーシェの心中を読み取ったのか、リリアーナはペンダントの鎖を無遠慮に眺めた。

「ふふ。質のいい魔石がふんだんに仕込んでありますねー。まあそのくらいしないとあの規模の結界は展開できないでしょうけどー」

 治療を終えたのか、診察机から離れたイメルダがするりとアーシェとリリアーナの間に割り入ってきた。

「ひとつ、確認しておかなければならないことがあるのですが」

「はいー」

「リリアーナさん。あなたは大公派ですか、血統派ですか。それとも中立?」

「えー」

 リリアーナは首をかしげた。

「ずいぶん個人的なことを聞くんですねー」

「大事なことです。できれば嘘偽りなく答えてほしいのですが」

 イメルダはリリアーナの手から魔術信をそっと取り上げ、アーシェの手に戻した。

「ううーん。イメルダ先生は血統派、ですよねー?」

「ええ。ですがあなたがどうでも構いませんよ。ただ知りたいだけなので」


 リリアーナは面倒くさそうにひとつ息をつき、そばに置いてあった椅子に勝手に座った。

「わたしはー、あえて言うなら反前大公派、ですかねー」

 予想外の返答に、アーシェはキースと顔を見合わせた。イメルダも戸惑っている様子だ。


「……それは、大公派ということ?」

「ぜーんぜん違います。先生にだから言いますけどー、今のファルネーゼってもうドン詰まりに行き詰まってるじゃないですかー。それでその原因を作ったのってー、結局前大公ですよねー」

 ドアの側に立っていたサンデルが、さりげなくドアを塞ぐように移動したのを、アーシェは見た。


「大事な大賢者の血統を守っていかなきゃいけない立場なのにズルズル結婚を遅らせてー、やっとお相手を連れてきたと思ったら魔術師じゃなくてただのお姫様。そのお姫様を亡くしてから再婚もしなくて。気持ちはわからないでもないですよ? そりゃあ愛してたんでしょう。でも公人としてあまりにも無責任すぎますしかも二人しかいない後継者のうち一人を早々に他国に出してまた血を薄めてなにやってんのって話ですよ色々不幸はありましたけどそれ以前の問題ですファルネーゼを潰したかったんですかあ? おかげで今はこのありさま。ほんっと迷惑です」

 ツインテールの先をくるくると水色のマニキュアが塗られた指に巻き付けながら、リリアーナはどんどん早口になっていった。

 途中、ユハが立ち上がって大股にサンデルの前まで行き、なにやら受け取ってベッドの近くまでやってきた。振動式音波遮断球発生器――遠耳の鐘だ。コーンという小さな音が響いた。

 アーシェにもわかる。これは人に聞かせられない話だ。

「大公派はみんな理想に燃えてますけど国のために命を捧げるなんて古いですよ馬鹿げてます。最近雨の降り方もおかしいし大公サマは限界なんじゃないですかあ?」

「……では、あなたはどうするのがよいと思いますか」

 イメルダは冷静だった。鳴り響いた鐘の音のように涼しい声だった。

「わたしは、ファルネーゼを放棄すべきだと思ってます。独立性を誇示して他国と距離を取れるこの立地、もちろん利もありますけど不便なこの場所に居続けるための代償が大きすぎるんですよ。大賢者の作った入れ物が今のわたしたちの身の丈に合っていないのならムキになって維持するのをやめて脱ぎ捨てるべきです」


 でも、それはできない。まだおわっていないから。


「手厳しいですね」

 イメルダが少し笑い、それを見てリリアーナも緊張を解いたようだった。

「そうですかー? 現実主義なだけですう」

「あんなに優秀で将来を嘱望されていたあなたが、どうしてこんな役職に縛られているのかもわかった気がいたします」

「ヒマだから研究の時間はたっぷりあるんでー、けっこう気に入っていますよおー」

 無言のユハが鐘の底面を手のひらで塞いだ。これで効果が切れるのだ。


「アーシェさん。魔術具を……アーシェさん?」

「――あっ、はい」

「大丈夫ですか? まだ気分が?」

 アーシェは小さく首を振った。まただ。ぼうっとしていた。

「いえ。考え事を」

 そうだ。なにか大事なことを考えていた気がしたのに。


「そうですね。あなたも混乱していると思いますが、少しだけ時間を。彼女にそのペンダントを見せてあげてください」

 イメルダは同情的にうなずき、そう言った。

 今の問答とどういう関係があったのか、わからないが、イメルダがそう判断したのなら構わないだろう。アーシェは首にかけたままの水晶の飾りを手のひらに載せた。


「はじめからこうやって素直に見せてくれればよかったんですよー。どれどれー」

 リリアーナは椅子を立ち、いそいそとアーシェに近づいて機嫌よくペンダントを観察しはじめた。が、いくらもしないうちに表情が険しくなっていく。

「はあ……? え、ちょっと待ってバカなんだけどなにコレおかしい」

「はい、そこまで」

 イメルダが手をぱちんと鳴らした。

「時間がないので今日は」

「いえいえいえダメです何言ってるんですかどう見ても門外不出の魔術が刻まれてますファルネーゼ内でも厳重に管理され秘匿されるべき危険な代物です魔術師の家の子ですらないこんなおチビちゃんにポンと持たせておくとか正気じゃありませんよまあこれを理解できる人間がそもそも少ないでしょうけどそれにしたって無防備すぎですありえません誰がこんなもの作ったんですか許せませんほんとにいくらイメルダ先生でも見過ごせませんこれはないです見事すぎるので今すぐ全部写させてもらっていいですかいえわたしの権限で没収させてもらいます」

「リリちゃん深呼吸、深呼吸!」

 ドアのところから駆けつけたサンデルがリリアーナの口に何かを突っ込んだ。

「むうー……」

 ユハが先ほどまでリリアーナの座っていた椅子を彼女の真後ろに置いた。リリアーナは片頬を膨らませながらすとんとそこに腰を落ち着けた。どうやら飴を舐めているらしい。

「あなたの気持ちはわかります。私もやりすぎではないかと思ったのですが、現に彼女は守られた。そのことが大事なのです」

 リリアーナはしばらく飴を口の中で転がした後でようやく言葉をこぼした。

「おチビちゃんはー、何者なんでふかー」

「それはまだ話せません。ですが……、この魔術具を作って彼女に渡した人物をこれからあなたに紹介したいと思っています」

 リリアーナは目を輝かせて立ち上がった。

「ふぉんとでふかー。たふかりまふー」

「商業街にいるらしいのですが、出られます?」

「もちろんでふー。ふぐ行きまひょうー」


 アーシェがキースを見上げると、キースは肩をすくめてみせた。

 イメルダはなかなかの策士である。



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