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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第七章
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屋根裏部屋



 煙に巻かれている夢を見た。

 炎が踊っている。悲鳴が聞こえる。降り止まぬ黒い花弁、とめどなく広がる赤い染み。背中が軋み、空気は熱く乾き、そして。




 ガタガタと建て付けの悪い窓の開けられる音が、クラウディオの意識をもこじ開けた。

 風がさあっと頬に当たる。澱んだ空気が揺らぐ。ちらつく光がまぶたを刺激する。


 なぜか、脳裏にヴィエーロの姿が浮かんだ。その所以を探りながら、意識を体に向ける。首が痛む。座ったまま俯いているせいだ。

 腕が動かせない。粗末な木椅子の背ごしに後ろ手に縛られ、両足首も椅子の脚に括られている。喉に違和感を覚える。この空気が原因だ。それであんな夢を見た。


 そっと、乾いた喉に唾を飲む。

 煙。炭火と乳香とそして、薬草の匂い。そうだ。ヴィエーロの採取を手伝った時の記憶と結びついて、彼を想起した。

 床板が足音と一緒にキシキシと鳴っている。わずかに瞼をあげる。前髪が邪魔だが、こちらが様子をうかがっていることを隠してもくれるだろう。

 男が三人。小さな窓が一つ。陽の光の傾きからして、じきに十四時といったところ。ゆっくりと呼吸して煙の成分を推測しながら考える。


 アーシェに魔術信を送った直後で記憶が途切れている。油断だった。どこからかつけられていて、ヘルムートと離れて一人になる隙を狙われていたに違いない。

 男たちは口元に布を巻いている。充満しているこの煙に対する防御のためか、顔を隠すためか。一方の自分は、身に着けていた帽子と眼鏡はどこかへ行っているが、服はそのままだ。ポケットなどは探られただろうが。そういえば最後に手にしていた簡易魔術信、あれもどうなったか。

 今の夢の場所は図書館だろうか。悲鳴は女のものだった。手がかりになったかもしれないのに、途切れてしまった。

 喉にある違和感は煙のせいだけではない。金属の感触。魔封じのチョーカーをつけられている。周到なことだ。

 窓の外には天測塔が見えている。太陽の方角と距離からして、ここはまだ商業街だ。ヘルムートなら近くで探してくれている可能性が高い。

 濁った空気の影響か頭の芯がずきずきと疼く。意識の混濁を引き起こし判断力を鈍らせる葉が混ぜられているようだが、あいにく自分には効かない。換気をはじめたということは男たちも耐え難くなってきたということだ。


 それらを同時に頭に浮かべて、結論づける。ヘルムートと一緒にいたから拉致された。彼には手を出せないから連れを狙った。求める答えを引き出すために。だとすれば。


「今のケルステンに正義はない! 王を引きずりおろせ!」


 息を吸い込み、ありったけの声で。ケルステン語でそう叫んだ。

 男たちは慌てた様子でクラウディオを見た。

「いつの間に起きた?」

「おい、閉めろ!」

 一人によって窓が閉められ、もう一人がクラウディオの頭髪を掴みあげた。後の一人は一つだけの扉の前に立つ。


「おまえ、ヘルムートとなにを嗅ぎまわっていた。先日の侵入もおまえだろう」

 顔をあげさせられたお陰で視界が広がった。傾斜のきつい勾配天井。どうやら、屋根裏部屋だ。

 縛りつけられている椅子の真横には真鍮の吊り下げ香炉が立てられていた。


「民を苦しめる、王は、いらない」

 ぼそぼそとケルステン語で話し、視線は不規則に泳がせる。


「まだ意識がはっきりしていないのか」

「薬を嗅がせすぎたかな」


 オレンジの髪を掴み上げていた手が離れる。かくりと首を落とし、クラウディオは板張りの床を眺めることになった。

 彼らの望むような「ヘルムートの手足」を演じてみたが、さて。


「もうこの骨董品は消していいんじゃないか」

「ダメだよ。尋問が終わってから」

「やはり換気を。あの鐘がいる」

「俺もそろそろ交替していいか? 目が痒くて仕方ないんだが」


 準備が足りない。意識も低い。しかし人員は他にもいる。

 下っ端では話にならない。どうにか指示を出している首謀者に出てきてほしいところだが。


 ヘルムートの手下など洗いざらい白状させた後は用無しだ。はなから無事に帰す気はないだろう。

 ヘルムートの元に戻ってあれこれ告げ口されるより、始末して知らぬ顔をした方がましだからだ。自分ならそうする。


 情報は、まだまだ取れそうだと思わせておいた方がいい。



「なんだってこんな面倒で古臭い魔法薬を」

「仕方ないじゃないか。催眠に反応しなかったんだ」

「もっと腕のいい術師を探してくればいいだろ。まったく……」

「ともかく目は覚めたんだ。報告を」



 しばしの話し合いの結果、二人が出ていき、一人が入ってきた。扉の外に立って見張っていた者が交替したようだ。新しい男はくすんだ灰色の髪をしていた。


「どうだ?」

「ケルステンの反戦派のようだが、どうにも。効果が出過ぎている」

「ふーん」

 突如、椅子の足が蹴飛ばされ、クラウディオは体を硬直させた。


「オレは先週あの図書館跡にいたんだぜ。痛かったなァ。涙で目の周りの皮膚がやられちまったくらい長いこと痛んでさァ」


 有益な情報だった。やはり執行隊か、それを装ったエドガルドの部下か――あるいは両方なのかもしれない。金のバッジはつけていないが。

 キースが連行された時は暴力的な扱いは受けなかったと聞いているが、やはりアリンガムの上級貴族と正体の判らぬケルステン人とでは対応に違いが出るのだろう。

 アリンガムは豊かで政情も安定している。ファルネーゼに楯突いたこともない友好国家だ。表立ってことを構えるのは得策ではない。


 それとも。

 よほど探られたくない腹があるのか。もう手段を選ぶ余裕がないのか。だとすればアーシェやティアナも安全とはいえなくなる。


「そういうのは後にしろよ。なあお前、名はなんだ?」

 下を向いたままのクラウディオに顔を近づけるように、もう一人の男がしゃがんで言った。温和そうに見える細目の男だった。


「腹が減ってないか。タラッリならあるぞ」


 彼が紙袋からつまみ上げて見せたのは小さな固焼きのパンだ。そう言われれば、空腹ではあった。朝食を早々に済ませクッキーをかじったその後は、飲まず食わずで歩き回っていたのだから。

 リング状のそのパンを、男は無造作に一つ口に入れ、咀嚼しながらまた一つ取り出した。安全であると証明するように。

 こういう場面では食べないのがセオリーだろうか。いや、自分は今判断力を失っているのだ。返事をしようかと考えて口を開けると、パンを突っ込まれた。


「おおー、食ってる」

「ケッ。飢えさせときゃいいだろ」


 食べたのではなく食べさせられたのだが。しかしこうなるとますます喉が渇いてくる。

 しゃがんだままの男がじっと、こちらの様子を観察してくる。飲み込むと再び声をかけてきた。

 パンをまた一つ手に持って。


「ね。それで、お前の名は?」

 クラウディオは黙ったまま横を向いた。

「いらない? うまいと思うけどなぁ」

「ソイツ、言葉通じてんのか?」

「当然だ。金時計を着けているんだから公用語が話せないはずないね」


 高圧的な男と柔和な男。狙ったかは知らないが、飴と鞭で尋問には向いた取り合わせだ。


「……食べ物より飲み物が欲しい」

「あーそっか。はいはい」

 細目はポケットから小さな瓶を取り出して見せた。

「ただのぬるい水だけどごめんね。それで。名は?」


 自分はうつろな目をした虜囚だ。体の自由はなく、思考はこの部屋の空気のように曇っている。


「……フリッツ」

 クラウディオがそう答えると、男は瓶のコルクを外した。




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