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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第七章
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氷の冠



 アーシェは意を決して首にかかった鎖を引こうとしたが、上げかけた手を止めることになった。

 視界の端にキースの姿を認めたからだ。


「キ」

 エルミニアが声をあげようとしたので、アーシェは咄嗟に彼女の口を手のひらでふさいだ。

 声を上げたところでキースには聞こえないし、逆に彼の接近を気づかれてしまう。

 そう、遠耳の鐘の効果で足音は届いていないのだ。

「いいの、エルミニア。もう話すわ」

 エルミニアはアーシェを見て細かく頷いた。わかってもらえただろうか。そっと手を離す。


「やっとその気になりましたかー」

 こちらへ注意を引こうと、アーシェは一歩前に出た。かかとが離れたので、今度はつま先を結界に押し当てながら。

「はい。見ていただきたいものがあるんです」

 アーシェが胸にさげていたペンダントを取り出したその時、ついに鐘の効果範囲に入ったキースの靴音がユハを振り向かせた。

「? なんだ」

 もう遅い。至近まで迫っていたキースがユハの右腕を巻き取るように掴み体を捻った。ユハの巨体が浮き上がり、勢いのままに投げ飛ばされる。リリアーナとサンデルを巻き込んで。

「キャー!!」

 リリアーナの悲鳴が上がった。エルミニアもなにか意味不明なことを叫んだような気がするが、聞かなかったことにする。


 時間が切れたからか頭から落ちたユハが目を回したからか、わからないが、結界が消えた。

「先生を呼んできて」

 即座にエルミニアに耳打ちして、アーシェはキースに駆け寄った。


「アーシェ! 無事か」

 倒れた三人から目を離さないままキースが言った。

 ユハの下敷きになったリリアーナがもがいている。サンデルはさらにその下だ。


「痛ぁい、誰、なに、よくも!」

 リリアーナがずれた眼鏡を直しながら叫んだ。アーシェはキースの背中に飛びついた。魔術が飛んでくると確信したからだ。


 何かが割れるような、耳障りなバキバキという音が響き渡った。


 ひやりと冷たいものを感じるのは恐怖のせいばかりではない。

 アーシェとキースの足元からいくつもの氷柱が立っていた。それは扇状に広がって、全て外側に傾いている。まるで巨大なティアラのようだった。うすい靄が広がって小さな氷の粒がキラキラと輝くのでなおのこと。


「ウソぉ……」

 リリアーナの自失したような呟きが耳に届いた。期待通り、ペンダントがキースを守ってくれたのだ。


「これは。……アーシェ?」

 キースにしがみついていたことに今さら気付いて、アーシェははっと後ずさった。


(触れた。……触れた!)


 喜びがこみ上げるのと同時に、指先が震えだした。

「あっ……」

 脚に力が入らなくなり、不格好に倒れこむ。キースがアーシェを庇うように膝をついた。


 地面にはうっすらと魔術の氷が張っていた。触れる肌が冷たい。

 ここで気を失ったりするわけにはいかない。アーシェは拳を握り、その爪をわななく手のひらに食い込ませた。

(黙って、エルネスティーネ。今のは、兄さまよ。怖くなんてない。何も!)

 うるさく拍動する心臓に歯を食いしばって、前方を睨む。


「ウソウソウソ信じられないどうなってるのこれ方向の転換そんなこと教えられる魔術師が外にいるわけないあなたの師匠は誰」

 上半身を斜めに起こしたリリアーナが氷の柵の向こうでまくし立てている。

「リリちゃん、重い……」

 彼女の尻に敷かれているサンデルが呻いた。


「わ、私は、誰にも習っていません。これは、魔術具の効果で――」

 やっとのことで言葉を発すると、そこに鋭い声が割り込んだ。

「何事ですか、これは!」


「イメルダ先生ー! お久しぶりですうー」

 アーシェの呼ぼうとした名前を、先に口にしたのはリリアーナだった。





「だーかーらー、あれは足元を凍らせて逃げられないようにしようと思っただけでー。学生にケガさせるようなことはさすがにしませんよー」

 搬送室でようやく目覚めたユハの手当をしているイメルダに、リリアーナが説明のような言い訳のような話を続けている。

「仮にわたしに攻撃の意思があったらー、わたし自身に跳ね返ってきたんじゃないですかー? あれはそういうものだと思いますけどー」

「足を魔術で氷漬けにしたら凍傷になるでしょう。ケガをしないと言い切れますか?」

「そりゃあ、でもー、それくらいなら後で治してあげればすむ話じゃないですかー」


 アーシェは、ベッドに横になっていた。ようやく震えは止まったが、ここまで歩いてくるのには駆けつけてくれたティアナとエルミニアの支えが必要だった。キースはイメルダの指示でユハを運んできた。ユハは長身のキースよりさらに背丈があり、体の厚みもかなりのものだ。それを背負ってふらつきもしないキースに、アーシェは改めて感心した。

 ティアナとエルミニアの二人はイメルダからコズマへのメモを託されて授業へ戻って行った。キースも戻らなくていいのかと聞いたが、早退と言い置いてきたので大丈夫とのことだ。よくないような気もするが、アーシェとしては残っていてほしいのでそれ以上追及はしなかった。


「それよりあの魔術具ー、ちゃんと見せてもらいたいんですけどー。じゅうぶんに規制を逸脱している可能性が高いのでー」

「今それどころではないので後日にしていただいても?」

「えー。いくらイメルダ先生のお願いでもそれはちょっとー。わたしも仕事なのでー」

 リリアーナは学生の頃イメルダに世話になっていたようで、ずいぶん気安い。まるで孫娘のように甘えた様子で、時折楽しそうに笑い声まであげている。元は病気がちだったりしたのだろうか。

 こんなことならはじめからイメルダの名前を出しておけばよかったかもしれない。

 本当にただ告発を受けて来ただけで、ルシアを連れ去った黒幕と繋がっているわけではないのか。まだ安心はできないが、アーシェは少しだけこの三人に対する警戒を緩めた。


「キースさん、ちょっと」

 イメルダに手招かれたキースがアーシェの傍を離れ、なにやら耳打ちされてすぐに戻ってきた。

「どうしたの?」

 キースがベッドに片手をつき、顔を寄せてきたので、アーシェは身を固くした。

「魔術信を確認しろとのことだ」

 囁いてから、キースはアーシェの鞄を枕元から持ち上げた。

「起きられるか?」

「あ、ありがとう。もう平気よ」

 アーシェは念のためゆっくりと体を起こし、差し出されたちょこっと魔術信を受け取った。暇そうにあくびをしながらドアの側に立っているサンデルの視線からアーシェを隠すようにキースが動く。今日は、部屋にカトリンはいない。授業に出ているのだろう。


「まあー、わたしも魔術を跳ね返す一回生なんてさすがにガセだろうと思ったんですけどー。訴えが真に迫っていたのでー。本当ならとんでもないことですからー、急いで来たんですよー」

「あの人、自宅謹慎のはずですけどねぇ……」

「あー、わたしはどこの誰だなんて言ってませんよー。わたしの立場では告発者の秘密を守る義務があるのでー」


 イメルダたちの会話に耳をそばだたせながら魔術信を起動すると、確かに着信があった。一号機から――ルシアの使っていたものだ。アーシェは一瞬目を疑ったが、すぐに思い直す。工房街で見つかったという話だったのだから、そのまま引き取ってきたのだろう。

 浮かび上がったメッセージは、予想外の内容だった。


 ――ヘルムートだ。まずいことになった。クラウディオがいない。今探しているところだが、もしそっちに来たら教えてくれ


 アーシェは息を呑み、黙ったままキースに魔術信を見せた。イメルダに視線を向けると、彼女はちらりとこちらを見てうなずいた。

 おそらくイメルダも同様に連絡を受けたのだろう。ティアナから借りた四号機で。




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