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アーシェは大人になれない  作者: 相生瞳
第七章
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透明な檻



 アーシェは駆け出した。

 食堂の裏をすぎ、救護院の建物はもう見えはじめている。ともかくイメルダのところへ逃げ込まなければ、と思った。


「えっちょ、どしたの?!」

「まあー。元気じゃないですかー。ウソはいけませんねー」

 エルミニアの慌てた声に、おっとりした女性の声が重なる。


「ユハ、お願いー」


 アーシェは全力で走っているつもりだったがエルミニアがすぐ横に追いついてきた。

「ねえこれピンチなの? なに」

 言い終わらぬうちにエルミニアが転んだ。それに驚いて一瞬勢いがそがれ、アーシェは体をぶつけただけで済んだ。

 見えない壁に当たった。そういう感じだった。エルミニアは頭をおさえている。アーシェは痛む肩をこらえながら目の前の空間に両手をついた。完全な透明ではない。わずかに風景が歪んで見える。見慣れた救護院の入り口が遠く蜃気楼のようにゆらめく。手を滑らせると横や背後もふさがれていた。

「閉じ込められた……?」

 ここが円い結界の内側だとアーシェが理解したその時、へたりこんだままのエルミニアが絶叫した。


「誰か助けて! ひとさらい! キース様ーっ!!」

 アーシェは思わず両耳をかばってしまった。それでも耳が痛い。

 喉を使いすぎてゲホゲホと咳き込みだしたエルミニアの背中をさすりながらあたりを見回したが、授業の始まっている時間帯だけに人影はない。ゆっくりと近づいてきているローブ姿の三人以外は。


「すっごい声ですねー」

 眼鏡の女がポシェットから取り出したのは、遠耳の鐘だ。

 この結界で音も遮断されているのではと危惧したが、聞こえていたようだ。女の声も、違和感なくアーシェの耳に届いた。

 おそらく結界の上に穴が開いている。それなら今の叫びはちゃんと外側に響いたのだ。搬送室のイメルダにも届いていればいいが、窓は開いているだろうか。

「サンデルくーん、これ持っててー」

 指ではじいた鐘を青ローブの優男に手渡し、女は結界の外からアーシェたちを見下ろした。

「もうー、人聞きが悪いですねー。わたしはただお話をしたいだけですよー」



 まだ夏の盛りだった頃、護身術を学びたいと言い出したアーシェに、ラトカは様々な魔術の解説をしてくれた。結界術もそのひとつだ。

 こういった円筒形の結界は敵の足止めにも護身にも使える基本的な術だが、せいぜい数秒から数十秒もてばいいもので、猛獣を捕らえる檻のようには使えない。また、防御は物理攻撃を対象としていて、魔術はすり抜けてしまう。

 狙い通りの場所に狂いなく出現させるには相当な熟練度が必要になるし、サイズが大きくなればなるほど、持続時間が長ければ長いほど、相応の魔力を消耗する。専用の魔術具を用意して自分の周囲に発動範囲を限定すれば、修行しだいでアーシェでも十秒くらいは盾を作れるようになるかも――というのが彼女の見立てだった。


 ファルネーゼを覆う結界のように半球状のものは、もっと上級者向け。それを、都市を一つ包み込むサイズで二百年にわたって維持していることがどれだけ驚嘆に値することか。

 ともかく、走って逃げていたアーシェとエルミニアをすっぽりと包むだけの大きさの結界を、離れたところから正確な位置に発現させた術者は、かなりのレベルであるといえるだろう。

 術には発現させた時点で効果時間も盛り込まれているはずだ。おそらくそう長い時間ではない。


 アーシェはそろりと立ち上がり、さりげなくかかとを結界の端につけて軽く体重をかけた。消えたらすぐわかるように。時間切れのその瞬間に逃げ出せるように。



「えっとー。一回生、実践科B、アーシェ・ライトノア、ですよねー。わたしはー」

「魔術適正使用監視委員会委員長リリアーナ殿だ」

 鷲鼻の大男が喋った。両手を後ろに組んで直立した姿には岩山のような威圧感があった。

「こーらー、ズルいですよー。わたしのセリフをとらないでくださいー」

 リリアーナと呼ばれた女はとすとすとその場で足踏みをした。


 魔術適正使用監視委員会。一応授業で聞いたことはある。その名の通り、魔術がルールに則って使用されているかをチェックし、不正を調査する組織だ。

 その長というには、リリアーナはずいぶん若い。二十代半ばくらいか――言動はもっと幼い印象だが。


「しかし君に任せると時間がかかる」

「いいんですうー」

 ぷいっと横を向いてふくれるふりをしてから、リリアーナはアーシェに向き直ってにこりとした。


「おチビちゃん? 実はー、あなたが入学前にー、専門的な魔術を学んでいたという告発がありましてー、わたしたちはその調査に来たんですよー」

「自分は彼女の秘書を務めているユハだ。君には委員会に出頭してもらい取り調べを受けてもらうことになる。同行を拒否する場合は執行隊に取り次ぐことになるが」

「あ、あの、ちょい待ってください。入学前の魔術って、アレですよね、魔力を減らしてた……」

 ようやくいくらか落ち着いたらしいエルミニアがスカートについた土埃をはたきながら立ち上がった。

「この子のは自己流だから、習ってたわけじゃないんですよ。ねっ、アーシェ」

 アーシェはこくりとうなずいた。とにかく時間を稼ぎたいところなので、エルミニアがあれこれ話してくれるのは助かる。

「先生からは問題があるという風には伺っていませんが……」

「ていうかこんな乱暴に閉じ込めるようなことする? フツー。先生に話を通して呼び出すとかあるでしょ」

「それはあー。あなたたちがウソをついて逃げ出したりするからですよー」

 リリアーナは相変わらずのんびり話しているが、ユハは時計を気にするそぶりを見せている。

 さきほど聞こえた「お願い」という声からして、結界術を使ったのはユハなのだろう。いつ結界が消えるのかも、彼は把握しているということだ。


「ちゃんと正直に話せばー、それほど重い罪には問われませんからー」

 リリアーナに続いて、サンデルが穏やかに口を開いた。

「罪が重いのは教えた方だから。きみに指導した違反者がはっきりすればそれで済むよ」

「ああ。庇ったりはせぬのが身のためだ」


(話が違うわ、ラトカ……!)


 もう数分は経っていると思うのに、靴越しに感じる結界は確固としてある。

 おそらくこのユハという術師はかなりの実力があるのだろう。リリアーナも、若くして地位がありサンデルという対を連れている。振る舞いに反して優秀ということだ。

 結界が消えたとしても、すぐまた閉じ込められるだけだろう。逃げ切れる気がしない。

「だから、誰にも教わってないんですって。先生が特例で上級コースに入れてくれるぐらいなんだから。だいたい誰が告発なんてしたの? 嫉妬?」

「それは教えられない」

 この場を切り抜けることばかり考えていたアーシェは、エルミニアの言葉にはっとした。

 このタイミングでの告発。アーシェを誘き出すためのこじつけかと考えたがそうではない。


 アーシェが妙な力を持っていると誤解したままの人間がいる。ロレッラだ。


「イミわかんないんですけど。違うって言ってるのに決めつけるのなんで? 証拠もないのに取り調べって変じゃない」

「調査は詳しい話を聞かせてもらってからになる。隠そうとしても無駄だ」

「あ、痛いこととかはないよ。心配しないで」

 強制的に自白させられる魔術でも使われるのだろうか。あるとすれば精神魔術の類だろうが。

 それはかなりまずい。魔術を習っていなかったのは本当だが、今のアーシェには明かせない秘密がいくつもあるのだ。


「私はここに来るまで魔力を放つことすらできませんでした。その告発、どんな魔術のことを言っていましたか?」

 水晶の魔術具ペンダントを見せてもいいだろうか。

 クラウディオは特に禁じるようなことは言わなかった。隠すことにしたのはアーシェの判断だ。目立たぬよう、変な噂にならぬよう。

 これを身に着けていることが知られるのと洗いざらい吐かされるのとでは、天秤にかけるまでもない。しかし、本当にもう切り抜ける方法は他にないのだろうか。


「こっちから情報を引き出そうということですかー。いい度胸ですねー」

 リリアーナはかがんで結界に手のひらと額をつき、アーシェと視線を合わせた。彼女の表情には嘲りも怒りもうかがえない。珍しい動物を見るような顔だった。

「具体的に知りたいのはわたしの方なんだけどー。試してみてもいいですかあー?」



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